9話 本物の神様

 妖異の内側が鈍く光ったかと思えば、泥の塊が勢いよく弾け飛んだ。


「肩慣らしには十分やな。」


 中から現れた背の高い人影の頭には、見覚えのある二つ耳が生えている。


「サグジ……!」

 

 名前を呼ばれた男は浅葱色の袖で隠れた両碗を回すと、やがて右の人差し指をピンと立てて頭上にあげた。すると、伸びた爪の生えた指先に火の玉が宿った。その火の玉が空中で分裂すると、サグジを囲むように漂った。

 先ほどから目を疑う出来事ばかり起きているが、もう驚きはしなかった。それどころかこれから起こるである事象に、胸を高鳴らせている自分がいた。


 ——これならなんとか……!


 目の先で勝利を確信した刹那。


「電光雷轟、かしこみかしこみもうす……!」


「あ。」


 俺の隣で祝詞を唱え終わったカンナビが神具を振り下ろした。

 おおよそ次の展開は読める。校舎内に煌めいた稲妻は一本の芯が通ったように、まっすぐサグジの指先に落ちた。

 その電撃の影響か、サグジが生み出した炎の作用か、妖異たちはサグジを中心にボロボロと灰になって砕け去った。


「……おどれら。」


 ぷすぷすと音を立てながら、頭から煙を立ち昇らせたサグジが鬼の形相で振り返った。

 特徴的な狐耳が大きなツノのように見えて息を呑んだ。今度は腕を折られるだけじゃ済まなそうだった。


「あっ。」


 自分の失態に気がついたのか、カンナビの顔から血の気が完全に引いている。全てを悟ったような絶望に染まった顔を見せるカンナビの瞳は、わずかに潤んで震えている。


「……死にます。」


「待て待て早まるな。」


 真顔で自分の胸に神具を突きつけるカンナビの肩を揺すった。

 

「離して高天野たかまのくん。私は巫女失格です。死んだ方がマシ。いや死んでも極楽には行けず……家に泥を塗り、末代まで祟られ……もう存在が悪なんです。私一人が身を賭して救えるなら、生贄にでも捧げてください。」


「どんだけネガティブなんだよ! 落ち着けって、な。」


 カンナビの声は普段の様子と変わらないものの、大粒の涙が幾度となく目の端からこぼれている。


「二人して罰当たりなやっちゃなほんま。まとめて呪われて死んだ方がええんちゃうか。」


 犬が水気を飛ばすように頭を振ったサグジが呆れた顔で俺たちに近づいた。

 ポロポロと涙をこぼしながら放心状態になっているカンナビの分も詫びると、サグジはフンと鼻を鳴らした。


「あの、どうして来てくれたんですか。」


「どうしても何も、自分が呼んだんやろ。」


 苛立ちを含ませた声を発するサグジに、銀色の鈴を投げつけられた。

 制服の上を滑る鈴をなんとかキャッチすると、サグジを見上げた。


「……この鈴が何か。」


「その鈴鳴らすと神を呼べる。強制的にな。」


「え、最強じゃないですか。」


 祖母の形見にそんな機能が備わっているとは一ミリも知らなかった。そもそもお守りを持ち歩いているとカミサマが守ってくれるなんていう迷信も、ただのまやかしに過ぎず、こうして超常現象を目の当たりにするまでは微塵も信じていなかった。

 この鈴にそんな力があるなら、カミサマたちを使役して妖異を祓ってもらうことも可能なのではないか。もちろんそれなりの条件は存在するのだろうが。

 それでもゲームなんかで使われる神アイテムを彷彿とさせる設定に、らしくないと思いつつもうずうずした。


「不用意に呼び出したら殺すからな。」


 そんなことを考えていると、見透かすように聞こえて来た釘を刺すような冷たい声に背筋が伸びた。


「じゃあ今みたいに妖異が現れたら祓ってくれるんですか。」


「図々しいな。さっきのは昨日の菓子パン分や言うたやろ。」


 カミサマにお願いするには相応の供物がいるらしい。差し出せなかった昨日、身体で払えって言われて——。


「そういえば昨日、俺の腕折ったのって、」


 間違いなくサグジだ。夢じゃないなら、折られた腕だけじゃなく、その前にできた傷も綺麗さっぱり無くなっているのは疑問だった。これもカミサマ……本物の神様の力で直したのだろうか。


「投げたし折ったけど、あのクソアマが拾って治しよった。」


 投げた、拾ったのは鈴のことだろう。そういえば、俺とサグジの間に割って入ってきた眼帯をした彼女も神様なのだろうか。

 

「……三狐神サグジ様、贄として私のこの身を捧げます。どうか村をお守りいただけませんか。」


 泣き止んだのか、目を腫らし、鼻を赤くさせたカンナビが徐に口を開けた。


「おいカンナビ、」


「最初からこうすべきでした。雷を上手く当てられないどころか、サグジ様に落としてしまうポンコツ具合。」


 カンナビは能力を使う際に用いた神具を光の宿らない目で見つめながら自嘲気味に吐いた。よく見ると、金色の塗装が施された神具には細かな傷がついている。


「でもお前家継ぐんだろ? そんなんで死んだら誰が。」


「……弟が、いるので。私より優秀な。」


 重たい空気が流れ、言葉を選ぼうとして、何も返してやれなかった。


「ほなええやん。」


 そんな気遣いを踏みつけるような空気を読まない軽い声が、辺りを一層曇らせた。


「待ってくださいよ。」


 カンナビを庇うように背中に隠すと、一歩前へ出てサグジを呼び止めた。


「何?」


「捧げ物や神器があればあいつら祓ってくれるんですよね。」


「せやな。でも自分ら、なんも用意できへんやろ。」


「する。」


 自然と握る拳に力が入った。


「……高天野くん?」


 不安そうな声が後ろから聞こえたが構わず続けた。


「俺らでなんとかするから」

 

「無理に決まっとるやん。」


 サグジは鼻で嗤った。確かに、俺は鈴の力で神を呼ばなければ妖異を祓うことはできない。そんな人間が啖呵を切ったところで戯言に過ぎないのはわかっている。それでも、


「やってみせる。」


 具体的な手段は思いつかないけれど、ここでカンナビを差し出すのは、彼女を見殺しにするようで耐えられなかった。ならば先刻カンナビが提案したように、妖異の修祓に協力してもらう方が幾分かマシなように思えた。


「そういう目も、根拠のない自信も大嫌いや。」


 そう吐き捨てると、サグジは再び俺たちに背を向けた。


「ま、せいぜい足掻き。」


 片手をあげてひらひらと手を振ると先ほどより早足で去っていった。

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