第6話 同級生

 


 出勤前に商店街の酒屋に寄った。最近はジホと一緒に酒を飲めるが嬉しくてついつい深酒をしてしまう。ひとりで飲んでいた時よりもアルコールの摂取量も飲酒時間も増えた。いつもはワインを飲んでいるが時にはふたりで別の酒も試してみたいと思っていたのだ。


 この商店街で手に入る物は少しくらい高くてもなるべく利用するのがこの商店街組合加盟店や古くからの地元住民の暗黙の了解になっている。

 少し離れた場所には全国チェーンの大型スーパーマーケットがあってそこの方が値段も安く品揃えもいい。


 そんな消費者の意思を無視した応急処置のような経営では商店街全体の将来の見通しは暗い。

 大型店の何よりもいいところが店員が皆、面識がない事だ。近所の店を利用するとどうしても知人に自分の買った物を知られてしまい、生活を覗かれるようで気になった。病院や歯医者などは絶対に遠く離れたところを利用した。


 酒屋の店内は蛍光灯の光が必要以上に明るく、店内を隅々まで照らす事で逆に商品の乏しさが目立った。

 この店は私が学生時代には外国のおつまみや輸入菓子を取り扱っており、それが目当てで学生や酒の飲めない人たちも利用できるようなお店だったが最近は客が来ない事で店主が挑戦することを諦めてしまい、酒が並ぶ棚も空きスペースが多くなっている。


 その中からカクテルに使えそうでそのまま飲んでも楽しめる手ごろなリキュールを何本かとコーディアルを選んで奥のレジまで持って行くと、店の奥から出てきたのは小、中学校の同級生の男だった。

 久し振りに会う彼は年取った両親のために少し前から同居していてサラリーマンをしながらときどきこの店を手伝っているのだと自分から話しだした。


 酒の瓶6本分はさすがに重かった。彼は高い酒をたくさん買ってくれたので自宅までの配達サービスを申し出てくれたのでその好意に甘えることにした。

 配達を自宅ではなく喫茶店の方にお願いをしてその店を手ぶらで出た。

 商店街のパン屋で焼きあがったばかりのバゲットを7本買い、八百屋で果物を数種類買った。


 今日の定食はアサリのスパゲティだ。アサリを流水で砂を吐かせてニンニクと玉ねぎ、パセリを大量にをみじん切りにする。

 大鍋を煙が出るくらい熱してから砂抜きしたアサリとみじん切りの玉ねぎを入れ、白ワインを入れ蓋をしてアサリの殻が完全に開くまで蒸し煮にする。


 鍋の底のストックの上澄みだけを別の容器に入れ、アサリの中から殻の割れていない形のいいものをトッピング用に選りすぐって取り出し、それ以外は殻から身を取り出してまた別の容器に入れた。


 フライパンに乾燥唐辛子とサラダ油を入れて唐辛子が黒くなる前に取り出してニンニクのみじん切りを入れ、カリッとするまでゆっくり熱していく。

 商店街で買ったバゲットはスライスしてガーリックブレッドにしてサラダと添えて提供する。

 

 料理の下ごしらえの際中に酒屋の息子が配達に来た。先ほどの話の続きのような世間話を少しし始めたちょうどその時、裏口からジホが配達のボックスを担いで入ってきた。

 挨拶もなしに入って来て、無言で配達の箱から食材を取り出し、調理台の上に黙々と積み上げる姿はわたしにとってはいつもの光景だが同級生の男には異様に映るらしく話すのを止めた。


 そして慣れなければ高圧的で不機嫌そうに見えるジホの態度にプレッシャーを感じたのか営業用の挨拶をしてすぐに裏口から出て行った。

 普段、配達時のジホはまるで決めているかのように一言も発することなく荷物を下ろしてすぐに出て行くのだが今日はめずらしく今夜の献立を聞いた。

 ボンゴレビアンコだと言うと8時にまた来ると言って帰って行った。



 桜が咲き始めて時々、今日のように暖かい日がある。そういう気持ちのいい気候の時は大体、客の来店時間がいつもより少し遅くなる。今日は7時ごろに最初の客が入り、その後にたて続けに忙しくなった。


 一番大きい寸胴鍋にたっぷりのお湯を沸かし塩を入れ、客の注文が入ったら一人ずつスパゲティを入れていく。ある程度柔らかくなると鍋に引っかけるカゴに一人前ずつ取り分けて茹でる。


 その横でボンゴレのソースを準備して湯だった麵を入れてたっぷりのパセリとガーリックチリオイルをまわしかけて器に盛り、トッピング用のアサリと唐辛子を上にのせる。


 ガーリックブレッドをオーブンから出してスパゲティの皿の淵に乗せ、冷蔵庫からすでに器に盛りつけられているサラダを取り出し、一緒にカウンターに置いておくと客は自分で取りに来てくれる。


 8時ちょうどにジホが来たがその時間が一番立て込んだ。一度に4人分のスパゲティーを鍋に入れてガーリックブレッドをオーブンに入れた。フライパンのソースはフライパン二つに2人分ずつ分けて仕上げた。

 こんな日は9時まで忙しいはずだ。少し手が空く度に冷蔵庫で冷やしておいた水を口に含んだ。


 日中は水をこまめに飲むようにしているがこの時間に水を飲むとお酒の味が変わるような気がして避けている。だけど大鍋でずっとお湯を沸かし続けていると室内の温度が上がってしまい、冷水をこまめに飲むことで体温の上昇を抑えることができた。 

 これがもっと暑い時期になると小さく凍らせたポカリスエットを口に含ませながら仕事をして去年の夏は乗りきった。


 9時過ぎてすべての客が帰ると冷凍庫で冷やしておいたテキーラとライムを絞ってパイナップルジュースと氷を一緒にシェイクする。ジホのグラスを彼の座るテーブルまで持っていき、自分はキッチンの片づけをしながら飲んだ。

 強いアルコールが冷たく甘ったるい口触りを切り裂いて喉を刺すのが心地よい。 

 一口サイズに切ったライムを口に含みながら強くて甘いお酒を飲むのも楽しかった。


 片付けを終えてガスと水道の点検をするとテキーラの瓶とライムを持ってジホの向かいに座った。黙ってパソコンで仕事をし始めるとジホがグラスにテキーラを入れてくれる。

 ジホは甘いカクテルも嫌がらずにきれいに飲み干していた。ライムをかじりながらテキーラを飲んでいると



「今日来ていたあいつは近所の奴なの?」


と突然話しを切り出した。



「そうよ。同級生で小さい頃は近所の川や学校の校庭で一緒に遊ぶような人だったけど大人になってから再会するとまったくの他人のようね。だけど完全に知らないってわけでもないからそういう人が一番接し方が難しいのよ。お互いになんだか気まずいの。」



「向こうはそうは思ってないみたいだったよ。」



「向こうだってそうよ。そうでもなかったら他人行儀にわざわざ配達してあげるだなんて言わないはずよ。」



「門脇さんは世間の考え方と少しずれているからその事を少し自覚したほうがいいよ。」



「私が世間とずれているって言ったの?それはあなたがまだ本当の私を知らないからだわ。あの酒屋の息子とは少し因縁があるのよ。」



 小さい頃は周りから男勝りと言われて育った。中学までは男と取っ組み合いのけんかもしょっちゅうしたし、危険な遊びは一通り経験した。女の子の遊びを本能的に拒絶して男の子とばかり遊ぶような子供だった。


 髪を短くして意識して男の子のように振舞っていたし、自分が女という性別だという事に心底落胆していた。 

 毎日ひやひやするようなスリルを味わいたかった。あの当時、あの酒屋の息子とは一番仲が良かった気がする。


 中学にあがる頃になると今度はお転婆から悪と言われるようになった。学校の中の悪いグループに属していたし、時には高校生の悪とも一緒に遊んだ。

 親がやって欲しくない事は一通り試してみた。別に親や世間に反抗する理由はなかったがさらなる上のスリルを求めていた。


 友達とよく度胸試しで万引きをした。そのターゲットとなったのがあの酒屋だった。小さくて手ごろな商品を指で弾いて肩掛けのバッグの中に落とし込む。その鮮やかな手さばきを仲間に見せる事で友達から一目置かれたかった。

 次の日、商品をこっそりと戻そうとした時に店の主人に見つかってしまった。

 返しに来たことを説明をしても理解してはもらえずにこっぴどく叱られた。


 もう一つのスリルが性に対するものだった。その悪いグループの高校生たちはもうすでにそういう事をして遊んでいた。

 私と酒屋の息子はその事についても周りの同級生の上を行きたかった。だからその時いつも隣にいて一番信頼のある彼とそういう体験をしようと思った。

 

 ただそれだけの気持ちだった。あの当時どうしてそんなに周りからの尊敬が欲しかったのか今となっては分からないが本能的に周りに自分の動物としての強さを示したかったのだろう。

 

 高校生になって隣町の高校に行き出すと途端に社会の輪がひと回り大きくなったように感じ、以前一緒に遊んだ近所の男の子たちに道で出くわしても眼も合わせなくなった。 


 そのころから少しずつ自分の性別と自分の本能が重なってくるようになり、幼少期に感じていた自分の性別に対する失望感は少しずつ薄れ、それと同時に悪事への憧れや興味も薄れて行った。少しずつ世間の常識にはまっていくような感じだった。


 だから幼少期に一緒にやんちゃをして遊んでいた人達との関係はいろんな時期を経て形態を変えていく。幼馴染から親友、友人から他人、大人のよそよそしい関係から今度はご近所さんとしての付き合いへと変わって行き、今もまさにその変化期でお互いに探り合いながら常識的な話をすることがどこか気持ち悪く、どうやって接していいか途方にくれてしまうのだ。



「中学の時にそういう経験を済ませてしまうと思春期の葛藤は薄れて楽になるのかな。それとも歯止めが効かなくなった?どっちにしろその後の人生は自信に満ちていただろうな。」



「結論から言うと出来なかった。そういう知識も相手への感情も全くないまま好奇心だけでしようと思ってもうまくいかなかった。今思うとそれは当然なのだけれどその当時は誰もが簡単にやっている行為なのだから男の肉体と女の肉体があればたとえどんな種類の人間であろうと簡単に繋がる事ができると思っていたの。

 だけど失敗したという事実は未経験という事よりも恥ずかしい事だと思ったからお互いその事についてはなかったことにしてしまったのね。あなたにこの話をするまでは思い出さなかったくらいだわ。」


 ジホは自分でグラスにテキーラを入れて続けて飲み干した。



「じゃあ初体験はいつなの。」



「いまさら純情ぶるつもりはないのだけれど別れた旦那よ。その失敗の一件である程度の好奇心は満たされたけど性に対する嫌悪感と羞恥心は人一倍持つようになった気がするわ。

 高校生になってから何人かのボーイフレンドはできたけどその誰とも触れる事すらしなかった。幼少期の男友達程度の付き合いだったわ。」



「別れた旦那さんとはいつどんなきっかけですることになったの?」



「なんか強いお酒のせいで言いたくないことを言わされている感じね。私だけが一方的に身包みを剝がされてようで感じが悪いわ。今日はもうこれ以上は話す気はないわよ。」


 そういうとジホは黙ったまま外を見た。

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