第9話 初めてのご褒美
夕方の陽が教室に差し込む中、導野ひよりが教壇に立ち、少し疲れた様子で微笑んだ。
「みなさん、今日も一日お疲れ様です!」
クラス全体がざわつきながらも、ひよりの声に耳を傾ける。
「それでは、放課後の連絡です。今日は部活が休みなので、せっかくですし、新しいクラスメイト同士で親睦を深める時間を作ってみてくださいね! 特に行事とかじゃなくて、自由に楽しんでくれたらいいなと思います!」
その言葉に、クラスの中心に座る天道雷央がすかさず手を挙げた。
「親睦会だろ?じゃあカラオケ行こうぜ!」
雷央と仲の良いメンバーが一斉に盛り上がる。
「いいね、それ!」
「カラオケとか久しぶりじゃん!」
雷央は得意げに教室を見回しながら、「ほら、全員で行こうぜ!」と声を張り上げた。
しかし、一部の生徒たちは微妙な顔をしていた。千春が隣に座る茉莉亜に小声で話しかける。
「親睦会って言っても、ああいうのばっかりよね……どうする?」
茉莉亜は少し考えたあと、穏やかに微笑んで言った。
「ごめんなさい、私たちは予定があるって言おうか。」
千春は頷き、ちらりと雷央を見る。その視線には少し冷ややかなものが混じっていた。
一方、優翔は席を立ちながら、ため息交じりに言った。
「悪いな、俺はトレーニングがあるから無理だわ。」
雷央は「なんだよそれ、つまんねえな!」と不満そうに言うが、優翔は軽く肩をすくめてそれ以上は何も言わなかった。
そして、雷央の視線が教室の後ろにいる昴に向かう。だが、彼は昴には何も言わず、まるで存在しないかのように他の生徒たちに声をかけ続ける。
昴はその様子を静かに見つめながら、心の中で小さくため息をついた。
「……まあ、誘われないよな。俺なんか。」
教室の隅でそれを見ていた茉莉亜と千春、そして優翔はそれぞれ複雑な感情を抱いていた。
千春は軽く眉をひそめ、「一人だけ誘わないって、ちょっとひどくない?」と小声でつぶやく。
優翔は腕を組みながら、「あいつ、そういうとこあるよな」と低く言い、茉莉亜は静かに昴を見つめながら「……空野くん、本当に気にしてないのかしら」と心配そうに呟いた。
雷央の誘いにほとんどのクラスメイトがのり教室を出て行った。一部の生徒は嫌そうな表情を浮かべながら。
残された昴は自分の席でカバンを片付けながら窓の外を眺める。
「親睦って、こういうことなのか……?」
その呟きは誰にも聞こえなかったが、どこか空虚な響きを持っていた。
昴がぼんやりと窓の外を眺めていると、背後から聞き慣れた声がした。
「おい、空野。」
振り返ると、優翔が立っていた。腕にはトレーニング用のバッグを抱え、屈託のない笑顔を浮かべている。
「なんだよ、一人で拗ねてんのか?」
昴は少し驚きつつも、慌てて表情を取り繕う。
「拗ねてなんかないよ。ただ……別に俺、ああいうの得意じゃないし。」
優翔はそんな昴をじっと見つめた後、少し笑って肩を軽く叩いた。
「まあ、そういうのもあるよな。でもさ、お前が誘われなかったのはお前のせいじゃねえよ。あいつが悪いだけだ。」
その一言が、昴の心に静かに響いた。
「俺さ、正直言うけど、お前があいつらの輪に入る必要なんてないと思うぞ。それより、自分のペースでやれることをやれよ。」
励ますような口調で話す優翔の声は、どこか優しさと温かさが混じっていた。
「それにさ、あんまり気にするな。お前のこと見てるやつ、ちゃんといるからさ。」
昴は少し目を丸くして優翔を見つめる。彼の言葉に嘘はない。むしろ、普段何気なく見えるこの友人の中にある真っ直ぐさが、昴の胸にじんわりと広がる。
「じゃあな、俺、トレーニングあるから先に行くわ。また明日!」
優翔はそのまま教室を出て行く。
「また明日……」
昴はその言葉を小さく呟いた。
“また明日”。それは当たり前の言葉のはずなのに、どこか特別な響きを持っていた。
昴は窓の外に目を戻しながら、小さく微笑んだ。
「また明日か……それも悪くないな。」
明日が少しだけ待ち遠しく思えたのは、久しぶりのことだった。
昴が一人、席に戻りながら机に肘をついてぼんやりと窓の外を眺めていると、ふと柔らかな声が背後から聞こえた。
「空野くん。」
振り返ると、茉莉亜が立っていた。清楚な佇まいはそのままだが、その表情には普段の穏やかさだけではない、何か特別なものが宿っているように見える。
「えっと、さっきの自己紹介、良かったと思う。」
昴は一瞬驚いて目を見開いた後、慌てて頭を掻く。
「そうかな。そんな大したこと言ってないけど……」
茉莉亜は小さく微笑み、少しだけ首を傾けた。
「そうじゃないよ。あの場で、自分の得意なことをちゃんと言えたのって、すごいと思う。それに、料理が得意なんて素敵だと思うな。」
「ありがとう……」
昴は照れくさそうに目を逸らすが、その頬がわずかに赤くなっているのを茉莉亜は見逃さなかった。
その様子を見ていた千春が、珍しく口を開く。
「空野くん、実家がカフェなんだよね?それって、どんな料理を作るの?」
茉莉亜が自分から声をかける様子を初めて目の当たりにし、少し気になったのか、千春が話題に加わる。
「え? ああ、うちは主にデザートとか軽食が多いかな。フレンチトーストとか、サンドイッチとか。」
「わあ、それって美味しそうだね。空野くんが作るの?」千春が興味津々に問いかける。
「うん。母さんが忙しいときは手伝うことがあるから、俺がやることもあるよ。」
茉莉亜はそのやり取りをそっと聞きながら、少し誇らしげな表情を浮かべる。
「空野くんの料理、いつか食べてみたいな。」茉莉亜がぽつりと呟く。
「えっ!?」昴は驚きの声を上げ、茉莉亜と目が合う。そのまっすぐな瞳に、彼は言葉を失う。
「私も……食べてみたいかも。」千春が控えめに続けた。
ふとしたことで始まった会話だったが、茉莉亜と千春の間にはどこか微妙な空気が流れていた。昴にはその理由が分からなかったが、二人の視線が交差するたびに、妙な緊張感が教室に漂っているように感じた。
千春が話を終えた後、ふと腕時計を見て小さく息をつく。
「ごめん、私、生徒会の用事があって……行かなきゃ。」
「生徒会? 八坂さん、生徒会役員なんだ。」昴が驚いて声を上げる。
千春は軽くうなずいて、「副会長だから、色々と忙しいの。でも、また話そうね。」と言い残して足早に教室を後にした。
残された教室に、昴と茉莉亜だけが残る。茉莉亜は微笑みながら昴の方に歩み寄り、彼の隣の席に腰を下ろした。
「空野くん、今日は頑張ってたね。」
「え? 頑張ってた……かな。」昴は照れたように目をそらす。
茉莉亜は柔らかく笑って、机に肘をつきながら顔を少し傾けた。
「うん。ちゃんと自分のことをみんなに伝えようとしてたし、すごく真剣だった。そういうところ、すごく素敵だと思う。」
「そ、そうかな……。」
茉莉亜はさらに近づき、小さな声で続けた。
「だからね、頑張っていた空野くんには、ご褒美をあげないとね。」
昴はその言葉に驚き、茉莉亜の顔を見つめる。彼女の瞳は穏やかだが、どこか特別な意志を感じさせた。
「ご、ご褒美って……何を?」
「うーん、それは、私が決めていいの?」茉莉亜は少しだけいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「えっ、いや、その……何でもいい、けど……。」
昴は少し顔を赤らめながら、照れくさそうに言った。
「あ、あの…何でもいいなら、ちょっとお願いがあるんだけど。」
「何かしら?」
茉莉亜は微笑みながら問いかける。
昴は顔をそむけて、さらに言いにくそうに続ける。
「あの、もしよかったら…『にゃあ』って言ってほしいんだけど。」
茉莉亜は少し驚いたように目を見開くが、すぐにニヤリと微笑む。
「ふふっ、そんなことをお願いでいいの?。でも、わかったわ。」
そう言うと、茉莉亜は照れくさい様子で手を頭にあて、耳のように見立てる。顔を赤くしながら、恥ずかしそうに言った。
「にゃあ…」
その一言に、昴は思わず顔が熱くなり、心臓が高鳴った。彼はその瞬間、茉莉亜の可愛らしさに圧倒されるのを感じた。
「っ…ありがとう、天音さん…」
茉莉亜は恥ずかしそうに微笑みながら、軽く照れ隠しのように頭を下げた。
「どういたしまして。それとね、もう一つご褒美。」
茉莉亜は軽く立ち上がり、昴の顔の高さに視線を合わせると、少しだけ近づいてこう囁いた。
「明日も頑張ってね。」
その優しい声と距離感に、昴は思わず胸が高鳴るのを感じた。茉莉亜はそのまま笑顔を浮かべながら教室を後にした。
一人残された昴は、茉莉亜の言葉を反芻していた。
― ― ― ― ―
今日もお読みいただきありがとうございます。
★★★評価、応援、コメントをお待ちしています。頂けたらとても励みになります。
まだの方がいましたら是非お力添えをお願いします!
皆様の応援が何よりの活力でございます。よろしくお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます