第10話 商店街
ゴールデンウィークといってもうちの店には全く影響がないのだが商店街では組合がイベントを企画し、大音量の音楽とくじ引きの鐘の音で久々に活気づいていた。
そして各店舗がその勢いに乗っかって販売に力を入れるのでどの店舗の店主も顔が上気している。その中でも一番張り切っているのがうちのオーナーだ。
こんなに人通りが多い商店街を見るのは学生時代以来だ。私たちが子供の頃にはこの街にもいろんな種類の人がいたような気がするが今は誰もが同じように見えて特別目立った人はいない。
昔は奇抜なファッションと大声で周りの注意を引こうとする若い女子高生やその女の子たちにちょっかいをかける半ぐれのような男の子、どんな生活をしているのか想像ができないいつも酔っ払っているおじさんや、人の粗を探しうわさや悪口を面白おかしく人に聞かせたがるおばさん、子供も大人も強い立場の人間とそうでない人間の差が誰の目からも明らかで小さないじめや争いが各所で見うけられた。
当時その人たちの事を煩わしいと思っていたのに今思うとそれは立派な個性で尊重されるべき人たちだったのかもしれない。今では誰もが恥ずかしくない程度のモラルを持ち、人間性を疑われそうな言動や醜くて恥ずかしい部分を上手に隠して生きているのでトラブルも少ないが誰もが型にはまって見えてしまう。
久々の快晴で店の窓をすべて開け放って空気を入れ替え、店内の掃除をしていると遠くからイベントのアナウンスが聞こえてきた。その雑踏はなぜか体育祭を思い出させる。そしてあの頃の自分の姿を思い出した。
学校帰りに歩きながらスカートを短く折り込み、座れるところがあればどこでだって人目を気にすることなく学校指定の靴下からルーズソックスに履き替えた。
ポケベルを上手に使いこなし、友達皆で横並びに肩を並べて歩き、それが道を塞いで他人の迷惑になっていることにさえ気付かなかった未熟だったあの頃。
買い食いしたり店の前にたむろする事、人を待ち伏せたり、人に電話を掛ける事はたったそれだけの事なのに最高の遊びだった。
ケンカや恋愛、様々なトラブルが日常の生活を鮮やかに色付け、毎日、ドキドキする事件が起きていた。
はるか昔の出来事なのに半年や一年前の記憶より鮮明に思い出され、ルーズソックスの糊の不愉快さや学校帰りに食べたお好み焼きやクレープの味、安物の化粧品やバスケットボールの匂いまでもが正確に思い返すことが出来る。
それだけ毎日興奮して過ごしていたという事なのだろう。昔の自分を知っている人に会うのは嫌だったがその時代の思い出は大切だった。
夕方にオーナーが一人の小さな男の子を店に連れてきた。
どうやらイベント中に迷子になってしまった子供らしく、商店街のお店でその子を保護していた。しかしどの店も閉店の時間なのでうちの店で少しの間、預かって欲しいとお願いされたのだ。
ついさっきその子供の保護者と連絡がつき、この店に迎えに来るという。オーナーはイベントの責任者なのですぐに戻らなくてはいけないと言って店にその子を置いてまた戻って行った。
詳しい事情は分からなかったが特に問題もなさそうなのでその子供のために席を用意して座らせて待たせることにした。
5歳くらいの子なのだろうか。窓際の席に静かに座ってオーナーが持たせたスマートフォンを自分で操作し、静かに動画を観ている。その顔には不安の色も周りの大人たちを気にする様子もなく、小さな静かな男性というふうに見えた。
客の誰もが最初は子供が一人でテーブルについてるので訝しがってちらちらと気にしていたがしばらくするとその静かな小さい人間の存在に慣れてしまい、その場の空気に溶け込んだ。こうやって見るとやっぱり不思議な雰囲気の子供だった。
男の子の父親は7時過ぎに来た。どことなく寂しそうで生活に疲れたように見える体の大きな人だった。
少しの間、店を空ける事をその場にいる客に説明してその男の子と父親をイベント会場まで連れて行った。
その道すがら男がシングルファーザーで飲食店で働いているために休日に子供二人を残して仕事に出た事、上の娘が弟を連れて商店街に連れてきたのだが二人がはぐれてしまった事を簡単に説明した。
その兄弟にとってはとても大変な一日であったのだろうがその思い出が後々ずっと記憶に残る忘れられない大冒険となるのだろうなと思うとなんだか自分事のように心が温かくなった。
しかしその男の子の父親が必要以上に周りに頭を下げて謝っている光景がいつまでも心に引っかかった。
最近の小さな子供を持つ保護者は自分の子供が他人に迷惑をかけていないか、自分は親として恥ずかしくないかを四六時中、気にしていて周りから非難されることを極端に恐れている。
人の目が気になって自分たちの理想の子育てや生活ができなくなっているように見えた。
昔はそうじゃなかった。子供にも大人にも平等な権利があった。今は世間が子供の権利を優先に考えすぎていて小さな子供を持つ大人の自由が制限させられ過ぎているように感じる。それが小さな子供を持つ親を少なからず疲弊させて見せるのだ。
私たちの時代に子供が多かった理由は今よりも子育てがいい加減で線引きがあいまいだったことで親も今よりは気持ちにゆとりがあった事も関係していると思う。
政府が少子化対策に力を入れて子供優先を押し出せば押し出すほど親たちのプレッシャーに拍車がかかり、周りの大人たちの目が厳しくなる。
だからどの親にも世間に対して必要以上に頭を下げて欲しくなかった。
どの時代でも子育ては大変な仕事だ。だけど親が率先して楽しく子育てができる環境でなければ子供が幸せな幼少期を送ることはできない。
事情も経済力もそれぞれの家庭で違うはずなのに法律は一部の人にしか当てはまらないように作られている。その事を考えるととても苦しくなった。
ジホとワインを飲みながら今日あった話をしていると自分の考えと憤りがとめどなく湧いて出た。
ジホにはまったく関係のないはずの子育ての話なのに黙って耳を傾けてくれる。
こういうどこにもぶつけることができない怒りの感情を誰かが側で聞いてくれる今、この環境に感謝していた。
商店街のイベントが終わって少し経った日の午後の遅い時間に学校帰りの女の子がひとりで訪ねてきた。女の子はこの間、迷子になった男の子の姉だと言った。
「この間は弟が大変お世話になりました。これからはきちんと弟の面倒をみます。」
その言い方はどこかぶっきらぼうで親に教えてもらったことをそのまま言っているようなしゃべり方だったが自分の意思をしっかりと持っていて全く悪びれたところがないのがかわいかった。
これから家に帰り弟と二人で父親の作った夕食を温め直して食べると言う。その堂々とした子供らしからぬ態度に好感を持った。カウンターに置くお客さん用のデザートのレモンケーキを2つ持たせて女の子を帰らせた。
次の日女の子は今度はあの男の子を連れてきて、自分の名前はみどりで弟はあおだと名乗った。
それからは毎日のように二人は店を訪れてカウンターのデザートを持って帰るようになった。その行為は近所の猫を餌付けしているようでなんだか可笑しくて嬉しかった。
そのうち二人の子供は開店前の店でもらったデザートを食べるようになり、開店準備の掃除をしているとそれを手伝ってくれるようにもなった。
みどりは自分にトイレの掃除を任せて欲しいと言った。
この店のトイレは商店街組合からお願いされてこの街の公衆用トイレとして貸し出しており、毎日かなりの数の人が利用する。なので私も頻繁に汚れをチェックしていたがみどりが率先してそれを手伝ってくれることは嬉しい。
トイレの便器をきれいにして下を掃き、トイレットペーパーを補充して三角に折り、手洗い場もきれいに整える。それが全て出来たら掃除表にかわいいシールを自分で張るように教えるとその仕事にさらに力を入れるようになった。
その間、あおはずっとみどりのスマートフォンで動画を観たりゲームをしておとなしくしている。
みどりとあおは毎日必ず6時の開店時間になると帰って行く。
本当の所は二人が父親が帰ってくる8時半まで何をしているのか心配だったが子供たちにも自分たちのプライベートがあるだろうと思ってそれ以上は口出しをしなかった。
いつもみどりは学校の宿題をしたり図書館で借りてきた本をおとなしく読んでいたし、あおはずっとスマートフォンで遊んでいたが最初の客が店を訪れると2人は黙って帰る準備をして帰って行く。
それは小さいのにこの店と私に気を使った行為だと感じていた。
ときどきみどりとあおが子供だという事を忘れてしまうくらいはっきりとした立派な態度だった。
こんなにしっかりとした自分の意思を持つ子供を一人で育てているシングルファーザーの父親にあの時の姿とは違う印象を持った。
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