10話 よろしく
サグジが立ち去った後も俺は虚空を見つめ続けた。
やがて手中にある鈴に目を移すと、窓から差し込んだ陽光を受けて輝いていた。
「ごめん……。私のせいで。」
声の方を振り返ると、神具を両手で握ったカンナビが眉を顰めていた。
「別に俺はいいけど。いつもそうなのか?」
問いに対し、カンナビは頭に疑問符を浮かべた。命中率、と付け加えると彼女はばつが悪そうにコクリと頷いた。
自虐で言ったであろうポンコツ巫女とやらは、どうやら嘘ではないらしかった。
「私が
「それさっき本人に却下されてたろ。」
カンナビは短い呻き声を上げると、ため息と共に顔を下げた。
その姿は、まるで雨に濡れた子猫のようで切なく映った。
「……首突っ込んできたのそっちだからな。」
「え。」
カンナビは言葉の意味がわからないと言ったように瞬きをすると、わずかに顔を傾かせた。
「俺らでなんとかするぞ。」
カンナビを守るためにも、彼女と手を組む他なかった。妖異の対処もカンナビなら知っているのだろう。まずは妖異に対しての基本情報を知る必要があった。サグジに聞いてもわかるだろうが、「自分そんなんも知らんと、でかい口叩きよったん?」と煽られるのは目に見えていたので、選択肢に入れるまでもなかった。
妖異への攻撃は、サグジを焦がすほどの威力もあるカンナビの技(術?)を命中さえさせられればなんとかなる気がする。
だんだん希望が見えてくると覚悟を決めて、この世の終わりのような顔をしていたカンナビに手を差し出した。
「その、よろしく。」
照れ臭さを隠すように目を逸らす。少し待っても手を握られない違和感に視線を戻すと、カンナビは目を大きく開かせていた。
「高天野くん、鼻血……。」
「え?」
そう言われて喉の奥に鉄の味がくだった。
なんで、と声に出して、この状況は相手に要らぬ誤解を与えかねないと判断すると、
「あの、違くて、これはそういうのじゃないから。」
両手を振って全否定した。
大丈夫、と返ってくる声には感情が乗っておらず、胸が締め付けられた。
何も心当たりがないどころか、鼻血なんて滅多に出ない。幼少期、父親の投げたコップが顔面に直撃して出たきりだった。
白い制服の半袖シャツに水玉模様を描くように血が垂れると、それ以上服につかないように手で血を受け止めた。
そんな俺を見てオロオロするカンナビがポケットから差し出したのは、うすピンク色の可愛らしいハンカチだった。
「ああいいよ、すぐ止まると思うし。」
「よくない。これ使って。」
流石に女子の持ち物を汚すわけにもいかず、受諾をためらっていると半ば押し付けられるように渡された。受け取る際に指先を染める血がハンカチについてしまい、俺は諦めたように鼻を覆った。
「とりあえず、保健室に。」
「平気だって。」
でも、と続けるカンナビの言葉を遮るように、音質の悪いスピーカーからチャイムの音が流れた。
「「あ。」」
腕時計で時間を確認すると、九時を回っていた。
ホームルームをすっ飛ばし、さらに一時間目の開始時刻を過ぎているのを理解すると、二人で足早に教室に帰った。途中、カンナビに「やっぱり保健室に。」と声をかけられたが、「平気。」と押し通して階段を下った。
* * *
「たった五分なのに反省文と遅刻届って、厳し過ぎないか。」
朝、教室に戻ると白縁メガネをかけた数学教師が血を見て驚いた顔をしたが、心配するより先に「開始時刻に着席していない生徒の参加は認めない。」なんて頭の固いことを言うので、一階にある職員室まで届出をもらい、昼休みに反省文を書きに来いと言われ、今やっと教師たちによる説教が終わったところだった。
また、一日汚れた制服で過ごすわけにもいかず、紺と深緑のダサいジャージに着替えた。長袖が肌にくっついて気持ち悪かったが、さらにダサい体操服を着るよりはマシだった。
「でも、そういう校則だから。」
カンナビも俺と同じように怒られていたが、手に持っている神具のことについては誰一人言及しなかった。これは神社の娘だからか、三柱の神を信仰する村の体裁を守るためか、見逃しているのだろう。
「だから仕方ないって?」
「うん。」
「はあ。」
今日関わるだけで、カンナビは変なところにこだわるきらいがあることがわかった。頑固だ。一度こうと決めたらテコでも動かない。融通も効かない。常に一定のテンションで、感情表現に乏しい割には、急にネガティブになるし泣くし。妖異うんぬんの前にカンナビについて知る必要がありそうだ。
「高天野くん、お昼は?」
「あー、購買でテキトーにパン買うよ。」
「そう。」
腕時計で時間を確認すると、午後の授業の開始が迫っている。いつものカレーパンがまだ残っていることを願いながら、食堂へ歩みを進めようとして、
「あの、」
カンナビに引き止められてしまった。
「よかったらお弁当、作る。」
「それは、俺のために?」
カンナビは無言で頷くと、長い黒髪を人差し指に巻き付けながら目線を逸らした。俺は初めて彼女にも可愛らしいところがあるのだと知った。
「その、今日のお詫びもしたいから。」
「それなら、俺にもこのハンカチ汚したこと謝らせて欲しいんだけど。」
「それば別にいい。」
首を左右に振るカンナビに、「で?」と返答を促すような上目遣いで見つめられた。
ここで断れば彼女との関係が縮まることはないだろう。ここはひとつ、彼女の提案を受け入れるのもいいと思った。
「じゃあお願いしようかな。あ、でも無理はすんなよ。」
「無理じゃない。高天野くんが望むなら頑張る。」
喜怒哀楽、どの表情にも当てはまらない表情から本心は見えない。それどころか、抑揚のない声も口だけなんじゃないかとさえ受け取られかねない。
けれども、そのまっすぐな瞳には
「……下の名前でいい。言いにくいだろ。」
「そんなことない。でも、そう呼んで欲しいなら変える。」
「……。」
なんでも自分で決めてきた俺とは対極にいるような人間。神に死ねと言われたら本当に命を絶ってしまいそうで心配だった。
——じゃあなんであのとき先陣切って当たらない攻撃仕掛けに行ったんだ?
彼女なりの考えがあったのだろうか。じっとカンナビの顔を見つめて見てもその答えは分かりそうになかった。
「……なあカンナビ。放課後時間あるか?」
「うん。なんで?」
「ちょっと話がしたい。」
「いいよ。お宮の掃除やらなきゃだから、あんまり遅くならないなら。」
ついでに壊した祠の元へ連れて行こう。カンナビとなら、妖異から村を救うヒントが見つかるかもしれない。
「じゃあまた後で。」
「またね、リクくん。」
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