第10話 食欲が育む絆 ー準備編ー

 放課後の教室に、ひより先生の明るい声が響く。


「えっと、みんなー!ちょっと静かにしてくださいー!」


 教卓の前で両手を広げながら、ひより先生が生徒たちを落ち着かせた。


「次の校外学習はBBQです!」


 その一言で、教室は一気にざわつき始めた。陽キャたちは「マジ?最高!」と盛り上がり、一方で大人しい生徒たちは「…そういうの苦手なんだよな」とぼそりと呟く。


「みんな、親睦を深めるチャンスだから、楽しんでねー!」


 いつも通りの抜けた笑顔で促すひより先生だったが、生徒たちの反応は様々だった。


「それじゃあ、男女混合で班を作ってもらいます!人数制限は特にありません!自由に班を作ってください!」


 先生の発言により、教室の空気は一層ざわつく。


「おいおい、それじゃバラバラでやるなんてつまんねえだろ!」

 教室の後ろで椅子を引き、堂々と立ち上がった雷央が、声を張り上げる。


「クラス全員で一つのグループにしようぜ!せっかく親睦を深めるって目的なんだから、みんなで一緒にやった方が楽しいに決まってる!」


 雷央の提案に、陽キャの男子たちは「それいいじゃん!」と賛同するが、それ以外の生徒たちは微妙な反応を見せていた。


「うーん、私は遠慮しておくわ。」


 茉莉亜が、雷央の熱意を一蹴するように、穏やかに微笑みながら断った。


「少人数の方が落ち着いて過ごせるの。それに、昴くんや千春さんともっと話してみたいから。」


「なんだよそれ、全員でやった方が絶対楽しいって!」


 雷央は少し苛立った様子で反論するが、茉莉亜は動じず、にこやかな表情を崩さない。


「私も失礼するわ。」


 茉莉亜の隣に立っていた千春も、優雅な仕草で一歩引きながら言葉を添えた。


「みんなでやるのも素敵だと思うけれど、私は小さなグループで過ごす方が好きなの。天道くん、どうぞ楽しんでね。」


 穏やかで上品な物言いだったが、その断固とした態度に雷央はさらに苛立ちを覚える。


「悪いけど、俺もパスだな。」


 最後に、優翔が肩をすくめて立ち上がった。


「自分のペースでやりたいんだよね。大人数だと疲れるし。悪いけど。」


「えー、もういいじゃん!」


 そんな雷央の苛立ちを制するように、花音が立ち上がる。彼女は可愛らしい顔を少しむっとさせながら、雷央の腕を軽く引っ張った。


「ほら、三人がやりたくないなら、別に無理に誘わなくていいじゃん。ね?」


 言葉は柔らかいが、その目には嫉妬と独占欲がちらつく。茉莉亜や千春が、雷央の提案をはっきりと拒絶したことに対する感情が垣間見えた。


「雷央くんのグループに入らないなんて、変だよね。」


 最後の一言には、茉莉亜や千春への当てつけが含まれているようだったが、二人はその挑発に表情を変えることなく、上品に微笑むだけだった。


 雷央は結局、花音の言葉に押される形で諦めることにしたが、内心の不満は隠せなかった。


「チッ、つまんねえ。」


 そう小さく舌打ちしながら、クラスの陽キャたちを巻き込んで、大グループを結成することになった。一方で、昴、茉莉亜、千春、優翔の四人は、少人数のグループを結成し、それぞれのペースで準備を進めることになったのだった。


 昴はそんな状況に戸惑いつつも、茉莉亜や千春が自分を選んでくれたことに、少しだけ安心していた。



 昴、優翔、茉莉亜、千春の4人は教室の一角に集まってメニューを話し合い始めた。茉莉亜はにっこりと笑顔を向けながら、まず昴に声をかける。


「空野くんは何が食べたい?」


「え? 僕は……みんなが食べたいものでいいよ。」


 昴が少し照れくさそうに答えると、茉莉亜はほんのりと不満げな表情を浮かべた。


「そう言うと思ったわ。でも、たまには自分の希望を言ってもいいんじゃない?」


 そんなやりとりの中、優翔が腕を組みながら真剣な顔で口を開く。


「俺はさ、やっぱり肉が食べたいな! 漫画とかで出てくるあの漫画肉みたいなやつ、あれがいい!」


「漫画肉?」


「ほら、骨の周りに大きな肉がついてるやつ! あれ、めっちゃ豪快でテンション上がるじゃん!」


 優翔の話に目を輝かせる茉莉亜を横目に、昴は軽く苦笑いを浮かべながら首を振った。


「それはちょっと無理だけど、豪快な肉ならシュラスコとかどうかな?」


「シュラスコ? なんだそれ?」


 優翔が首をかしげると、昴は説明を始めた。


「シュラスコっていうのは、ブラジルの料理で、肉に塩を揉み込んで串に刺して焼くんだ。現地だといろんなソースをつけて食べるけど、今回は塩麴を使って下味をつければ、もっと柔らかくてジューシーに仕上がるよ。」


「ほぉ……なんかうまそうだな!」


 昴の説明に、優翔は満足げに頷いた。


 一方、茉莉亜は何かを思い出すように手を顎に添え、ぽつりとつぶやいた。


「手でチキンを豪快に食べるのって、なんだか憧れるわね……」


「憧れる?」


 昴が不思議そうに聞き返すと、茉莉亜は小さく頷いた。


「私、家ではマナーに厳しく育てられたから、手で食べるのはあまり……でも、映画とかで見るとすごく楽しそうで。」


 その言葉に昴は少し考え込むと、提案を口にした。


「じゃあ、バッファローウイングなんてどうかな? 手で食べる料理の代表格だよ。鶏の手羽をカリッと焼いて、スパイシーなソースを絡めるんだ。」


「スパイシーなソース……面白そうね! それに決まり!」


 茉莉亜が満足げに頷くのを見て、昴も安心した様子だった。


「私はアヒージョがいいかな。」


 おっとりした口調で千春が提案した。


「アヒージョ?」


「うん。オリーブオイルとにんにくで具材を煮る料理。美味しいって聞いたことがあるの。」


「いいね、シーフードとか野菜を使えば色どりも綺麗だし、オリーブオイルで煮るから香りも良くなる。」


 昴が千春の提案を受け入れる中、千春は少し申し訳なさそうに付け加えた。


「でも……にんにくの匂いが気になるかもしれないわね。」


「なるほど。それなら、にんにくを使わないで生姜とタイムで風味をつける方法があるよ。」


 昴の迅速な対策に千春も安心したように微笑んだ。


「でもさ、これだけで足りるかな?」


 優翔が心配そうに尋ねると、昴は小さく頷きながら答える。


「じゃあ、アヒージョの残りのオイルを使って、最後にオイルパスタを作ろうか。麺だけ茹でればすぐにできるし、オイルの旨味を全部活用できる。」


「それは良いわね!」


 茉莉亜が拍手をしながら喜び、優翔と千春もそれに賛成した。こうして、昴たちのメニューは決まったのだった。



 一方、教室の別の一角では、雷央が大きな声で提案をしていた。


「BBQと言えば、やっぱハンバーガーだろ!これで決まりじゃね?」


 自信満々に宣言する雷央の声に、クラスメイトたちは軽く頷いた。


「確かに、ハンバーガーは王道だよな!」


「あんまり凝ったやつじゃなくて、簡単なのがいいし。」


 その場のノリで同意する声が飛び交う中、誰かが声を上げた。


「ポテトもやりたい!ハンバーガーにはポテトだろ!」


「いいね、炭火で焼いたら絶対うまいって!」


「じゃあ、ハンバーグ焼いてパンに挟むだけにしようぜ。超簡単だし!」


 話題はすぐに「何を挟むか」に移り、教室内は一気に盛り上がりを見せた。


「チーズめっちゃ入れたい!濃厚で最高だろ!」

「いやいや、ベーコンとトマトの組み合わせが最強だって!」

「レタスも欲しいな、シャキシャキ感がいるっしょ!」


 次々とアイデアが飛び交い、誰もが目を輝かせている。しかし、実際の段取りや必要な準備について考える者は誰もいなかった。雷央が勢いよく手を叩き、まとめに入る。


「よし、決まり!ハンバーガーとポテトで行こう!詳細は当日なんとかするっしょ!」


「おー!」という声と共に、雰囲気だけはやけに高まった。


 その様子を教室の端で見ていた昴、茉莉亜、千春、優翔の四人。


「すごい盛り上がりね。」茉莉亜が微笑みながら言うが、その目は冷静だった。


「準備とか大丈夫なのかしら。」千春が静かに疑問を口にする。


「まぁ、雷央の性格なら、きっと勢いでどうにかするつもりなんだろうな。」優翔は苦笑いしながら答えた。


 四人は特に口を挟むことなく、その場を後にするのだった。



 学校近くのスーパーに入った昴たちは、メニューに必要なものを確認しながら買い物を進めていった。


「まずはアヒージョ用のシーフードミックスと冷凍野菜を探そう。」


 昴がリストを見ながら話すと、千春が冷蔵コーナーの方を指さした。


「生のシーフードの方が新鮮で美味しそうじゃない?」


「確かにそうだけど、冷凍の方がコスパがいいんだ。保冷剤代わりにもなるから、現地までの移動で品質が落ちる心配もないしね。」


 昴が丁寧に説明すると、千春は納得したように頷いた。


「なるほど!さすがだね、空野くん。」


 茉莉亜が続いて野菜コーナーで生のパプリカを手に取る。


「これ、彩りも綺麗で良いと思うけど…どうかしら?」


「パプリカも冷凍のがあればそっちにしよう。冷凍野菜ならカット済みで手間も省けるしね。」


 昴が微笑んで答えると、茉莉亜は少し残念そうにしながらも「分かったわ。」とカゴに冷凍野菜を入れた。


「次はバッファローウイング用の鶏肉だね。手羽元が必要だから肉売り場に行こう。」


 昴がリードしながら進むと、優翔が「がっつりしたのがいいから、特大サイズの肉とかないかな?」と興味津々で探し始めた。


「特大サイズの骨付き肉は難しいけど、手羽元なら食べごたえもあるし、焼きやすいよ。家で下味をつけておけばもっと美味しくなる。」


 昴が手羽元のパックを手に取りながら説明する。


「じゃあ、それで決まりだな!」優翔が笑顔で答えた。


 調味料コーナーでは千春がオリーブオイルを手に取り、「これでいいのかな?」と確認する。


「うん、それで十分。あとは塩麹も忘れずに買おう。」


 昴がリストを確認しながら答えた。


「シュラスコってどんな肉を使うんだ?」優翔が首を傾げながら昴に尋ねる。


「基本的には塊肉なら何でもいけるけど、今回は赤身で柔らかい部位がいいと思う。イチボなんてどうかな?脂身が少なくて、炭火で焼くと美味しいんだよ。」


 昴が説明すると、優翔は「イチボ?聞いたことないけど、なんか美味そう!」と目を輝かせた。


「でも、こんなスーパーにあるのかしら?」


 茉莉亜が少し心配そうに話すと、昴は「大丈夫。最近のスーパーは品揃えがいいから、きっと見つかるよ」と落ち着いた口調で返す。


 肉売り場を探していると、昴がイチボの塊肉を発見した。


「これだ!これならみんなで豪快に焼いて切り分けられるね。」


 昴が嬉しそうにパックを手に取りながら振り返ると、優翔も「おお、これめっちゃいいじゃん!炭火で焼いたら最高だろうな!」とテンションを上げる。


 茉莉亜がその肉を見ながら、「でも、これ結構高いわね…予算は大丈夫?」と心配そうに聞く。


 昴はパックを持ちながら計算を始めた。「うん、大丈夫。アヒージョ用の食材は冷凍を選んだから予算に余裕がある。それに、このイチボなら塩麹で下味をつければさらに柔らかくなるし、少しずつ切り分けても満足感が出せるよ。」


 千春が感心した様子で「空野くん、ほんとに計画的だね。シュラスコなんて初めてだけど、楽しみ!」と微笑むと、茉莉亜も「さすがね。空野くんがいれば何でもうまくいきそう」と、どこか得意げに昴を見つめた。


 最後に飲み物コーナーで、昴が話し始めた。


「飲み物は僕がレモネードシロップを家から持ってくるから、炭酸水だけ買っておこう。それでお手軽にレモネードが作れるよ。」


「それ、すごくオシャレ!」千春が感心し、茉莉亜も「楽しみだわ」と微笑む。


 すべての買い物を終えたところで昴がリストを再確認。


「これで全部だね。無駄もなく、ちょうど予算内に収まったと思う。」


「空野くんがいてくれて助かるわね。」茉莉亜が満足そうに微笑み、優翔はカゴを持ちながら「俺の荷物係ぶりも良かっただろ?」と冗談を言い、一同が笑顔でスーパーを後にした。



 一方、雷央を中心としたグループの買い出しは計画性など全くなかった。


「よーし、みんな適当に好きなもん取ってこい!パンと肉があればなんとかなるだろ!」


 雷央が声を張り上げると、グループのメンバーはスーパー内に散らばっていった。


 しかし、計画性のない行動はすぐに問題を生んだ。


「え、ハンバーグ用のパティって、どれ買うんだ?」

「調味料って何が必要だっけ?適当にケチャップでいっか!」


 肝心な具材を見落とすメンバーが続出し、誰も全体の状況を把握していない状態だった。その一方で、ジュースやお菓子など不要なものばかりカゴに追加され、荷物はどんどん増えていく。


「俺、ジュース係な!コーラとファンタでいいだろ!」

「それめっちゃ重いけど…まぁ、いいか。」


 パンコーナーでの会話も散漫だった。

「バンズこれでいい?それとももっとデカいの?」

「どっちでも良くね?見た目で選ぼうぜ!」


 結局、計画が曖昧なまま買い物が終了。レジで会計をした際には予算ギリギリで、全員が軽い焦りを覚えたが、雷央は特に気にした様子もなく「まぁ、どうにかなるっしょ!」と笑顔を浮かべた。


 その後、荷物を抱えたメンバーたちは、あまりの重さに少し後悔するが、文句を言いながらも何とか運び出した。



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