第21話 泥まみれの勇気

 校庭には日差しが降り注ぎ、吹き抜ける風が少しだけ汗ばんだ肌を冷やしてくれる。体育の授業、今日のメニューはサッカー。


「よっしゃ、やるぞ!」


 体育会系の男子たちが盛り上がり、ボールがフィールドに転がると、自然と熱気が高まった。颯太や蓮、そして優翔はまるで「待ってました」と言わんばかりにやる気に満ちた表情だ。


 雷央もその中にいた。口角を少し吊り上げ、闘志を隠さず、足元のボールを蹴ってみせる。彼はサッカー部のエースであり、常に目立つ存在でありたい。――いや、目立たなければ気が済まない。


「負けられねぇな」


 雷央がつぶやくと、周りの男子たちも自然と気合が入る。


 そんな空気の中、昴は、少し引き気味だった。


「……運動苦手なんだよなぁ……」


 昴は心の中で小さくため息をつくが、体育の授業だから仕方がない。気乗りしない様子でジャージの袖をまくる。彼の姿が雷央の目に入った瞬間、チリッとした苛立ちが胸の奥で弾ける。


 ――最近、コイツ、なんだかクラスで目立ってきてる。


 優翔や颯太、蓮と絡む姿を見かけるたび、雷央の中で小さな嫉妬心が芽生えていた。彼らはクラスの中心的存在だ。雷央自身もサッカー部のエースとして注目されている自負がある。しかし、その“中心”に、少しずつ昴が顔を出し始めているように感じる。


 ――調子に乗りやがって。お前みたいなヤツが目立つとか、冗談じゃねぇ。


 雷央は強くボールを蹴り、目線を逸らした。


 体育の先生の指示のもと、クラスが二つのチームに分けられた。


 偶然なのか、必然なのか――昴と雷央は敵同士になった。


「空野、お前相手チームか。……まぁ、安心しろ。お前なんか相手にならねぇよ。」


 挑発するような笑みを浮かべ、雷央は昴に近づく。言葉は軽いが、その目は笑っていない。昴は思わず「……なんだよ」と呟き、苦笑いを浮かべる。


 颯太が間に割って入った。


「おいおい、雷央、そんな本気になるなって。体育だぞ、体育。」


 蓮も雷央の肩を軽く叩きながら言う。


「そうだぜ、遊びだろ? そこまで張り合うなよ。」


 しかし、雷央は肩をすくめて、あっさりと流す。


「何言ってんだよ。遊びでも手加減したら意味ねぇだろ?」


 一見、笑っているように見えるが、目の奥には鋭い光が宿っている。それを察した優翔が小声で昴に耳打ちする。


「……なんか、今日は雷央がピリついてるな。気にすんな。」


「気にするわ。」


 昴は苦笑しつつ、ため息をつく。しかし、内心では――


(……なんだよ、張り合う相手、僕じゃなくてもいいだろ)


 と思わずにはいられない



 笛の音がグラウンドに響き、サッカーの試合が始まった。

 颯太と蓮は開始早々、息の合ったコンビネーションで相手を翻弄する。パスが的確に繋がり、颯太がドリブルで相手陣地に攻め入れば、蓮がシュートのチャンスを作る。


「颯太、ナイスパス!」

「蓮、決めろ!」


 二人の華麗なプレーに周りの男子も「おおーっ!」と歓声を上げ、優翔もその運動神経の良さでチームを引っ張る。安定したボールコントロールとディフェンスで、チームの中心にいることは誰が見ても明らかだった。


 雷央もサッカー部のエースらしく、華麗なドリブルと力強いシュートで存在感を見せつける。彼の動きには無駄がなく、ボールが足に吸い付くように動く。


「雷央、さすが!」

「やっぱサッカー部は違うね!」


 男女別の授業とはいえ、グラウンド脇ではクラスの女子たちが歓声を上げながら見守っている。雷央のプレーにはひときわ声援が集まり、颯太や蓮、優翔にも「かっこいい!」と黄色い声が飛ぶ。


 ――しかし、そんな中で標的になっているのは昴だった。


 雷央はことあるごとに昴に絡む。昴がボールを取ろうと一歩踏み出せば、雷央が目の前に現れる。


「おっと、空野。取れるもんなら取ってみろよ?」


 意地の悪い笑みを浮かべ、雷央はわざとボールを足元で転がす。昴が奪おうとすると、素早くボールを逃がし、挑発するような目つきで見下ろす。


「くそっ……!」


 それでも昴は引かずに食らいつこうとする。しかし、雷央は本気でスライディングを仕掛けたり、肩で体当たりをしてボールを奪っていく。


「おい、雷央!やりすぎだって!」


 颯太が眉をひそめて雷央を止めるが、雷央は肩をすくめて笑う。


「スポーツだろ?本気出して何が悪いんだよ。」


「いや、でも空野は運動苦手なんだからさ……」と蓮も続けるが、雷央は聞く耳を持たない。


 ――そのとき、昴が転んだ。


 泥だらけになりながら地面に倒れ込む。ゴツッと鈍い音が響き、グラウンドが一瞬静まった。女子たちからも「大丈夫?」という声が漏れる。


「……っ!」


 昴は歯を食いしばりながら立ち上がる。泥まみれになったジャージをはたき、額の汗を拭う。


(なんだよ……全力でぶつかってきやがって……。)


 顔には悔しさがにじんでいた。雷央はその様子を見て、勝ち誇ったように鼻を鳴らす。


「ほらほら、もっと本気出せよ、空野!」


 周りは引き気味になりながらも、試合は続く。



 試合終盤。雷央の執拗なマークはさらに激しさを増していた。


 昴がボールを持とうとすれば、即座に雷央が現れる。そして、強引にボールを奪ってゴールを決める。そのたびに雷央は「よっしゃ!」と高笑いし、周りの雰囲気が少しずつ微妙になっていく。


「ちょっと、やりすぎだって……」と優翔が呟き、颯太も「雷央、もういいだろ」と止めるが、雷央は「何だよ、スポーツは勝負だろ?」と譲らない。


 昴は息を切らしながら、ボールを奪われ続ける。泥まみれで汗だくになり、髪が額に張り付いていた。


(悔しい……何だよ……何で僕だけこんな目に……。)


 それでも、心のどこかで負けたくない気持ちが芽生え始めていた。


 ――雷央に勝ちたいわけじゃない。ただ、もう、逃げたくない。


「……なんだよ、僕だってやってやる。」


 口には出さないが、昴の目が静かに闘志を宿す。雷央がまたボールを奪いに来る。しかし、今度は昴も簡単には引かなかった。食らいつき、足を出し、少しでもボールを追い続ける。


 笛が鳴り、試合が終わった。


「終了!」


 先生の声が響き、グラウンドが静かになる。


「はぁ……はぁ……」


 昴は泥まみれのまま、地面に手をついて息を整える。敗北感が胸に広がり、悔しさが込み上げてくる。


「……もっと努力しないとダメだな。」


 小さな声で、昴は呟いた。


 その様子を見た颯太が笑いながら昴の肩をポンと叩く。


「まぁ、頑張ったじゃん。泥まみれだけどな!」


「お前、思ったより根性あんな!」と蓮も笑い、優翔が「次、もっと頑張れよ」と手を差し出す。


 昴は少し驚きながら、差し出された手を握った。泥まみれの手と手が交わる瞬間、少しだけ心が軽くなった気がした。


 ――雷央にコテンパンにされたけど、まだ終わりじゃない。次は、絶対に負けたくない。


 昴の中に、小さな決意が芽生えていた。



 試合終了の笛が鳴り、グラウンドの空気が少し緩む。


「やりすぎじゃない?」


 グラウンドの端で試合を見ていた女子たちの中から、数人が引き気味に顔を見合わせる。泥だらけの昴の姿と、何度も激しいプレーを仕掛けた雷央の態度を見て、明らかに違和感を感じているようだ。


「あれって、ちょっと意地悪すぎない? 空野くん、運動苦手そうなのに。」


「うん……雷央くん、普段はかっこいいけど、さすがに引くかも。」


 一方で、陽キャ女子たちは違う反応を見せる。


「えー、別にスポーツなんだから仕方ないじゃん! 雷央が本気出しただけでしょ。」


「そうそう! そもそも空野くんが弱すぎるんだって。あれぐらい普通だよ。」


「それな! サッカーなんだから本気でやらないと楽しくないし!」


 明るく笑いながら、陽キャ女子たちは雷央を擁護するような発言をするが、周囲の雰囲気との温度差に一部の女子は少し眉をひそめる。



 授業が終わり、クラスが解散し始めると、雷央の周りには自然と数人の女子が集まっていた。


「雷央くん、めっちゃかっこよかった~! サッカー部だから動きが全然違うね!」


 そう言いながら、ギャルっぽい女子の藤田美咲ふじたみさきが雷央の腕にべったりと寄りかかる。美咲は金髪に近い茶髪の髪をゆるく巻き、派手なネイルをした指で雷央の袖を引っ張る。


「ねぇねぇ、次は私にもサッカー教えてよ~!」


「お、おう……」


 雷央は少し驚いた表情を見せるものの、まんざらでもなさそうに苦笑いを浮かべる。女子に囲まれる状況は、彼の自尊心をくすぐるのだろう。


 その様子を遠くから見つめていた花音の目つきが、ふっと険しくなる。


(……なにあれ? あんな子にデレデレして……私が彼女でしょ?早く振り払ってよ)


 花音は腕を組みながら、不機嫌そうに美咲と雷央を睨みつける。美咲がさらに距離を縮めるように、雷央の肩に軽く触れるのを見て、思わず苛立ちを隠せない。


 雷央もちらりと花音の方に視線を向けたが、すぐに美咲の方に目を戻す。


「花音、どうしたの? なんか怖い顔してるよ?」


 友人の一人が花音に声をかけるが、花音は「別に」と短く返事をするだけだった。


(……雷央、なんであんな子にちやほやされて嬉しそうにしてるの? ほんと、くだらない。)


 心の中でそう毒づきながら、花音は小さくため息をついた。



「なぁ、雷央。お前、なんだかんだでモテるよな?」


 颯太が冗談めかして言うと、雷央は少し得意げに鼻を鳴らす。


「まぁな。実力がある男は自然と注目されるもんだろ?」


 隣で蓮が「調子乗んなよ」と笑いながら突っ込むが、雷央は悪びれもせずに「サッカー部エースは伊達じゃねぇからな」と肩をすくめる。


 その余裕ぶった態度の裏には、昴への対抗心と優越感が滲んでいる。


(これでいいんだよ。あいつがどれだけ頑張ろうが、俺が上にいるってことを見せつけてやる。)


 美咲が「雷央くん、今度一緒にご飯行こうよ~!」と甘えるような声をかけると、雷央は「考えとくわ」と言いつつも嬉しそうに笑う。


 しかし、彼の視界の端に立つ花音の不機嫌そうな顔がちらつく。


(……あいつ、なんでそんな顔してんだ? まぁいいけど。)


 女子たちの注目を浴びながら、雷央はまんざらでもない表情でその場を仕切っていた。


 ――ただ、その一方で、彼の周りの空気には少しだけ居心地の悪さが広がり始めているのだった。



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