第11話 train of thought その4

その時の蘭子さんは驚きのあまり、そんな所にレコードの店があることを不思議とも思わず、むしろ感動して店内に足を踏み入れていた。

ざっと店内を見渡す限り、今となっては珍しいレコードの専門店らしかった。


葵ちゃん達にも教えてあげよう


蘭子さんは興奮しながら店舗内に所狭しと並べられたレコードの数々を眺めている内に、どうしてか、最近自分の作曲が思うようにいっていないことを意識し始めていた。


と、その時蘭子さんは店内に音楽が流れていることに気付く。

さっきは驚きのあまり気がつかなかった。

見ると、駅中の小さなコンビニ程度の空間の真ん中に腰の高さの狭い台があり、その上でレコードが回っている。


葵さんや凛子さんほどレコードプレイヤーに詳しくない蘭子さんだったが、かなり年季の入ったレトロなものだという事だけは分かった。


耳をそばだて、その音楽を聴いた。


すぐには自分に何が起きているのか分からなかった。

目頭が熱い。

頬に違和感を覚えて手で触れる。なぜか雨に打たれたように濡れていた。


呼吸も苦しかった。

視界がぼやけ、嗚咽が込み上げてきた時はじめて、自分は泣いているのだと気付いた。

気付いたところで涙は止まらない。


まるで幽霊か何かに胸の中に手を突っ込まれて、めちゃくちゃにしようと乱暴に掻き回されているようだった。

蘭子さんはそのレコードから流れてくる音楽を聴きながら、両手で胸を押さえて背中を丸め、誰かにそんな姿を見られる心配も忘れて激しく嗚咽した。


どれだけ泣いたのか、自分がなぜ泣いたのか何も分からなかった。


けど、涙がようやく枯れると、蘭子さんはそのレコードをどうしても手に入れたくなっていた。

台の上にはレコードプレイヤーとその上で回転するレコード。

そしてそのレコードのものだろう、パッケージのフィルムを剥いた縦横約30cmのジャケットが1枚だけ、ディスプレイ用のスタンドに立てかけてある。


新品のそのレコードがどこにも見当たらない。

店員に聞こうと、まだ涙で潤んでいる声で何度も人を呼んだが誰も現れなかった。

蘭子さんはどうしてもそのレコードが欲しかった。


だから、我慢できなかった。


そのレコードのジャケットは真っ白。そして中にはやはり、いま回転しているレコードの保護フィルムが入っている。

蘭子さんは悪い事とは分かっていたけれど、そのレコードを勝手に外し、保護フィルムに包むとジャケットの中に収めた。

そのままレジに向かう。


常に持ち歩いてあるメモ帳にボールペンで『レコードの代金』と書く。

現金で今持っている全財産の1万円札を迷わず財布から出し、それをメモと一緒に置いて逃げるように店を出た。


向かいのホームへの階段を駆け下りる。

タイミングよく、阪急の小豆色の電車がホームに滑り込んでくるところだった。

ドアが開き、中に走り込む。

電車に走り込む寸前、背後から、


「それは幻の1553番だ!」


と叫ぶ声が聞こえた気がした。

振り返ると同時にドアが閉まる。

驚きと恐怖で心臓がバクバク跳ね上がるのを感じながら、窓からホームを見渡した。

だがそこには誰もいなかった。

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