第18話 筋肉痛も悪くない

本日、更新2話です。17話を読まれていない方は先にそちらをご覧下さい。


- - -



 ――月曜日の朝。昴は目を覚ますなり後悔していた。


「……あ、いてっ……! くっそ……」


 起き上がろうとしただけで、全身が悲鳴を上げる。腹筋、腕、太もも、肩――昨日の筋トレの代償がすべての筋肉にのしかかっていた。


「……優翔め、やりすぎだろ……。動けない…」


 何とかベッドから這い出ようとするが、筋肉痛の波に襲われて再び布団に崩れ落ちる。結局、昴は「休むしかないな……」と渋々欠席の決断をするのだった。


 階下から聞こえてくるのは、澪が軽快に朝の準備を進める音。昴の部屋のドアがノックされると、澪がニヤニヤ顔で顔を覗かせた。


「ほら、昴。朝ご飯置いといたからね。……あれ? もしかして動けないの?」


「うるさい……筋肉痛なんだよ……」


「あはは、やっぱり! 急に頑張りすぎるからよ。これに懲りたらもっと外に出かけて身体を動かしなさい!」


 澪は笑いを堪えきれない様子で、カフェのオープンに向かう準備をしている。昴は悔しそうに顔を背けながら布団にくるまった。


「……笑わないでよ……」


「あ、そうそう。お見舞いに花音ちゃん来てくれるんじゃない? 私も久しぶりに会いたいわー♪」


「花音は……来ないよ。」


 ぼそりとつぶやいた昴の言葉に、澪は一瞬だけ驚いたような顔を見せるが、すぐに何事もなかったかのように笑った。


「ふぅん? まあ、そういうことなら、ゆっくり休みなさい。昴が学校を休んでいるが間に、私がしっかり稼いどいてあげる!」


 澪はウインクしながらカフェのエプロンを肩にかけ、颯爽と家を出て行った。残された昴は、天井を見上げてひとりごちる。


「……花音、な……」


 少し前なら当たり前のように顔を合わせていたのに、最近はどこかぎこちなさが残る。思考がそこに引っ張られそうになった昴は、枕を抱えて無理やり目を閉じた。


「……寝る……今日は何も考えない……」




 月曜日の学校。1限目の終わり頃、クラスの数人が昴の欠席に気づき始める。


「……あれ、昴は?」


 優翔が机に突っ伏しながらスマホをいじっていると、グループチャットに昴からのメッセージが送られてきた。


 ――「優翔、やりすぎ!……歩けないんだけど、バカ!」


 優翔は思わず吹き出し、周りのクラスメイトから怪訝な目を向けられる。


「ははっ、悪い悪い……いや、昨日ちょっと鍛えすぎたかな……」


「どうしたんだよ?」と友人に問われ、優翔は事情を説明する。


「昨日、昴が筋トレやりたいって言うからさ、ジム連れてったんだよ。でも、ちょっと追い込みすぎたかもな~。」


「お前、悪意あるだろ!」


「ないない! 本気で昴が鍛えたいって言うから、男の友情ってやつだよ!」


 周囲は苦笑いを浮かべながらも、「お前、昴を潰す気かよ」とツッコミを入れる。


 その会話を聞いていた茉莉亜は、少しだけ不安げな顔をしていた。


「昴君、大丈夫かな……」


「ま、寝てりゃ治るだろ。筋肉痛なんてそんなもんだし。」


 優翔の軽い言葉に、茉莉亜は少し眉をひそめる。


「……でも、無理してたらどうしよう。」



 放課後の教室。生徒たちは次々と帰り支度を進め、ざわざわとした雰囲気が漂っている。茉莉亜も机の上の教科書を鞄にしまい、帰る準備をしていた。


 そのとき、ひより先生がドアの向こうからひょっこりと顔を出し、キョロキョロと何かを探すように困った表情を浮かべていた。


「あれ、どうしよう……」


 廊下でひとり立ち止まり、小柄な体をオロオロと揺らすひより先生。その様子に気付いた茉莉亜は、自然と声をかけていた。


「どうかしましたか? 先生。」


「あっ、茉莉亜さん!」


 ひより先生は少しホッとしたように顔を輝かせる。


「実は、空野君に届けなきゃいけない書類があるんだけど、今日お休みしてて……どうしようか困ってて。」


「なら私、届けましょうか?」


 茉莉亜がさらりと申し出ると、ひより先生はパッと顔を明るくして、目をキラキラと輝かせる。


「えっ、本当!? 助かる~! 先生、他の仕事で手が離せなくて困ってたの! ありがとう、茉莉亜さん!Café Pleiades(カフェ プレアデス)ってお店が空野君の家なんだ。よろしくねー!」


 ひより先生は机に置いていた書類を大事そうに抱え、茉莉亜へ手渡す。


「これ、昴君にね。よろしくお願いします!」


「わかりました。」


 書類を受け取り、ひより先生の元気すぎるお礼の言葉を背に、茉莉亜は教室を出ていく。昴の家――カフェへ向かう足取りは、少しだけ軽やかだった。



 夕方、少し日が傾き始めた頃。茉莉亜は昴の家に併設されているカフェ「Café Pleiades」にたどり着いた。


「ここ……初めて来るけれど、素敵なカフェね。」


 木目調の温かみのある看板とおしゃれな外観に、茉莉亜は思わず感嘆の声を漏らす。カラン、とドアベルを鳴らしながら店内に足を踏み入れると――カウンターの奥で作業をしていた女性が顔を上げた。


「いらっしゃ――」


 女性――澪は茉莉亜の姿を見て、一瞬きょとんとした表情を浮かべる。


「……あら? 初めてのお客さんかしら。」


「あ、こんにちは。昴君に学校の書類を届けに来たんです。」


 茉莉亜は控えめに微笑みながら説明する。


「ああ、昴の友達? へぇ、珍しいわね。」


 澪はニコリと笑い、エプロンを整えながら茉莉亜をまじまじと見つめた。


「ふふ、礼儀正しくて可愛い子だこと。」


「ありがとうございます……。」


 少し照れた様子の茉莉亜を見て、澪は優しく微笑んだ。


「昴なら家の方で寝てるわ。筋肉痛で動けないらしくてね。」


「そんなにひどいんですね……。」


「ふふ、無茶しちゃうところがあるのよ、あの子。昴の部屋に行って、届けてあげて。」


 澪に案内され、カフェの奥にある住居スペースへと向かう茉莉亜。心の中で少し緊張しつつも、いつもと違う昴の姿に会えることへの期待があった。




 茉莉亜が澪に案内されて、住居スペースの扉の前に立った。コンコン、と軽くノックをする。


「昴君、起きてる?」


「……ん? 誰……?」


 中から聞こえる昴のぼんやりした声。澪が軽く笑いながら「お邪魔します」と声をかけ、茉莉亜を部屋の中に通す。


 そこには、布団にぐったりと寝転がっている昴の姿があった。


「茉莉亜さん!? なんでここに……っ!」


 驚いて上半身を起こそうとする昴――が、次の瞬間。


「ああっ、いでででっ! ……っつ……」


「ほら、無理しちゃダメ!」


 慌てて茉莉亜が昴の布団に手を添え、彼をベッドに押し戻す。昴は顔をしかめながら息を吐き出した。


「……なんで、急に茉莉亜さんが?」


「ひより先生から、学校の書類を届けに来たの。それに、お見舞いも。」


 茉莉亜は優しく言いながら、手にしていた書類を机に置く。そして、ベッドの上で動けずにいる昴をじっと見つめた。


「そんなになるまで頑張っちゃって……。」


 昴は黙って顔を少し赤くしながら目を逸らす。その姿に、茉莉亜はくすっと笑った。


「でも、そんな昴君に――ご褒美をあげるね。」


「ご褒美?」


 驚いた顔で見返す昴。茉莉亜はふわりと微笑みながら「少し待ってて」と言い残し、すっと部屋から出て行った。


「……なんだよ、ご褒美って……」


 ひとり残された昴は、顔を赤くしながら布団に寝転がり、痛みとともに気持ちのざわつきを感じていた――。



 茉莉亜は部屋を出た後、トイレに入り、手に持った袋をじっと見つめていた。その袋には、彼女が家の人に頼んで急遽用意してもらったナース服が収められている。


「……恥ずかしいけど。」


 茉莉亜は、小さな声で呟いた。


 ――千春さんと美容院に行ったり、最近、昴君はちょっとずつ変わってきてる。私も、もっと積極的にならないと……。


 その思いが彼女を突き動かしていた。ふと、控室の小さな鏡に映る自分を見て、顔がじわっと赤くなる。


「……うかうかしてたら、昴君が取られちゃう。」


 深呼吸をして、茉莉亜は意を決して着替え始めた――。



 昴の部屋は相変わらず静かだ。筋肉痛で動けずに布団に寝転がる昴は、天井をぼんやり見つめていた。


「……ご褒美って、なんなんだよ。」


 独り言を呟いたそのとき、ドアが小さくノックされた。


「昴君、入っていい?」


 茉莉亜の声に、昴は布団から顔だけを出して「……ああ」と返事をする。そして――


「……っ!?」


 次の瞬間、目に飛び込んできた光景に、昴は言葉を失った。


 そこには、真っ白なナース服姿の茉莉亜が立っていたのだ。


 ――ショート丈のワンピースに、袖はふんわりとしたシルエット。胸元は控えめながらも柔らかな曲線が感じられ、腰のあたりはキュッと締まっている。その姿は彼女のスタイルを際立たせていた。


 長い金髪が白衣の上で揺れ、うっすらと頬を染めた茉莉亜の表情はどこか照れくさそうだ。


「……どう、かな?」


 視線を落とし、控えめに裾をつまむ茉莉亜。


「……は、はぁっ!? なんだその格好!」


 昴は一瞬で顔を真っ赤にして飛び起きようとする――が、


「あいててててっ……っ!」


 筋肉痛が全身を襲い、ベッドに逆戻りする。


「もう、無理しちゃダメだってば。」


 茉莉亜がクスクスと笑いながらベッドの横に座る。


「……何、なんでナース服なんだよ。」


 顔を覆いながら文句を言う昴に、茉莉亜は少し拗ねたように唇を尖らせる。


「だって、昴君にご褒美って言ったでしょ? それに――」


 顔を赤くしながらも、茉莉亜は続ける。


「頑張ったらご褒美あげるって約束したじゃない。……昴君が望んだことだよ?」



 茉莉亜は、小さなタオルを手に取りながら笑顔で言った。


「まずは、マッサージからね!」


「は!? ちょっと待て!」


 昴の拒否反応を無視して、茉莉亜は「じっとしてて!」と、布団をめくる。


「痛いところ、教えてね?」


「いや、痛くないところがないんだよ……っ!」


 昴は半ば叫びながら、必死に身を縮める。しかし、茉莉亜は優しい手つきで彼の肩や腕に触れていく。


「……ここ、凝ってる。」


「あいてっ! そこ! そこ痛い!!」


「ふふ、やっぱり無茶しすぎたんじゃない?」


 茉莉亜が少し意地悪な笑みを浮かべ、指先でツボを押すたびに、昴は悶絶しながら布団を掴む。


「痛いって言ってるじゃん!」


「我慢我慢! 痛いのは効いてる証拠だよ?」


 どこか楽しそうにからかいながら、茉莉亜は昴の筋肉痛に効くマッサージを続ける。


 ――とはいえ、その姿勢が絶妙に近く、ふわりと香るシャンプーの香りや、チラッと見えるナース服の白さに、昴の心臓はバクバクと跳ね続けていた。


「……ね、ねえ。近いよ……。」


「ん? 何か言った?」


「な、なんでもない……っ!」


 焦る昴の様子に気付いているのか、いないのか。茉莉亜は楽しそうに笑っていた。


「はい、終わり!」


 ひと通りのマッサージを終えると、茉莉亜は満足げに手を叩く。昴は息も絶え絶えの状態で布団に倒れ込んだ。


「……茉莉亜さん、容赦ないね。」


「ふふ、これで少しは楽になったんじゃない?」


 茉莉亜が笑顔で見つめると、昴は照れ隠しのように顔を逸らす。


「……まぁ、少しは。」


 その言葉を聞いて、茉莉亜はふっと優しい表情を浮かべた。


「……昴君、無茶しすぎちゃダメだよ。私、心配だから。」


 その一言に、昴の胸の奥がドキリとする。


「……茉莉亜さん。それってそういう…?」


「友達としてお見舞いは当たり前のことでしょ?」


 茉莉亜がいたずらっぽくウインクをして見せる。


「友達のお見舞いにナース服は普通着ないと思う…。」


 布団をかぶって顔を隠す昴。その様子を見て、茉莉亜はクスクスと笑いながら立ち上がった。


「今日はこれくらいにしておくね。でも――」


 帰り際、茉莉亜は小さな声で言った。


「これからも頑張った昴君にだけ見せてあげるからね。次は昴君のリクエストでいいよ」


 その言葉が、昴の耳に小さく残る。


 顔を赤くしながら布団の中でもだえる昴。――その日、彼の筋肉痛は一段と痛みつつも、どこか嬉しさを感じる一日となった。



― ― ― ― ―

 今日もお読みいただきありがとうございます。

 ★★★評価、応援、コメントをお待ちしています。頂けたらとても励みになります。

 まだの方がいましたら是非お力添えをお願いします!

 皆様の応援が何よりの活力でございます。よろしくお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る