5話 自称カミサマ

「だって、オレ神やもん。」


「は。」


 今の自分はどんな顔をしているだろうか。神を自称する男を目の当たりにして、軽蔑の念を抱いているのは確かだった。面には出したくなかったが、眉間にわずかに力が入っている。今更普通を装うのは難しそうだった。


「何言ってるんですか。カミサマなんているわけないじゃないですか。それに、仮にカミサマだったとして、人に見えるわけなくないですか。」


「そんなん自分が祠壊したから見えんねやろ。」


「あー……だ、だったら、あなたは何のカミサマなんですか。」


「豊穣。」


 間髪入れず答えた自称神は、「まあ他も色々やっとるけど。」と付け足した。


「豊穣ってことは、サグジ?」


「なんや信仰ない言う割にはよう知っとるやん。」


「まあ、身内に信者がいたんで。」


 へー、と関心がなさげな答えが返ってきた。そこから次の会話を紡ぐのに少しの間を要した。

 

「あの、その……カミサマなら、この村を何とかできるんですか? ヨウイっていうのも。」


「できるんちゃう? 知らんけど。」


「知らんけどて。」


 この男に協力を要するのは得策ではない気がした。


「でも自分、捧げモンも神器も持っとらんやろ。おまけに信仰もないねんから、オレが協力する筋合いもないわな。」


 男の狙いは供物なのだろうか。家の神棚供えられているような野菜やご飯は手元にない。昼に食べ損ねたカレーパンなら鞄に入っていたが、これも供物になるだろうか。

 第一この男、カミサマらしいところが一つもない。そこまで神を自称するなら、超常現象の一つや二つ見せてもらいたいところだ。


「さっきからカミサマ自称してますけど、その耳以外見た目人と同じじゃないですか。本当にカミサマなんですか。具体的にどの辺が人と違うのか見せていただけませんか。」


「ほんま自分おもんないな。親の顔が見てみたいわ。」


 親の顔。あまり触れられたくない話題に言葉が詰まった。初対面だけど苦手なタイプだと感じた瞬間、三メートルほどしか離れていない俺と男の間に、深い溝ができたような気がした。


「作物がようさん育つようになったんは、オレのおかげや。」


 話の収集がつかなくなりそうな空気に顔を顰めた。悪いのは百パーセント自分だが、だんだん面倒くさくなってきた。


「作物育てましたって言われても、それって農家の人の努力なんじゃないんですか。」


「阿呆。土や天候やその他諸々が関係しとんのや。農家は収穫しかしよらん。」


「それはさすがにないでしょう。」


 口先ばかりで、やはりカミサマらしいところなんて一つもなかった。神を名乗る不審者が出たと警察に通報しようかという考えが一瞬過ぎったが、ことの発端は自分が祠を壊したことによるものだったので、諦めるほかなかった。


「ちゅーか、自分祠壊しといて何でそんな態度なん。」


「それは、本当にごめんなさい。カレーパンでよければいりますか?」


「そんなんなんの足しにもならんわ。もらうけど。」


 鞄から差し出したカレーパンを男は強奪するように受け取ると、袋から取り出して咀嚼を始めた。

 完全に相手のペースに飲まれ、こんなことなら寄り道せずに帰ればよかったと後悔していると、カレーパンを食べ終わった男に「まあまあやな。」と味の感想を言われた。


「カレーパン一つでどのくらい直せるんですか。」


「何言うとん。こんなんで協力するわけないやん。」


「でも、今本当に手持ちなくて。」

 

「ほな、身体で払てもらおうか?」


 淡々と提案された言葉に背筋に悪寒が走り、嫌な汗をかいた。五臓六腑、五体満足なこの体は、どこを切り取ってもさぞ高く売れるだろう。


「いやそれはちょっと。」


 ただ、まだ死ぬわけにはいかない。祖母と約束をしたばかりだ。どうやら先に彼岸とやらで待っているらしい。もし本当にそんな場所で祖母が待っているなら、こんなに早く会いに行けば怒られてしまうだろう。

 しかし、唾を飲み込んで打開策を考えようにも、脳がうまく働かなかった。


「なんや、まだ信じてへんのか。まあ気持ちは分からんでもないけどな。」


 見えない溝を飛び越えて、男は俺に近づいた。見れば見るほど顔立ちは整っていた。それに、頭についた耳は本物と言われても納得のいくものだった。

 男は細い目で頭からつま先まで眺めると、唐突に俺の鞄に触れた。


「ちょっと、何するんですか。」


「身体で払うん嫌や言うから。」


「答えになってませんよ。」


 男の異常行動に警戒心をむき出しにするが、背の高い男に鞄を取り上げられると、そのまま中身を物色された。

 ノートや教科書が音を立てて地面に散らばる中、ちりん、と心地よい音を鳴らしながら白銀の鈴が転げ落ちた。


「なんやこれ。」


「それは。」


 祖母の形見。自分の最期を察したかのように、亡くなる前日に俺に渡してきた鈴。

 男はそれを拾い上げると、訝しみながら独り言を唱えた。


「呼び鈴、なんで自分みたいなボケカスが持っとんのや。」


 方言の混じる言葉にはどこか棘がある。

 聞きなれないせいもあるだろうが、相手が俺を快く思っていないことは明白だった。


「返してください。それは祖母がくれたものなんです。」


 ふーん、と心底つまらなさそうに鈴を指先で転がすと、


「こんなゴミ、いらんやろ。」


 男は大きく振りかぶって祖母の形見を放り投げた。

 放物線も見えず、どこに落ちたかもわからなかった。


「何すんだよ!」


「神様なんておらん。そう思うんやったら、あんな御守りもいらんやろ。」


「違う、あれはばあちゃんが生きた証だ。」


 すぐに探そうと男の横を駆け抜けようとして、できなかった。足が空回る感覚と首元に覚えた苦しさで、男に制服の後ろ襟を掴まれたことを理解した。


「なんやばあちゃんの形見やったんけ。てっきり流行りで持っとる御守りや思うたわ。」


 俺を嘲笑う男を、奥歯をギリギリと鳴らして睨んでも、相手は愉悦に浸っているだけだった。


「別にええやん。人間、好きやろ。死んでも心ん中で生きてるってやつ。あんな鈴なくてもおどれが忘れん限り生きとるわ。ってあかん、言うてみたはいいけど、ほんま寒すぎてサブイボ立つわ。」


 口元を覆ってて笑う男に、心がだんだん苛立つのがわかった。抑えなければならないのに、我慢できそうになかった。


「……ばあちゃんは、カミサマのこと信じてたんですよ。」


「で?」


「毎日祝詞唱えて、祈ってたんですよ。」


「それが?」


「神を自称するなら、何か思うことないんですか?」


 声を荒げても男はひたすら面白がるように口角を上げている。


「別に。正味、家で何やしとっても意味ないし。それ時間の無駄やろ。哀れやな。どうせ、願いもしょーもないやつやろ。」

 

 我慢ならなかった。カミサマを信じているわけじゃないのに、カミサマを信じていた祖母を馬鹿にされることが、許せなかった。

 気づくと男の左頬に俺の右拳がめり込んでいた。


「いった。」


 頬は眉間に皺を寄せて不快感をあらわにした。そこでやっと後ろ襟を離されると、地面に座り込んだ。

 見上げると、男は大袈裟に頬を撫でてみせた。


「あ。」


「……神に手ェ上げたん。後悔しても遅いで。」


 じんと痛む右手を男に掴まれると、そのまま手を引き上げられた。


「くっ。」


 足が宙に浮いたところで、肩が鳴った。全体重が右手にかかる。関節が取れそうな痛みに顔を歪めた。

 一向に力を緩めない男に対して脳が警鐘を鳴らすが、なすすべもなく鈍い音が全身に響いた。


「っがぁ……ああ……。」


 膝をついて不快な音がした右手を見ると、本来ならあり得ない方向に手が曲がっていた。

 言葉にならない呻き声をあげても、痛みは引くどころかどんどん増した。


「次は首いこか。」


 六月なのに冷や汗が止まらない。風邪を引いたときのような感覚だった。

 男は覗き込むようにしゃがむと、顔色を変えないまま俺の首の根本を掴んで持ち上げた。


 ——なんで? どうして? ここに来なきゃよかった? カミサマを信じていればよかった? 祠に触らなければこんなことにならなかった?


 最期に脳内を駆け巡るのは後悔ばかりだった。


「……ごめんばあちゃん。」


 死を覚悟した瞬間、体が全体が優しく締め付けられる感覚がした。

 次に来るはずの痛みが来ず、ゆっくり瞼を開けると、男は蔦に体を拘束されていた。何が起きたのかわからず、自分の体を見回すと、男と同じような蔦が絡まっていた。


「はーい、そこまで。」


 凛とした声が上から降り注いだ。


「いやぁ、いいもの見せてもらったよー。まさか、神に手をあげる人間がいるとはね。」


 声の主を探すように見上げると、木の上に人影があった。

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