第14話 酔っ払い襲来

 夕暮れのチャイムが鳴り、学校での一日がようやく終わった。昴は肩にかけたカバンをかけ、帰ろうとすると千春が声をかけてきた。


「昴くん、ちょっと待って」


 小走りで駆け寄る千春は、ふんわりと揺れる髪を手で整えながら、得意げに笑っている。


「ん? どうかした?」


 昴が立ち止まって振り向くと、千春は小さなバッグを肩にかけたまま、にやりと笑みを浮かべた。


「美容院に一緒に行くって約束、ちゃんと覚えてるわよね? BBQのとき約束したじゃない。」


「あー、そんなことも言ってたっけな。」


 昴は面倒くさそうに首をかしげながら返事をするが、千春の視線はその程度では引き下がるつもりがない。


「そんなことも、じゃないわよ! 髪が伸びっぱなしでボサボサなんだから、ちゃんと整えなさいと。ほら、私が選んだ美容院なら間違いないから!」


「分かった、分かったよ。行けばいいんだろ?」


 昴はしぶしぶといった様子で肩をすくめたが、千春は満足げに笑顔を見せた。


「よし、それでいいの! 明日、10時に駅前集合ね。遅刻なんかしたら、許さないから!」


 千春は強気に言い残すと、楽しそうに手を振りながらその場を離れていった。


 千春と別れてようやく帰ろうとすると、今度は後ろから陽気な声が聞こえてきた。


「おーい、昴!」


 振り返ると、スポーツバッグを肩にかけた優翔が駆け寄ってくる。


「お前、なんか急いでるように見えるけど、どこ行くんだよ?」


「急いでないよ。千春さんに美容院の約束押し付けられただけだ。」


 昴が少し面倒くさそうに答えると、優翔は笑いながら昴の肩を軽く叩いた。


「ははっ、千春らしいな。でもさ、お前もそろそろ見た目気にした方がいいんじゃねぇの?」


「そうだよね。美容院苦手だけど頑張ってくるよ。それより、何か用?」


「おう、日曜日の話だよ。お前、暇してるんだろ? トレーニング行こうぜ!」


「トレーニング? いいよ。優翔と一緒にしてみたかったし……。何時からする?」


「朝からやって昼くらいには終わる予定! 体動かして、スッキリしようぜ!」


 優翔は拳を軽く振りながら、満面の笑みを浮かべる。


「じゃあ決まりだな。日曜の朝、駅前に集合だ! 遅れんなよ?」


「優翔こそね。」


 昴は笑いながら、その場を後にした。千春の強引さと優翔の無邪気な誘い――二人に引っ張られるように週末の予定が埋まっていく。彼は少しだけ気を引き締めながら、再び家に向かって歩き出した。


 土日の予定が決まったことで、昴の気持ちは軽くなった。学校生活が終わり、これから家で待っているのはまた別の忙しさだが、それでも、友人たちと過ごす週末が楽しみで仕方なかった。



 家のドアを開けると、カフェの奥から明るい声が響いてきた。


「昴、おかえり! ちょうどいいところに帰ってきたわね!」


 母親の空野澪が、カウンター越しに満面の笑みで昴に手を振った。その様子を見て、昴は「あ、これは嫌な予感がする」と心の中で呟く。


「何だよ、また何か頼む気だろ?」


 警戒心を隠そうともしない昴に、澪はさらににっこりと微笑んだ。


「その通り! 今日ね、飲み友達が来るのよ。だから、何かおつまみを作ってくれない?」


「またかよ……。ついこの間もやってたじゃん。」


 昴は呆れたようにため息をつくが、澪はまったく動じずに続けた。


「だって、楽しいんだもの! 昴が作る料理って、みんなすごく褒めてくれるのよ。この間なんて、『昴君って本当に高校生なの?』って感心されちゃったわ。」


「そんなの知らないし。勝手に宣伝しないでくれよ。」


 文句を言いながらも、昴はエプロンを手に取り、台所へ向かう。


「で、今日は何作ればいいんだよ。」


 彼がぶっきらぼうに聞くと、澪は嬉しそうに近づいてきて、小さなメモを差し出した。


「これ、使える食材ね。ズッキーニ、エビ、イカ、それからトマト缶も余ってるわ。あと、冷蔵庫の食材も適当に使って!あとは昴のセンスにお任せ!」


「センスにお任せって……。そんな無茶振り、普通の母親はしないだろ。」


 呆れ顔の昴だったが、冷蔵庫を見ながら頭の中でメニューを組み立てていく。


「ズッキーニか。衣をつけて下味をつけてフライドズッキーニを作ろうかな。サクサクして、中からズッキーニがトロッとなる感じが美味しいし。」


 一人でぶつぶつと呟きながら、さらに思案を巡らせる。


「トマトとチーズがあるならカプレーゼにしようかな。キウイもあるのか…。そしたら、キウイを合わせてソースを作ろう。おしゃれで見栄えもいいし。」


 彼の手はすでに調理器具を探し始めている。次に、イカとエビ、トマト缶を見てふと考え込む。


「エビとイカ、あとトマト缶もあるならパエリア風にしてみようか。サフランは…ないか。カレー粉を入れてスパイス感をだしたらいいか。」


 昴は冷蔵庫から米を取り出し、フライパンを引っ張り出す。


「これで決まりだな……フライドズッキーニ、キウイソースのカプレーゼ、シーフードパエリア。いい感じにお洒落なメニューじゃないかな。」


 口元に少しだけ得意げな笑みを浮かべると、昴はすぐさま準備に取り掛かった。料理中の音と、鼻をくすぐる香りがキッチンに満ちていく。


「昴、本当に助かるわ~。こういうとき、料理上手な息子がいると便利ねぇ。」


 カウンター越しに昴を見つめながら澪が軽口を叩く。


「褒めてるつもりだろうけど、結局僕を便利扱いしてるだけじゃないか。母さんがつくればいいじゃないか。」


 昴が半分呆れたように返すと、澪はくすくすと笑った。


「だって本当に便利なんだもの! あ、そうそう、飲み友達はね、今回はちょっと若い人だから、いつもの料理より少しオシャレにしてくれると助かるわ~。」


「何だよその情報、もっと早く言ってよ……まぁ、ちょうどいい感じのメニューになりそうだから、黙って待ってて。」


 昴は手際よくフライパンに具材を放り込みながら、すっかり調理モードに入っていた。


 フライパンの中でズッキーニがじゅわっと音を立てながら揚がっている。昴は菜箸で軽く返しながら、油の跳ねに注意して作業を進めていた。


「よし、いい感じだな。このままカリッと揚がれば――」


 その時、カフェの入り口に取り付けられた小さなベルがチリンと鳴り、誰かが扉を開けた音が聞こえた。続いて、澪の元気な声が響く。


「来た来た~!」


 エプロン姿の昴は少しだけ首を傾げ、台所から顔を出す。


「こんな時間に誰だよ……また変わった人呼んでないだろうな?」


 玄関の方を覗き込むと、澪が勢いよくドアを開けて、外に立つ人物を迎え入れていた。


「いらっしゃい! 待ってたわよ~!」


 そこに現れたのは――まさかのひより先生だった。淡いピンクのニットに白いパンツという、普段の教師らしい雰囲気とは違う柔らかな私服姿だ。見慣れない装いに驚きながらも、昴は思わず声を上げた。


「えっ、なんでひより先生が!?」


 その言葉に反応して、ひより先生も驚いたように昴の方を振り向く。


「空野くん!? あ、あれ、空野って澪さんと同じ苗字……? えっ、もしかして……」


 先生はその場で固まり、目をパチパチと瞬かせている。一方で、澪は状況を楽しんでいるかのように笑顔を浮かべながら、二人の間を見比べた。


「そうよ~。昴は私の息子なの。ひよりちゃん、知らなかったんだ?」


「そ、そうだったんですか!? まさかこんな偶然が……」


 ひより先生は頬を赤らめながら、慌てて頭を下げた。


「な、なんかすみません……突然お邪魔してしまって……」


 昴はまだ状況が飲み込めない様子で、ひより先生と澪を交互に見つめる。


「いや、別に謝らなくてもいいですけど……ていうか、なんでうちにいるんですか?」


 すると澪が軽く手を叩きながら説明を始めた。


「ひよりちゃんとはね、飲み友達なのよ! この間居酒屋でで意気投合しちゃって、それからちょくちょく一緒に飲むの。」


「飲み友達……?」


 昴は目を丸くしてその言葉を繰り返した。


「そ、そういうことなんです……私、澪さんとお話しするのが楽しくて……」


 ひより先生は恥ずかしそうに微笑みながら、ダイニングテーブルの席に腰を下ろした。淡いピンクのニットが柔らかい光を反射し、普段の学校で見る姿とは全く違うリラックスした雰囲気を醸し出している。


「でも、昴くんが澪さんの息子だなんて本当にびっくりしました……」


「僕だってびっくりしてますけど……ていうか、そんなこと学校で一言も言ってなかったじゃないですか!」


 昴が少し困惑しながらツッコむと、ひより先生はさらに恥ずかしそうにうつむいた。


「私も気づいていなかったんです!……その……でも、学校とは別の場でこうして会うのも、なんだか不思議ですね。」


「そういうもんですかね……」


 昴がそう言いながら肩をすくめると、澪が口を挟んだ。


「まあまあ! そんなに堅くならないで、今日は楽しくやりましょう! ひよりちゃん、ほら、座って座って!」


「はい、すみません、お邪魔します……」


 ひより先生は澪の勧めで、テーブルの奥に座ると、すぐにカウンター越しの澪に向かって声を上げた。


「澪さん、聞いてください! この間のBBQ、本当に大変だったんです……!」


 その瞬間、先生の表情が急に真剣になり、愚痴の嵐が始まった。焼き場の混乱、材料が足りなくなったこと、生徒たちの行動の問題点――次から次へと話が溢れてくる。


「ひより先生、愚痴言うのはいいですけど……手短にお願いしますよ。ズッキーニ焦げそうなんで。」


 昴が揚げ物を続けながら横目でひより先生を見つめると、先生は少し照れくさそうに微笑みを浮かべた。


「ご、ごめんなさい。でも、本当に澪さんには聞いてほしかったんです……!」


 その光景を見て、澪は楽しそうに笑った。


「いいわよ、いいわよ! どんどん話しちゃって。昴、料理は任せたからね!」


 昴は半ば呆れながらも、フライパンを握る手を休めることなく、次の料理の準備に取り掛かるのだった。



 ワインを半分ほど飲んだ頃、ひより先生の顔がほんのり赤く染まり始めた。そして、言葉遣いが柔らかくなり、甘えるようなトーンに変わる。


「昴君って、本当に料理上手ね~。高校生なのに、こんなにしっかりしてるなんて……すごいなぁ~。」


 台所で忙しく動いている昴を、ひより先生はじっと見つめながら言う。


「いや、別に普通ですけど……」


 昴はそっけなく返事をするが、その視線に気づき、少し気まずそうに目をそらした。


 さらにお酒が進むと、ひより先生の「甘やかし癖」が全開になる。


「ねえ、昴君、本当にすごいよ~。こんなにお料理できるなんて、偉いねぇ!」


 ひより先生がふらりと台所に近寄り、突然、昴の頭に手を伸ばして優しくなでなでする。


「いい子いい子~!」


「え、ちょっ、先生! 何やってんですか!」


 昴は慌てて後ずさるが、ひより先生は満面の笑みを浮かべたまま、手を止める気配がない。


「だって、頑張ってる昴君が可愛いんだもん~!」


 その光景を見た澪は、笑いながら「ひよりちゃん、完全に酔っ払ってるわね~。大丈夫?」と声をかけるが、止める気はなさそうだ。


 昴は「母さん、ちょっと止めてよ!」と訴えるが、澪は肩をすくめて「まあまあ、こういうのも楽しいじゃない」と軽く流した。


 昴がひより先生の「甘やかし攻撃」をなんとかかわしつつ、料理を仕上げると、テーブルには彩り豊かな料理が並んだ。フライドズッキーニ、キウイソースのカプレーゼ、パエリア――どれも昴の手際の良さが光る見事な品だ。


「すご~い! これ、全部昴君が作ったの?」


 ひより先生は目を輝かせながら料理を見つめ、ワイン片手にふらりと昴の方へ近づく。


「まあ……頼まれたんで、仕方なくですけど。」


 昴はそっけなく答えたが、どこか誇らしげな様子も見える。


 ひより先生はすかさず昴の腕を掴み、そのままダイニングチェアに座らせた。


「昴君も一緒に食べましょ! こんなに美味しそうなんだもん、作った人も味わわないと損だよ~!」


「いや、俺はいいですって。片付けもあるし――」


 そう言おうとする昴を、ひより先生はふわりと抱きしめた。


「ね~、一緒に食べてよ~。昴君の料理、みんなで楽しみたいの!」


 頬を昴の肩に軽く押し付けながら甘えるひより先生に、昴は完全に固まる。


「ちょっ、先生、マジで離れてくださいって!」


 昴は困惑しながらも、ひより先生の意外な大胆さに押されてしまう。


 澪はその様子を見て、「あらあら、ひより先生、かなり酔ってるみたいね~」と微笑むが、特に止める気配はない。


 ひより先生はそのまま昴の隣に座り、料理を一口食べるたびに感動の声を上げた。


「美味しい~! フライドズッキーニ、こんなにサクサクなのに、中がしっとりしてるなんて……昴君、天才じゃない?」


「それに、このキウイソース、すっごく爽やか! こんなの考えつくなんて、本当にすごい!」


 昴は「普通ですけど」とぶっきらぼうに返しつつも、赤面して視線を逸らす。


 さらにワインが進むと、ひより先生の甘え方はさらにエスカレートした。

「昴君、いつか私の家にもご飯作りに来てほしいな~!」と、上目遣いで昴を見つめながらお願いする。


「いやいや、先生にそんなことできるわけないでしょ。」


 昴は困惑しながら断るが、ひより先生はまるで聞いていない様子でさらに身を寄せる。


「ね~、お願いだよ~。昴君のご飯、また食べたいの~!」


 ひより先生は腕を絡めてきそうな勢いで甘えてくる。


 その様子を見た澪が、ついに声を上げた。

「はいはい、ひより、ストップ! そんなことしたら職を失うわよ。ひよりちゃんったら完全に酔っ払ってるわね。もうこれ以上はやめときなさい。」


 澪が軽く肩を叩くと、ひより先生は一瞬だけしょんぼりした顔を見せたが、すぐに笑顔を取り戻した。


「は~い、澪さんに怒られちゃった~。」


 昴は心底ホッとしたようにため息をつく。

「まったく、ひより先生って意外と面倒な人だな……」

 小声でつぶやいたが、それを聞いた澪は「そこが可愛いところじゃない?」と悪戯っぽく笑った。


 テーブルに並んだ料理を満喫しながら、ひより先生と澪は楽しそうに話を続けた。昴はその光景を横目に見ながら、疲れつつも少しだけ誇らしい気持ちを抱いていた。



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 看護師たちの日常を覗いてみませんか?

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