第11話 お好み焼き
最近のジホは子供が小さかった時の話をよく聞きたがる。
「子供たちが好きだった食べ物は何?」
最近お好み焼きを作っていない。喫茶店の定食のメニューにはなりにくいし、自分一人で作って食べるものでもなかった。でも久し振りに作ってみようか。
ジホと二人でホットプレートを挟んでお酒を飲みながら食べるのも楽しいかもしれない。
「子供が小さかった時はお金がなくて苦労したの。それに私の子育て方針はなかなか人には理解してもらえなかったから周りから虐待と言われたことすらあったわ。
だけど人の意見を全く聞き入れずに自分の好きなように子育て出来たおかげで子育ての悩みなんてものはほとんどなかったし、毎日気持ちよく楽しく過ごせた。」
子供たちには電子おもちゃの類いは一切与えなかったし甘い物も極力避けていた。
子供が風邪をひいても薬で治すのではなくスキンシップで癒そうとした。
当時の主流の子育ては誰もが子供に対して過度な消毒や安全を意識していた。
小さな子供のいる家は子供のために家具の配置や設備をすべて子供仕様に作り替えることが当たり前とされていたし、家の中には子供の細々とした物をすべて買い揃えて準備することがいい母親という認識が高かった。
そう言ったものすべてに疑問を持ち、それに逆行するやり方を取った事で周りからの反感を一斉に受けた。
美しくて清潔、おしゃれで誰もに自慢できるような子育てではなく、もっと泥臭くて原始的な子育てを目指した。
一部の教育ママがそういった方法で子育てしていることが少しずつ広まってはいたけど私のやり方はそういう方針とも少し違ってた。
ただ自分が本能的にいいと思ったことをだれの助言にも耳を貸さずに試した。
ある程度、子供たちが成長すると周りは子供たちが健康だったからうまくいっただけであって、あなたのやり方は子供の尊厳を無視したやり方だって避難され続けた。
もちろん私の子育て法がすべての親に当てはまるわけではないが私の子供は私が一番いいと思ったやり方で育てたかった。子育てに対して後悔もないし、思う存分楽しんだという満足感もある。
夫は子育てには無関心だった。今の時代で無関心というと最低な響きはあるが、子供に愛情はあるものの子育てという仕事にはまったく興味を示さなかった。
自分には不得意だとはっきり潔く私に伝えたし、私に子育ての一切の決定を任せた。
私にとってそれは喜ばしい事だった。誰にでも得意不得意があるのに世間はすべてを一括りにしていい夫、いい父親と囃し立てる。苦手なことを苦手と言わせない風潮が嫌いだった。
だから周りに何を言われても夫は私の子育て論を認めてくれたのだろうし、私のしたいようにできる環境を作ってくれた。
「別れた旦那さんはどんな人?」
私が高校2年の時、彼は英語の特別講師としてうちの学校に配属された。
全校生徒の前で新任教師紹介の場に立った彼はその中で一人だけ目立っていた。
当時はこの辺りに外国人自体が少なかったし、ずば抜けて高い身長や片言の日本語でなんだか頼りない所、少し幼く見える優しい顔立ちに自然と女子生徒の視線が集まった。
初めて彼を意識したのはアンドリューが日本の学校の部活動制度に興味を持ち、各部を体験して回っていた時だった
彼は日本の武道を体験したがっていた。当時の私は剣道部の部長でその時、彼に剣道の基礎を指導した。
アンドリューが道場に現れると女子学生が道場の窓の外に集まった。男子部員に剣道着と袴を着させてもらって更衣室から現れた時、拍手と歓声があがった。
柔道部員と剣道部員が少人数で独占する武道場に関係者以外の生徒が集まる事はほとんどなく、ましてや練習を大勢に見学されるという事は皆無だった。
その時、初めて剣道部が学校で一番注目された瞬間で部員の誰もが固く緊張していた。
彼は道場の備え付けの鏡の前に立ってみて自分の姿を確認すると満足そうに喜んだ。その屈託のない笑顔に女子生徒たちは誰もが歓声をあげた。
しばらく男子部員たちに手取り足取りいろいろ教えてもらっていたがそのうち稽古が始まり、彼らに代わって私がアンドリューを指導した。
鏡の前で剣道の基本的な動きを教えていたが彼のそのちぐはぐな動きがどうしても気になった。
足運びや竹刀の持ち方は慣れてしまうと自然にできるのだが手と足が連携して自然に動くようになるまでには誰もが時間が掛かる。
袴の裾を何度も踏みつけてつまずきそうになる彼をどのように教えればいいのか途方にくれた。
そのうち袴の後ろがずれてきてそれに気付いた私が袴を直してあげようとアンドリューを道場の隅に連れて行った。
剣道の袴は前部と後部に分かれていて背にあたる部分に腰板というのがある。その腰板に柄杓のような滑り止めがあるのだが着慣れていない人はそれを使わないとだらしなく下がってくる。そのやり方を教えてあげたかった。
英語は得意ではなかったので日本語で説明したが彼はどうしても理解できないようだった。仕方なく彼の後ろに回り袴の後ろ部分を外すとなんと彼はパンツをはいていなかった。
前の部分はきちんと隠れていたので他の部員に気付かれることはなかったが反対側にいる私には膝裏からお尻の後ろ姿の全てが見えた。しかし彼は直されている間もまったく動じることなく堂々としていた。私も何もなかったようにきちんと正してあげて練習に戻った。
何もなかったように平然と装ったが17歳の私には衝撃的な出来事としていつまでも記憶に残った。衝撃的だったのは公共の場で男性のおしりを見てしまった事よりもアンドリューのその堂々たる態度だった。
あまりにも堂々と釈然としていたので彼の国では人におしりを見られることに抵抗がないのかとしばらく勘違いしていたほどだ。
一通りの動きができるようになるとアンドリューは満足して練習を終え、着替えて道場を出て行った。
出て行った途端に男子部員たちが私の所にすり寄って来てアンドリューのお尻を見たかと尋ねた。
どうもその男子部員たちが冗談で袴の下はパンツを履いたらいけないと教えたようで彼はその言葉を信じてパンツを脱いで男子部員たちに袴を着せてもらったようだった。
男子部員たちはアンドリューの毛むくじゃらな下半身についてついて面白おかしく笑って話していることに先ほどの衝撃と相まってむかついた。何もわからない未経験者にわざと恥をかかせてそれをネタに笑うなんて最低だと思った。
そしてあまりにも腹が立って我慢できなくなり、思ってもいないような事を口走ってしまった。
「ねえ、知ってた?男が女の胸に目が行ってしまうように女は男のお尻を見てるんだよ。そのお尻の形や肩幅から身体能力や包容力を自然と見極めてるの。
彼があれほど女子生徒から人気があるのも女子は無意識的にそういう所も見ていて総合的に判断してどの男性が魅力的かを考慮して選んでいるんだよ。だからあんなにも完璧な比率の後ろ姿を直に見れた私は超ラッキーかもね。
もしそんな事には全く興味がないのなら今まで通りバカにして笑っていればいいけど本気で女子からもてたいと思うのなら彼からいろんな事を見習うべきだね。」
その衝撃的な言葉にその場の誰もが口を閉ざした。当時の私は自分の発言に力がある事を知っていた。私が何か大きなことを言えばここの部員の誰もが私に従うという関係が日頃から出来上がっていた。
高校生というのは男女共に性の話題にとてもデリケートで誰もが自分の容姿や肉体にコンプレックスを持っているのに性欲だけが膨らんでいく事に悩み苦しんでいる。
それが思春期の若者なのだろう。
誰かが堂々と大きな発言をすれば周りはそれに尊敬の念を持って簡単にその意見に流された。これが経験豊富な大人だとそうはいかなかっただろう。
しかしそれから自分の不意に発したその言葉がきっかけとなって自分自身の意識が変わり、他の女子生徒のようにアンドリューを意識して眼で追うようになっていった。それからは英語が得意になった。
そして英語が得意になれば自然とアンドリューと話す機会も増えた。
アンドリューと会話が弾むほど周りは私に尊敬を持って接してくれるようになり、それは先生たちも同じだった。
しかしこの高校生活の中でアンドリューと私は親しく話をするという事以上は何も起こらなかった。
卒業してからもしばらくは友達のような関係が続いていたがそれが次第に交際へと発展した。だからこの地元の誰もが私たちの出会いを知っているのだ。
「随分と刺激的な話だな。当時の志穂さんは気が強いだとか反抗的だとか言う域をはるかに越えて周りの常識の根底を覆すほどの影響力があったんだろうな。
普通、教師と生徒の恋愛と言えばどうしても淫らで陰湿な想像してしまうもんだけど、その話からはそういう物じゃなくてなんか爽快でスリルのような物さえ感じるよ。」
「夫は私たちの出会いが高校だとは絶対に子供に言わなかった。彼は私たちの出会いは彼の人生で最大のタブーだと思っているみたい。
彼の国ではその事は犯罪や深刻な病気か何かのように扱われて強く非難を受ける行為なの。
子供が生まれて少しずつ成長するとこの土地を離れたがったのはいずれ子供がその事実を知ってしまう事が怖かったみたい。
だけど子供にとっては親がどのようにして出会って惹かれあったのか知らないと言うのは不幸なことだと思うのよ。こうやって離婚してしまった両親ならなおさら知っておいて欲しい事だわ。」
「そんな衝撃的な出会いをした旦那さんと離婚することになった理由は何?」
嫌いになって別れたわけではなかった。ただ彼と私の境遇が一緒に過ごすことを許さなかった。私の母が長い闘病生活の末に亡くなってしばらくすると父の病気が発覚した。母の闘病中から私は一年の半分ほどを日本で過ごすようになっており、父の病気が発覚したのと同じ時、アンドリューの父親が脳卒中で入院した。
子供が3人共すでに大きくなったこともあり、自然と離婚の方向に話が進んだ。
「そういう別れ方だと後悔することはないの?」
後悔は全くなかった。結婚生活と子育てという大仕事をやり切ったという達成感だけが残った。この土地に戻って最初のころは少し寂しさを感じたかもしれない。
だけどこちらでの生活に慣れてくるとそう感じていた事すら忘れていった。
それは1年に一度だけ会う子供たちに対する気持ちに似ている。元気で楽しんで暮らしていると考えるだけで満足だった。
「そんな良好な関係でも離婚に直面するんだな。もしそうなら結婚生活は誰にとっても不可能だね。」
「結婚生活が幸せの象徴で離婚が不幸の象徴と考えられ過ぎているからだわ。本当はどちらもただの出来事なのよ。
恋人同士が別れても経歴に傷が付くわけじゃないのに結婚という形をとると途端に大事になる。
もちろん子供の事で難しくなる一面はあるかもしれないけど世間の見方が大げさで時々うんざりするわ。」
「そうは言うけどおれはいつかぜったい結婚して自分の子供を育てたい。自分の愛情を堂々とすべてをぶつけて守っていくものが明確にある。紗英との事があってよりその気持ちが強くなったよ。」
いつかジホが家族を持った時の事を想像した。ジホは自分の愛情で家族をしっかり守っているつもりになっているが、しかしその裏ではジホの妻が気付かれないようにジホの事を必死で守っている。そんな美しい愛情の姿が想像できた。
そしてそこに私はどういう立場としても関わる事ができなくてジホ自身も今のこの私とのこの歪な関係の記憶を消したいと思っている。少し悲しいけどそんな微笑ましくて幸せな光景をこの目で見たいと思った。
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