初恋と殺人

@ramia294

 『壊れる』

 卒業してから、高校を見るのは十年ぶりだ。


 仕事の客先を訪ねると、住所が卒業した高校の近くだった。

 仕事の打ち合わせが終わると、久々に高校まで歩いてみた。


 五分も歩けば、ブロックと金属メッシュの塀が続く校庭が見えてくる。

 さらに、校門まで、数分かかる。

 広い校庭だったのだなと思った。

 あの頃を思い出そうとしたが、なぜか、胸が痛み、思い出せない。

 

 校門に彫られた学校名を懐かしく見ていた。

 忘れていた思い出の一部が蘇る。

 ひとりの女の姿。

 長い黒髪、

 スポーツとは、縁のない白い肌

 細い指と、控えめな性格。


 彼女ではなかった。

 それは、ただのクラスメートだった。

 赤いメガネの奥の、何かに怯えた光が印象的だった。


 それまでは、特に仲が良かったわけでもない。


 明るい性格とはいえないその女とは、話をした事もあまりなかった。

 雪野美冬。

 彼女は、メガネが似合った。


 ある日、教室から陸上部の走る姿を見ていた。

 校庭を走る、僕が秘かに想いを寄せる姿。

 そう、僕の初恋は、美冬ではなく陸上部の彼女の方だ。

 ショートカット、

 明るい笑顔。

 しなやかな足から爆発的なダッシュ力を生み出す彼女は、わが校の期待の星であり、アイドルだった。

 男子は、ほとんどが彼女のファンだった。

 僕は、たまたま席が隣で、会話も多かったので、男子学生たちからのやっかみが多かった。


 放課後はいつも、僕の視線は彼女を追う。

 校庭を走る彼女。

 日野夏美をその日も僕の視線は、探していた。

 しかし、見つける事が、出来ない。

 最近、見かけなくなった。

 ある日を境に彼女は学校に、来なくなった。

 高校生の僕は、ため息をつく。


 学級委員を共にしていた美冬は、僕と共に教室に残っていた。

 そんな僕を見て、美冬はどう思っていたのか?

 珍しくひとりで先に帰っていった。

 メガネの奥の美冬の心を僕は覗くことが出来なかった。


 夏美を見かけなくなった理由。

 誰かに聞かされた気がした。

 心がざわつく。


『これ以上は、壊れる』


 誰かが、囁く声が聞こえる。


 思い出せない。

 いや、思い出してはいけない気がする。


 学校にも来ていない彼女。

 叶わない恋。

 夏美の笑顔の記憶が、霧に霞む。

 高望みの恋。

 このまま、消えてゆくのだろうと自分でも予想出来る初恋。

 定まらない視線で、校庭を見つめていると、帰りが遅くなった。


 階段を降りて行くと誰かが言い争っている音が聞こえた。


 足を止める。

 肉を打つ音と、布を引き裂かれる音が聞こえた。


 足を進める。

 あのメガネの女が、冬美が、体育教師に襲われていた。

 頬が、赤い。

 殴られたのだろう。

 メガネは、弾き飛ばされていた。

 無理矢理開いた口に、教師が舌を入れようとしている。

 制服の一部が裂け、下着が露出していた。

 僕の中で、記憶が頭をもたげようとしていた。

 心がざわつく。


『これ以上は、壊れる』


 誰かが、囁く声が聞こえる。


 足を進める。

 気付いた教師が何か言っている。


 おそらく、口止めだろう。

 

「痛い目に会いたくなかったら……」


 暴力で、僕を脅しているのだろう。

 僕は、踊り場の教師より上段にいた。

 教師が冬美を襲っていた踊り場に置いてあった消火器を持ち上げ、教師の頭に振り下ろした。


『これ以上は、壊れる』


 僕が、囁く声が聞こえる。


 壊れても構わない。


 囁きも

 ざわつきも

 無視する。


 元々、こいつは、気に入らなかった。

 生徒全員を暴力で脅して、思いのままに動かせると思い込んでいる。

 生徒どころか、仲間の教師も脅していると噂があった。

 女性教師や女生徒には、セクハラ。

 死んでも良いクズだ。


 いや、違う。

 何か、こいつに対する殺意が、それとは別に激しく僕の中から湧いてくる。


 頭部の衝撃に、目を見開いたそのクズ教師は、信じられないという表情になる。


 容赦せずもう二撃、振り下ろした。

 皮膚が、弾けて、陥没して砕けた頭骨の一部が露出した。

 それで終わりだった。


 クズに相応ふさわしい、最期だった。


 消火器の白い粉が、白く踊り場を染めたが、クズの周囲は、粉に自身の流した血が吸われて赤く染まった。


 上着を脱ぎ、ようやくメガネを拾ったその暗い性格の女の肩にかけた。


 クズ教師の足を掴み、そのまま引きずりながら階段を降りた。

 階段の段差の衝撃を一段一段、頭部で拾っていたが、起きなかった。

 クズ教師は完全に死んだらしい。


 そのまま、校庭の片すみに、浅く穴を掘って埋めた。

 暗い性格の女も少し手伝った。


 その体育教師の姿が消えても、誰も騒がなかった。

 無断欠勤扱いが、しばらく続くと、解雇されたらしいと噂に聞いた。

 教師を綺麗に埋めた場所が、荒らされていた時もあったが、何も起こらなかった。


 高校生のあのときの記憶が、蘇った。

 今頃になって、再び心がざわつく。


 クルマの中のスコップを持ち、埋めた場所に、行ってみた。

 少し掘ってみる。


 浅い場所で、頭蓋骨が、現れた。


 ざわつく心の意味は、あのとき、クラスメイトを襲ったクズ教師に対する怒りだったようだ。


 容赦なく、頭蓋骨を踏み潰す。


 気配を感じ、振り向く。

 女が、ひとり立っていた。


 見知った顔だ。

 もうメガネは、かけていなかったが、その目の中の光はあのときと同じ。

 


「思い出したのね。ありがとう。あのとき、助けてもらったお礼を言わないと」


 あの時から、時間が経った。

 彼女は、自分の持つ暗さを少しずつ捨ててきた。


 彼女は、僕からスコップを奪い、粉々になった頭蓋骨を埋めた。


 思い出した。

 あのとき、美冬から陸上部のあの娘の事を知らされた。

 

 あの殺人の少し前。

 陸上部のその娘は、あのクズ教師に襲われた。

 誰もいない教室に呼び出され、

 そのまま……。


 近くに助ける人は、いなかった。

 心と身体が壊れた彼女は、二度と学校へは来なかった。


『これ以上は、壊れる』


 その囁きは、それから僕の中で繰り返された。


 彼女と仲の良かった、美冬は、体育教師を許せず、責めた。

 あの揉め事はその時のものだ。


 殺人からしばらくして、陸上部だった彼女は、自分の身に起きた事に耐えられず、自殺した。

 彼女と仲の良かった、美冬は暗い表情でその事を放課後の教室でそっと教えてくれた。


 その事を知った時、何かが聞こえた。

 気づけば、僕の口から悲鳴の様な、怒声の様な、大声が出ていた。

 しかし、涙を流す事は、出来なかった。


 それから、気を失ったらしい。

 あの体育教師は、僕の心も壊したのだ。


 いや、そうではない。

 おそらく、殺人の前、美冬に教室の事件を聞かされたとき、既に壊れていたのだと思う。


 気が付いた時には、一連の記憶を失っていたらしい。


「思い出したのね」


 目の前のその女は、現在の僕の妻だった。


 美冬は、失った記憶と壊れた心を抱えた僕を あのときから、懸命に支えてくれた。


「あの時についた、あなたの彼女だという嘘。許せないよね。そのため、私と結婚までさせられて」


 彼女は、名前の入った離婚届を僕に渡した。


 失った記憶。

 壊れた心。

 僕が、何とか生き続けてこれたのは、彼女のおかげだ。

 あの嘘のおかげで、封印した僕の記憶に押しつぶされず今まで生きてこれた。

 妻は、壊れた僕の心を拾い集めて、長い時間をかけ、繋ぎ合わせてくれていたのだ。

 人生を僕に捧げてくれた様なものだ。


 僕の初恋は陸上部のあの娘だった。

 しかし、

 初めて愛した女性は、妻だった。

 そして、これからも変わりなく愛し続けるだろう。

 願わくば、妻にもそうであってほしい。


 僕は、妻を抱き寄せ、あのとき流せなかった涙を流した。


         終わり


 




 


 

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