第7話 失踪とコメダ珈琲 その3

話を終えてお店を出た。


元町のコメダ珈琲は2階だけが店舗で、階段を降りると出入口の扉に突き当たる。

扉を開け外に出れば、そこは休日で混雑する元町商店街の往来。

通行の邪魔にならないよう看板の脇に寄って、ちょっと頭を下げてコーヒーをご馳走になったお礼を言った。


「コーヒーご馳走様でした」

「おう。大人になったら私にちゃんと奢れよ」


凛子さんは冗談めかして笑う。そしてスマホでサッと時間を確認した。


「じゃあ私はこれから用があるから」

「今日も倉庫のバイトですか?」

「いや。授業は無いんだけど大学に用事があるんだよ」

そう答えて軽く左手を上げる。

別れる時いつもする凛子さんの仕草だ。


「また連絡する。まあ蘭子のことはそんなに心配するな。あいつアレでも自分から死んだりするような性格してないから」


言って私の肩を軽くポンと叩いた。

そしてサッと背中を向け、商店街の雑踏を足早に遠ざかっていった。


私はその背中を見送る。

休日の人混みの中でも…いや、人混みだからこそ際立って目立つ美しい後ろ姿。

そのバンドTを着たスラリとした背中が雑踏の中に完全に消えるまで見送りながら、私は店を出る前に凛子さんがした話を思い返した。


凛子さんはサービスの豆菓子を小皿に空けて摘みながら、私に右手を伸ばしてスマホの画面を見せてくる。

「これが蘭子からの最後のメッセージ」

「ちょっ、不吉な言い方やめてくださいよ」

「読まなくていいのか」

「読みますよ。えーっと…」


『また逢う日までお達者で 東雲蘭子』


「なんですかこれ。旅立つ侍の書き置きじゃないですか」

「私もそう思った」

「ひょっとして蘭子さん…私たちをからかってないですか?」

「あいつがド天然なのは知ってるだろ」


蘭子さんの数あるエピソードを思い出す。


大学の授業初日から違うキャンパスに行った話はその中でも笑って済ませられるほうだ。

入学祝いに買ってもらったばかりの新車を2日で廃車にし、20歳の誕生日に改めて買ってもらった車を名古屋のパーキングエリアに停めたまま忘れて、新幹線で神戸に帰ってきたのはもうゾッとする話の部類だった。


「天才とバカは紙一重やからね」

葵さんが容赦なくそう言った時、申し訳ないけどすっと腑に落ちてしまった。


「確かに蘭子さんらしいといえば…らしいですね」

「このLINEが9月28日。お前に連絡する4日前の夜に来たメッセージだ。翌日にはもう行方が分からなくなった」

「あっ」

「今ので何か分かったのか?」

「いやそうじゃないんですけど…蘭子さんが例のアルバムを手に入れた場所が分かれば、手がかりが掴めるんじゃないかって」


凛子さんが複雑な表情をした。


「どうしたんです?」

「それがな…どこで手に入れたのかアイツにもよく分からないらしいんだ」

「え? どういうことですかそれ?」


凛子さんはうーんと唸って頭をポリポリ搔く。椅子の背もたれに仰け反り、しばらく天井を仰ぎ見る。

天井を見つめたまま、複雑そうな声で言葉を続けた。


「これはな、飽くまでも蘭子から聞いた話だから。細かい事は聞くなよ。聞かれても私にも分からないんだから…」


凛子さんの姿が人波の中に見えなくなる。

私も振り返って歩き始めた。

阪急の三ノ宮駅に向かった凛子さんとは反対の方向だ。

商店街と道路が交差する所にかかる横断歩道の手前で右に曲がる。

そのまま歩くとやがて街並みの向こうにまだ夏の陽射しが名残る眩しい青空、JRの高架線、わずかに六甲山の緑の稜線が見えてきた。


私の家はJR元町駅と阪急花隈駅のちょうど真ん中、しかもさらに山側に10分ほど歩いた所にある。朝はこの駅までの距離がしんどい。

JRの高架下を通り抜ける時。

突然激しい音が響き、ずっとまとまらない考え事をしていた私は驚いてビクッとなった。


「ひゃ!」

ただの高架線を列車が走っていく音だった。

「なんだ、電車か…」


ふとさっきの会話が脳裏によみがえる。

凛子さんもあの時、戸惑いを隠せない表情でそう言っていた。


「蘭子は自分でもどこなのか分からない駅で電車を降りた…そこであのレコードを見つけたんだ」

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