第2話 こうして僕は神に捨てられた

 春休みも終わりが近づいていた。空野昴そらのすばるはカバンを片手に、一人歩いていた。新しいクラスメイトとの出会いや、新学期の始まりを目前に控えたこの季節は、いつもどこか落ち着かない気分にさせられる。今年は特にそうだった。高校2年生になるこの春は、昴にとってこれまで以上に大きな転機になるかもしれない――そんな予感を、昴はぼんやりと感じていた。


 昴はいつものように、本屋で立ち読みをした後だった。最近、読書に没頭している日々が続いていたのは、心の中に溜まったもやもやを紛らわせるためだった。何となく、恋人の神宮司花音じんぐうじかのんとの関係が少しだけぎこちなくなってきていた気がしていたからだ。

 花音とは、いつの間にか自然に付き合うことになった。小さい頃からの幼馴染だから、気付いたら一緒にいることが多くなり、気がつけば恋人になっていた――そんな関係だった。


 だが、その日、昴はいつもの道を歩きながら、何気なく目にした一瞬の出来事に、心が引き裂かれるような思いをした。

 公園の角を曲がると、目の前に現れたのは、花音と同じ高校の天道雷央てんどうれおだった。昴はその二人がどうしてこんなところにいるのか、すぐには理解できなかった。だが、彼の目の前で繰り広げられるのは、まるで現実であることを否定するかのような、異様で衝撃的な光景だった。


 花音は、雷央と肩を寄せ合いながら、笑顔で話していた。だが、その後、何も言わずに互いに見つめ合い、ゆっくりと唇を重ねた。その瞬間、昴は足がすくみ、息を呑んだ。


「そんな……」


 昴の胸が痛んだ。目の前で、花音と雷央が親密な関係にあるということを目の当たりにして、何も言葉が出なかった。自分は、ずっと花音を信じてきた。けれど、今、この瞬間、彼の心の中で何かが崩れ落ちる音が聞こえた。


 その二人は、何も気にせずに唇を重ね合っていた。その姿を目の当たりにした昴は、まるで自分の体が重くなるような感覚に襲われ、しばらくその場から動けなくなった。

 それでも、昴はその後、意を決して声をかけることにした。


「花音……?」


 彼の声は、震えていた。花音は驚いたように振り向き、顔を赤らめながらも、何もなかったかのように言った。


「昴くん……?どうしてこんなところに?」


 その声にはどこか冷たい響きがあった。昴は胸が締めつけられる思いを感じながらも、やり場のない怒りと悲しみを必死に押し込めていた。


「それ、どういうことだ?」


 昴の声は今にも崩れそうだった。花音は少しだけ顔を背けると、深いため息をついてから言った。


「昴くん、実は……私、雷央と付き合ってるの。」


 その言葉に、昴は一瞬、頭が真っ白になった。まるで何もかもが信じられなくなった。彼はずっと花音を信じていたのに、まさかこんなことになるなんて――


「な……」


 言葉が出なかった。昴はその場で呆然と立ち尽くし、ただ花音の顔を見つめていた。だが、花音はまるでそれが当然であるかのように、言葉を続けた。


「ごめんなさい、昴くん。あなたには悪いけど、雷央とは違うのよ。彼は私を見てくれるし、私のことを引っ張ってくれる。昴くんは、ただ優しいだけで、私のことをちゃんと考えてくれなかった。」


 その言葉に、昴の胸は凍りついた。彼はいつだって花音を大切にしてきた。何もかも、花音のために――。それなのに、花音は自分の優しさを、むしろ負担に感じていたのだろうか。

 昴の視界がぼやけ始めたその時、雷央が自信に満ちた歩き方で昴の前に立ちふさがった。


「おい、空野。花音は俺のものだ。お前、気づいてなかったのか?」


 その言葉が、昴の心に刃のように突き刺さった。昴はその場で硬直し、何も言えなかった。彼は心の中で必死に、何かを探そうとしたが、何も見つけることができなかった。


「お前さ、ほんとウザいんだよ。」


雷央が一歩前に出て、昴を指さす。


「ぼっちのくせにヒョロヒョロで根暗なやつが、花音みたいな可愛い女と付き合ってるとか、マジありえねぇわ。」


 昴はその言葉に息をのんだ。


「な、何だって……?」


「言っとくけどな、花音は俺のもんだ。」


雷央はあからさまに勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「お前みたいな陰キャ野郎が、何でこんな可愛い女と付き合えてたのか不思議で仕方ねぇけど――まあ、もう終わりだよな。」


 花音は焦った様子を一瞬見せたが、すぐにその顔を硬くした。


「雷央……やめて。」


「いいだろ別に。事実を教えてやってんだよ。」


 雷央の声は冷たく、容赦がなかった。その刃のような言葉は、昴の胸に深く突き刺さる。


「……最低だな。」


 昴の口から出た言葉はかすれていて、自分でも驚くほど弱々しかった。けれど、その声もまた雷央には届かず、彼は鼻で笑っただけだった。その言葉を聞いた昴は、もはや何も感じなかった。すべてが無意味に思えた。これまでの時間、これまでの関係が、すべて幻想だったように感じられた。


 その後、花音と雷央は手を繋ぎながら、昴を無視して去っていった。昴はその背中をただ見つめるしかなかった。何も言わず、何もできず、ただ二人が離れていくのを目の当たりにしていた。

 昴の心の中は、無数の思考で埋め尽くされていた。花音との関係は一体何だったのか。雷央は一体どうしてこんなことを――。自分は一体、何をしていたのか。

 その場に立ち尽くし、昴は自分を見失ったように感じた。



 昴はしばらくその場に立ち尽くしていた。空はすっかり暗くなり、静かな公園の中には、ただ風の音だけが響いていた。昴の目からは、涙がこぼれることもなく、ただ虚ろな目でその場に立っていた。

 そのとき、昴の背後から、穏やかな声がかけられた。


「……大丈夫?」


 振り返った昴の目に飛び込んできたのは、天音茉莉亜あまねありまの顔だった。茉莉亜は、優しそうな表情を浮かべ、昴を心配そうに見つめていた。

 その瞬間、昴はようやく自分の存在を思い出したように、ほんの少しだけ目を閉じた。


「天音さん……」


 茉莉亜は、昴の心情を察するかのように、そっとその肩を抱いてくれた。


「空野くん、辛かったよね。何かあったら、言って。私はずっと、空野くんの味方だから。」


 その言葉に、昴は少しだけ胸を温かく感じた。だが、まだ花音と雷央の姿が焼き付いて離れなかった。



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