第5話 失踪とコメダ珈琲 その1
2024年10月5日土曜日。正午。
約束通り元町商店街にあるコメダ珈琲に行くと、満席に近い店内の壁際のテーブル席に凛子さんの姿があった。
ここは凛子さんお気に入りの店舗。私がバンドに加入した時の歓迎会もここで4人で行われた。
もう近頃は空気が肌寒いのに未だに半袖のバンドTシャツだけを着た凛子さん。
その姿は嫌でも目立つ。
「春香。ここ、ここ」
私に気付いた凛子さんが軽く手を挙げた。ちょっとハスキーで張りのある声は秋の涼風のように人混みでもよく通る。
周りのお客さんの目が私と凛子さんに向く。
私は360度から浴びせられる視線から逃げるように急いで席に着いた。向かいの椅子に座りながら小声で不満を訴える。
「あなたは私の彼氏ですかって…」
「なんて?」
「なーんにも言ってません」
「そうか?」
いつもの如く他人の気持ちをちっとも察そうとしない凛子さん。不思議そうな顔を私に向けている。
「まあいいや。待ちくたびれて腹減ったな」
とおもむろにメニューを手に取った。
「春香は何にする? 私はな、『自慢のドミグラスバーガーハンバーガー』と『ナポリタン』と…」
「私はホットコーヒーでお願いします」
「オッケー。じゃあアイスコーヒーひとつとホットコーヒーひとつ…」
「って、そうじゃなくて!」
私はテーブルに両手を突き腰を浮かせた。
凛子さんが今日私を呼び出したのは会って直接、蘭子さんが失踪した理由を詳しく伝えるためだ。
「蘭子さんが失踪したのに優雅にランチタイムですか?!」
「わかってないな。コメダは優雅にじゃなくて愉快に楽しむエンターテインメントだ」
「どっちでもいいですよ!」
その時他のお客さんたちの驚いた顔が私に向けられているのを知って、慌てて腰を下ろした。
汗が吹き出し耳の端がじーんと熱くなる。
凛子さんが店員さんに注文を伝えている間、私は深呼吸したり来たばかりの水を一気に飲んだりして必死に体を冷却した。
「お待たせしましたー」
と女性の店員さんが注文したものを運んで来てくれる。
凛子さんの前には大きなハンバーガーとバゲット付きのナポリタン。それにアイスコーヒー。
いつもながらよく食べる。
「よし。それじゃあいただきます!」
凛子さんはそう言って手を合わせると美味しそうにデミグラスソースのハンバーガーにかぶりついた。
私は添えられたミルクを全部入れた甘いホットコーヒーを少しずつ飲みながら、凛子さんが夢中でハンバーガーを食べる姿を眺めた。
凛子さんは同時にふたつのことに集中出来ない性格だ。いま話しかけても無駄だった。
ものの2分ほどで大きなハンバーガーを食べ終える。ナポリタンに行く前がチャンスだ。
凛子さんが一息ついてアイスコーヒーに手を伸ばしたタイミングで私は話を切り出した。
「あの…蘭子さんが失踪したって本当なんですか?」
凛子さんはストローで一息にコーヒーを半分以上飲んで唇のソースを親指でギュッと拭うと、ようやく真面目な目付きで私をまっすぐ見た。
「本当だ」
心臓を拳で殴られたような鈍い痛みが走る。
分かってはいたけど、それでもやっぱりまだ信じられなかった。
「それって…事件じゃないんですか? 拉致とか誘拐とか」
「いや、自分から失踪した。蘭子はマンションで1人暮らしだけど宝塚の実家にも帰ってない」
「どうして…」
私は言葉に詰まる。
凛子さんの悠長なLINEで薄々事件じゃないことは察しがついていたけど、むしろその方が理解不可能だ。
蘭子さんと失踪。
ふたつの言葉がどうしても繋がらない。
蘭子さんにはあまりに似合わない不穏な言葉と、そこから連想される不吉なイメージ。
「大学の蘭子の知り合いにも可能な限り当たったんだけど、やっぱり誰も行方を知らないんだ。まるで夜逃げでもしたみたいだよ」
凛子さんはナポリタンの皿の脇のサラダをフォークで刺して口に運んだ。
「あの…警察には届け出たんですか?」
「実家には連絡がついてて、向こうで行方不明者届を出すって」
「そう…なんですか」
私は頭の中で呟く。
警察に行方不明者届が出されたってことは、それはもう立派な事件なんじゃ…?
「凛子さんはその…失踪の理由に心当たりがあるんですよね?」
そう尋ねると凛子さんは、サラダをつつく手を止めた。
「ある…といえば、ある」
「何なんですかそれ。曖昧な言い方は凛子さんらしくないですよっ」
私が身を乗り出して詰問すると、凛子さんは静かに言った。
「だからLINEしたブルーノートの未発見アルバムだよ。伝説…というか殆ど都市伝説の。それを蘭子が見つけたんだ」
「蘭子さんが…?」
その瞬間、偶然だろうけど一瞬だけ店内の物音が一斉に止んだ。
すべてが静まり返ってはじめて、BGMに軽快なピアノの音楽が流れていることに気付いた。
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