第29話 新しい一歩

 昴は自室の布団に寝転がり、ぼんやりと天井を見つめていた。


(GWか……)


 合コンとも遊びともつかない予定に誘われたことで、普段なら気にも留めない長期休暇が急に特別なものに思えてきた。これまで「遊びに行くために服を新調する」なんて考えたこともなかったが、今回はどうにも気になって仕方がない。


(さすがに、今持ってる服じゃダメだよな……。)


 いつも着ているのは地味なTシャツにジーンズばかりで、友達と遊びに行くには無難かもしれないが、オシャレというには程遠い。ましてや、他校の女子もいるとなると話は別だ。


(茉莉亜が誘ってくれたのに、こんな冴えないままじゃ……。)


 小さなため息が漏れる。


 そんなとき、数週間前の出来事が頭をよぎった。



「昴君、その服、少し地味すぎるんじゃないかしら?」


「……別に普通でしょ。」


「普通が悪いってわけじゃないけれど、もう少しだけ冒険してみてもいいんじゃない?」


 千春は柔らかな微笑みを浮かべながら昴の服を端から吟味し、静かな口調で一つずつコメントをしていく。


「このシャツ、シンプルすぎるかな……。あ、こっちは色味が綺麗でいいかも。」


「いや、さすがにこんな派手なのは――」


「そんなことないわ。昴君に似合うと思う。試してみてくれる?」


 試着室に押し込まれ、選ばれた服を何着も着せられる。昴にとってはただの手間に感じられたが、試着室の鏡に映る自分を見て、ほんの少しだけ気持ちが変わった。


(あれ、意外と……いいかも?)


 千春が連れて行ってくれた美容院でセットされた髪型と、選んでくれた服が、いつもと違う雰囲気をまとった自分を作り出していた。


「ね、やっぱり似合っているでしょう?」


 千春の声に照れ隠しのために素直に反応できなかったものの、その日を境に、オシャレというものに少し興味が湧き始めた。


(あのときは、正直めんどくさいと思ってたけど……髪型と服を変えるだけで、自分も少し変わった気がしたんだよな。)


 昴は布団から起き上がり、クローゼットを開けて手持ちの服を見渡した。どれもこれも、なんの変哲もない無地のTシャツや地味なパーカーばかり。


(……よし、新しい服を買おう。)


 一度決意すると、自然と前向きな気持ちが湧いてくる。


 しかし、ふと財布を手に取り中身を確認すると、目の前が真っ暗になった。


(……全然足りない。)


 中に入っていたのは数千円程度の小銭とお札。これでは、服を新調するどころか、ちょっとした外出にも心もとない。


「くそっ……どうすれば……。」


 再び布団に倒れ込みながら天井を見つめる。お金がないならバイトでもすればいいのかもしれないが、今から急に始めても間に合うはずがない。


(どうする……どうする……。)


 そんなとき、ふと母親の顔が浮かんだ。


(そうだ、母さんに相談してみるか。)


 昴の母・澪は近所でカフェを営んでいる。お金を無心するのは気が引けるが、何か良い手立てが見つかるかもしれない。


(やれることをやるしかないか……!)


 そう思い立った昴は、意を決してリビングに向かうことにした。



 リビングに降りた昴は、カウンターに腰かけて雑誌をめくっている母・澪に声をかけた。


「母さん、ちょっと相談があるんだけど……。」


 澪は顔を上げ、眼鏡越しに昴を見て、ふっと柔らかい笑みを浮かべる。


「珍しいわね、昴が相談なんて。どうしたの?」


 少し居心地の悪さを感じながらも、昴は勇気を振り絞る。


「その……服を買うために、少しお金を貸してほしいんだ。」


 澪は目を丸くし、驚いた様子で昴を見つめた。


「服? あなたが?」


「……別に変な意味じゃないから。普通に友達と遊びに行くだけだよ。」


 慌ててそう付け加える昴だったが、澪の目は好奇心で輝いている。


「へぇ、友達と遊びに行くのね。何か特別なイベントでもあるの?」


「いや、そういうのじゃなくて……ただ、ちょっと出かけるだけだって。」


 澪は雑誌を閉じて椅子を引き、昴の前に腰かけた。


「昴が自分で服を買いたいなんて言うの、初めてじゃない? 何だか嬉しいわ。」


 彼女の口調は穏やかだが、どこか意地悪な楽しさが混じっている。昴は少し気まずそうに目を逸らし、話題を変えるように言った。


「で、どうなの? 貸してくれるの?」


 澪は顎に手を当て、しばらく考えるような仕草をしてから微笑んだ。


「いいわよ。服代くらい貸してあげる。」


「ほんと?」


「でも――」


 澪が「でも」を付け足した瞬間、昴の心に嫌な予感がよぎる。


「その代わり、少しカフェを手伝ってちょうだい。」


「……え?」


「最近、スタッフの子が一人お休みしててね。ちょっとだけ忙しいのよ。」


 澪はさらりと言うが、その視線には「断らせない」という強い意志がこもっている。昴は言葉を失い、目を泳がせる。


「いや、僕、接客とか無理だし。」


「大丈夫よ。難しいことはさせないから。お皿を運ぶとか、簡単なことだけでいいわ。」


「それでもさ……。」


「服を買うお金が欲しいんでしょう? だったら、少しぐらい働きなさい。」


 澪の言葉は柔らかくも断固としていた。渋々ながら、昴は観念して首を縦に振る。


「……わかったよ。手伝えばいいんだろ。」


 澪は満足そうに微笑み、肩を軽く叩いた。


「決まりね。それじゃあ、明日から早速お願いするわ。」


 昴は深い溜め息をつきながら、天井を見上げる。


(なんでこうなるんだよ……。)


 とはいえ、手伝いをすることでお金を得られるのなら悪い話ではない。何より、自分が変わるための準備なのだ。


(やるしかないか。)


 昴は少しだけ覚悟を決めた。



 翌朝、昴は澪のカフェに立っていた。料理を作ることはあるが、今日はエプロン姿で接客するためなんだか落ち着かない。


「よし、最初は簡単なことからね。」


 澪が笑顔で指示を出しながら、テーブルに置かれたメニューを片付けるよう促す。


「簡単なこと、ね……。」


 昴は小さくつぶやきながら、手近なテーブルに向かう。だが、手にしたメニューを片付ける途中、隣のテーブルにあったグラスに袖が当たり、ガシャリと音を立てた。


「わっ、危ない!」


 慌てて手を伸ばし、なんとかグラスを倒さずに済んだものの、隣の客に迷惑をかけそうになり、平謝りする。


「す、すみません!」


 客は驚いた表情を見せた後、少し笑って「気をつけてね」と言ってくれたものの、昴の額には早くも冷や汗が浮かんでいる。


 次の仕事はコーヒーのオーダーを取ることだった。澪に「注文は簡単だから」と背中を押され、昴は注文を聞きに行く。


「えっと、アイスコーヒーと……ラテでいいんですよね?」


「違いますよ! アメリカーノです!」


 お客さんに指摘され、昴はあわててメモを書き直す。頭の中でコーヒーの種類が混乱してきて、どれがどれだかわからなくなる。


「アイス……ラテ? いや、違う。アメリカーノ!」


 メモを確認しながらカウンターに戻るが、澪が笑いながら迎えてくれる。


「落ち着いて、昴。最初はみんなそんなものよ。」


 昴は深く息を吐き、なんとかもう一度仕切り直すことを決意した。


 昼時になると、店内はさらに忙しくなった。お皿を下げる仕事を任された昴は、次々と空になった皿をトレーに乗せて回る。


「昴! トレー持ったまま走るな!」

 カウンターの中で手を動かしている澪の声が飛ぶが、昴は一度に皿を運ぼうとしてバランスを崩しそうになる。


「あっ、やばっ!」


 トレーの端が傾き、皿が滑り落ちかけた瞬間、隣のスタッフがすかさず手を伸ばして皿をキャッチした。


「危ない危ない! 初日なら無理しない方がいいよ。」


 ベテランスタッフの言葉に昴は力なく笑い、何とかトレーを下げ終える。


 午後も慌ただしい時間が続いたが、徐々に昴は店内の雰囲気に慣れてきた。カウンター越しに常連客から声をかけられると、少し緊張がほぐれる。


「君、澪さんの息子さんでしょ? 頑張ってるじゃないか。」


「……ありがとうございます。」


 客の笑顔に救われるような気持ちになりながら、昴は最後の片付けまで駆け抜けた。


 閉店後、昴は椅子に腰を下ろし、深いため息をついた。


「はぁ……これ、本当に服代に見合ってるのかな……。」


 澪は隣に座り、笑顔を浮かべながら肩を叩く。


「もちろんよ。ちゃんと働いた分は払うから、安心して。」


 昴は少しむくれた顔をしながらも、澪の温かい笑みに少し救われたような気がした。


「……次はもう少し、マシに動けるようになるよ。」


 昴はそうつぶやきながら、今日の失敗を反省しつつも、どこか達成感を感じていた。



 カフェの営業が終わり、昴はカウンター席に腰を下ろしていた。初めての手伝いに体中がだるい。澪はキッチンから小さな封筒を持ってきて、昴の前に置いた。


「はい、今日の分ね。」


 封筒の中には、バイト代としていくらかのお金が入っている。昴は封筒を手に取ると、思わず中をのぞき込み、少しだけ目を見開いた。


「……こんなにもらっちゃっていいの?」


「当たり前よ。昴、今日一日よく頑張ったもの。」


 澪は笑みを浮かべながら、少し乱れた昴の髪を直そうと手を伸ばす。昴は照れ臭そうに身をよじりながら、澪の手を避けた。


「服、ちゃんといいのを選びなさいよ。適当なのを買って、せっかくの機会を台無しにしないようにね。」


「……わかってるよ。でも、こんなに働くのって、めちゃくちゃ大変なんだな。」


 昴はエプロンの端をいじりながら呟く。澪はその言葉に小さく頷き、優しい目で息子を見つめた。


「昴がこうして外に目を向けるようになったの、ちょっと驚いてるのよ。」


 昴はその言葉に少しだけ驚き、視線を澪に向けた。


「いつも家で本ばかり読んでるか、ゲームをしてるかだったじゃない? でもこうして友達と遊びに行くために何かを頑張るって、いいことだと思うわ。少しずつでもいいから、新しいことに挑戦していくといいのよ。」


 その言葉に、昴は少し頬を赤くしながら、軽く肩をすくめた。


「別に、そんな大げさなことじゃないって……ただ、友達に誘われただけだし。」


「ふふ、そうかしら。でもね、昴。それがきっかけでも、あなた自身が変わろうと思ったことに変わりはないでしょ?」


 澪の言葉に、昴は少しの間沈黙した後、小さく頷いた。


「……そうだね。なんか、自分でも少し変わった気がする。」


 澪は嬉しそうに微笑みながら、そっと昴の背中を叩いた。


「よし、これからも頑張るのよ。」



 部屋に戻った昴は、ベッドに寝転がっていた。手には、澪からもらったバイト代の入った封筒をしっかりと握りしめている。


(これで、少しはまともな服が買えるかな。)


 カフェで働いた疲労感はあるものの、どこか心地よい。友達と遊びに行くという小さな目標のために動いた自分が少しだけ誇らしかった。


(友達と遊ぶの、正直ちょっと不安もあるけど……。)


 頭に浮かぶのは、優翔や蓮たちの明るい笑顔。そして、茉莉亜の真剣な表情。「遊びに行こう」と誘われたときの気持ちが再び蘇る。


「よし、明日服を買いに行こう。」


 昴は小さく自分に言い聞かせるように呟いた。その言葉に、不思議と勇気が湧いてきた気がする。


 夜道を歩きながら、昴の胸の中には新しい自分に変わる期待が少しずつ膨らんでいった。



 その夜、カフェの片付けを終えた澪は、ひとりカウンターに座り、今日の売り上げを数えていた。ふと、昴が働く姿を思い出し、くすりと笑みを漏らす。


「……昴も少しずつ、大人になってるのね。」


 いつも無表情で、どこか不器用だった息子が、友達のために新しい一歩を踏み出したことが嬉しかった。澪は、明日の仕込みに向けて立ち上がると、心の中でそっとエールを送る。


「頑張るのよ、昴。」


 その小さな声は、忙しかった一日の終わりを穏やかに締めくくった。



 ― ― ― ― ―


良ければこちらもご覧ください。

・直さんは冷静な顔で、俺を殺しに来る

 https://kakuyomu.jp/works/16818093090481722534


・ハリネズミ女子飼育日記:僕と彼女の365日間

 https://kakuyomu.jp/works/16818093090591046846


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