第三章 幸いの星影

明滅する視界から流れ落ちるもの

 

 1


 澄明な幻想が目眩く世界にいた。

 ほのかに薄紅色をまぶした葉と草。青白く静まった空。そよ風が色彩を揺らし、得も言われぬ心地好さに瞼の先を吹かれる。


 鮮やかに存在を主張する色はない。目に入るもの全てが停滞と静寂に浸っていた。

 か細い枝末が、凛とした群芳が、互いに解け合うようにひっそりと余白を垂らす。

 自分自身の輪郭すら、その儚さに吸い込まれてしまう。そんな気がした。


「ここは……」


 言いながらも薄々感付いてはいた。ハヒの秘満ひみつ基地——いや、これを基地とは呼べない。紫の見ていた刹那の景色だ。

 花火が散り、紫色の気持ちが弾け、それらを端から見守っていた私は今ここにいる。

 これからどうすべきなのか、なに一つわからないまま。


「……」


 それでも、足は動いた。頭で考えずとも勝手に動いていた。

 私はこの未知に飛び込まなくてはならない。この胸を締め付ける強烈な閉塞感の正体を探るために。今という奥行きのなかで考える猶予が欲しくて。

 理由はいくつかあった。でもその内の一つも言葉として言い起こすことはなく、ただぼんやりとした衝動だけが機能していた。

 進まなければ。


「……」


 色素の薄い景色が続いた。どこに行っても視界の端には必ず花が咲いていて、それは見るたびにはらりと花びらを散らせていた。

 天と地の境目が山の凸凹に沿って鋭く切り取られている。ここでは色も匂いもしんと留まり、単調な景色に吸い込まれているようだった。空気が冷たく澄み渡る。ほとんど白に近い山道は、箱庭にいた頃、塗り潰すのが面倒だと言って放置されていた場所を思い出させる。

 あれから随分と長い時間が経ったものだ。いや、実感としてとても短くて瞬く間に過ぎ去っていったのは間違いない。でもなぜだか、ただの記憶が不思議な感覚を伴って呼び起こされるのだ。


 懐かしい。あの頃に戻りたい。

 慣れない気持ちだった。何も考えずに空想ばかりしていた過去が羨ましくも思えるし、多くの経験を共にしてきた今の関係をなかったことにするのは嫌だという思いもある。皆がオトナたちに負けることにならなければこの懐かしさも振り払えるのに。


 もし、時間の流れも規則の一つだとしたら、それを破って過去に行くことができるのだろうか?


 険しい山道を越え、突き立った峰から草木の生い茂る平地を見渡す。

 遠くにはひと際大きな木がある。大樹だ。

 特にわけもなくそちらへ足を踏み出した。

 少し生ぬるい風が吹き込み、目を伏せる。

 一歩踏み出すごとに、草はまばらに花へと置き替わっていく。それらを踏まないよう避けて進んでいると、いつしか一帯を埋め尽くすほど花が敷き詰められた場所に私は立っていた。


「モリ!」


 少し離れたところにうずくまる影があった。青く長い髪が上下する。

 それだけではなかった。モリのさらに向こう、紫色の大樹の前にも誰かがいる。しかし見覚えのない色と形だ。

 最初、白と見紛えたその色はくすんでいて、身なりも飾り気のない簡素なものだった。オトナとは違う。それはれっきとした空想で編まれた、灰色の身体と顔馳かんばせだった。


「私からは、はじめまして、ですね」


 抑揚の抑えられた声音が耳に突き刺さった。周囲に響いたり風に吹かれたりもせず、距離を感じさせない一定の大きさで、すっと一直線に通る声だった。まるで間近で会話しているような、私にだけ聞かせようとしているような、そんな声。


「もしかして、ユキ?」

「……あの子ですか。らしいですね」

「あの子?」

「ユキ、という名前は知らなかったので」


 少し考えて理解する。

 アズキたちがコードネームと称して色とはまた別の名前をそれぞれに付けたことを、ユキは——灰は知らない。その前に去って行ってしまったからだ。あの子、とはアズキのことだろう。


「ユキはなんでここにいるの?」

「紫の子の瞬きを見ました。とても美しく、……ええ、惜しいことです」


 その声音は、なにか重要なものを含んでいるような気がした。

 足を前に踏み出すのが怖い。未知が未知のままでいいと思ったのは初めてだ。

 それでも、この質問はしなければならない。


「そういえば、奥行きの景色はユキが見つけたって言っていた。ここも同じってこと? ハヒは……紫がどうなったのか、ユキは知っているの?」

「紫の子は、未来へえました」


 躊躇いもなく、深く刻み込むように、ユキはそう言って口を結んだ。


「……あの子がこの瞬間より未来に存在することはありません。そういう在り方を選びました」開かれた瞳は何色も映さず、きりとこちらを射抜く。「ですが、自分で選択した道です。あの子は、今、この瞬間に留まることに意義を見出しました。私から言えることはそれだけです」

「そっか……うん、ありがとう。……ごめん」


 未来へえた。聞いたことのない言葉なのに、それは違和感なく頭に挿し込まれた。

 当然のことだ。今の問答は確認作業に過ぎない。それを、ユキに押し付けていた。

 本当に、どうすればいいのかわからない。おかしくなってしまいそうだ。


「それじゃあ、モリ、は」


 今回の問いに、ユキはとても気まずそうな顔馳かんばせをした。


「……青の子は私のせいです。ただ、どうしようもなかったことを理解してもらいたいです。悪気はなかったのですが」


 ユキの答えはふわりと浮いているようで、掴もうとしてもすんでのところで避けていく。モリとユキの間になにがあったというのか。

 もどかしいものを感じていると、ユキがわずかに目を見開いた。


「すみません。言葉が足りなかったかもしれませんね。ええと……そう、つまりは空想の話です。先ほど、こちらでオトナたちに掴まれた……モリを発見しました。

 しかし、ここは奥行きの景色です。本来ならばオトナたちは入って来られません。幸い、身体に付着した分だけがそのまま残っていたようなので、私が全て取り除きました」


 こちらに合わせて噛み砕いてくれているのだろうか、親切な説明のおかげで大体の状況は分かってきた。

 とりあえずモリは大丈夫そう——いや、様子を見た限り、そういうわけでもなさそうだ。


「今の状態に関しては……そうですね。信じてもらえるかわかりませんが、この花畑、あなたが来るまでは向こうと同じ草原だったんですよ」

「さっきまでって……」


 大樹を中心に広がった花の領域は、ざっと見えるだけでも皆で新生鬼ごっこを行った時の範囲と同じくらいはある。しかも元の草原をあらかた覆い隠すほどの密度だ。

 空想の上手なサキやモリが単独で塗り潰すとしても結構な時間を要するだろう。それこそ、走り回って満遍なく足跡を付ける程度には。

 いや、私は知っていたはずだ。ユキの持つ才能の片鱗を。


「アク……」


 ようやくこちらの存在に気付いたのか、モリが顔馳かんばせを上げて振り返った。とても疲れたように見える。そしてオトナに掴まれた箇所が少しだけ剥がれていた。ユキの言う通りなら、問題はないはずだ。

 それだけではない。モリの周囲にはひと際多くの花が所狭しと咲いていたけれど、その中にやや奇妙な形のものが混ざっている。そう、それは言うなれば手だ。花びらの代わりに指を広げた、手のひら。


 ユキが控えめに頷いた。なるほど、確かにここ一帯はユキの空想により変化した場所で、モリを掴んでいた黒い手もろとも塗り潰したのだろう。

 ただし、それだとモリがうずくまっている理由が余計にわからなくなる。助けてもらったのにどうして。


「あっ」


 疑問と同時に答えが降ってくることがある。

 私はそれを知っている。以前、モリの青い意識と接触した時に知った。知っている状態になった。

 モリはいつも赤たちの空想を後ろから見ていることが多かったけど、かといって自分の空想に興味がないわけではなく、むしろ完璧を求めるきらいがあった。

 だからこそ、茶たちによって異常なほど大量に描かれた木の群れを見て一度挫折したのだ。一寸の違いもなく無数に立ち並ぶ木々。私は正直あまり良い印象を抱かなかったけど、その数と完成度の高さに圧倒されたのも事実だ。


 それがオトナたちの声とやらに影響されたものだということを、私はのちに茶たちから聞いた。詳しくは彼らも把握していなかった。きっと規則に似た芸当を用いたのだと思う。その証拠に、以降の二色はそれほどの技量を持っていなかった。

 でも、それを知ったところで意味があるようには思えなかった。

 重要なのは、その衝撃がモリの根本的な創作意欲に傷を付けたということ。

 完璧に程遠くとも、いとも容易く手軽に情動を揺らすものがあると、あの時モリは知った。そして自身の空想はそれにすら及ばない。初めて味わった敗北の辛酸。

 それだけなら、まだマシだったはずだ。それは圧倒的ではあっても理想的ではなかったから。


 でも、この花畑は誰がどう見たって美しい。少しの混じり気もない純粋な空想だと一目で分かる。オトナの干渉などなくても、こんな絵空事を現実にしてしまうことは可能なのだ。

 それは紛れもない理想の天辺。

 自身とオトナとを差別化することでかろうじて繋ぎ止めていた青い自尊心は、言い訳の余地もない本物を前にして粉々に打ち砕かれた。


「心苦しいですが、理解されたようでしたら私は征きます。私の存在はあの子にとって毒でしょうし、まだ他にも黒い手が残っているので」


 思考を整理している間にユキの姿は消えていた。忽然と、音もなく。

 ユキは悪くない。誰も悪くないから、誰も責められない。

 救われることと打ちのめされることが同義だなんて、一体どうしろというのか。

 思わずモリの傍まで駆け寄る。青髪の欠片に描かれた皆の落書きが、やけに滑稽に見えた。


「たすけて」

「モリ……」


 私はその苦しみを知っている。わずかな間とはいえ私の意識でもあったのだ。忘れるはずもない。

 けれど、かけるべき言葉が見つからない。頭の中で音と共に弾ける新たな単語も、気の利いた冗談も、虚ろな心を癒す表情や空想に至るまで、私はいかなる言語も持ち合わせていない。


 私こそが虚ろだ。

 あの時の恩も返せないからの存在。


「——ハヒを、守ってやれなかった」

「え?」

「アズキを。アザヤギを。救えるはずだったのに、目の前で機会を逃した」

「……それはモリのせいじゃないよ」

「そのくせに、自分は助けてもらっても勝手に絶望して、気を遣われて、その責任すら押し付けた」

「っ、それをこれから取り返すんだ! 皆で! 大丈夫、この瞬間のなかなら、皆、まだ——」


 だから、言い訳をするとしたら、私は身の程というものをしらなかった。自分がまだ慰める立場にいると勘違いしていた。

 私にだって、皆を救う機会はあった。今回だけではない。あの時だってそうだ。

 紫がオトナに触られる寸前に、私は躊躇した。好奇心がそれをさせた。出来たのにやらなかったのだ。


 私の言葉は空っぽだった。

 遅れて口を塞いでも、今さら空の中身を誤魔化すことなどできないのに。


「アクはやさしいな」


 その瞬間だけ、青の姿が色褪せて見えた。

 全てが儚く薄く引き伸ばされた景色のなかで、なおも際立つほどに。

 優しい言葉が、必ずしも優しいまま受け取られるわけではない。

 一つの言葉が複数の意味を持ち、言外に異なる方向性の事実を含んでしまう場合もあるのだと、言ってしまえばただそれだけのことだった。


「ごめん、アク。……私にはもう、皆で笑って遊ぶ未来の景色が、空想できない」


 そして、左側の景色が爆ぜ飛んだ。あれ、と思った頃には、大樹を囲む小さな水辺の鏡面に、左目が欠けた自分の顔馳かんばせを見ていた。

 視界から青い輝きが消える。身体に無色が滲む。

 さっき、この口はなんて言った?


 『この瞬間のなかなら、皆、まだ』。


 ああ、そうだ。今という瞬間に入り込んでいるうちは、未来を直視せずに済む。

 ここから先へ進まなければ、ハヒも含めて、誰も失わないじゃないか。だったら正解は立ち止まることだ。


「はは」


 なにも面白くないのに笑みが零れる。どうやら笑いにもいくつかの異なる意味があるらしい。


「はははは……」


 しばらく、他になんの意味も持たない笑い声を上げていた。

 辺りを見渡しても色はない。アザヤギも、ムツリも、アズキも、カカギも。そして、サキも。


「ああ」


 孤独だった。

 それは最初の記憶を呼び起こす。果てしなく、あてもなく白と黒の空間を漂うばかりだった色のない頃の自分を。


 ここにはなにもない。

 粛然と荒んだ空虚の身を抱きかかえて、私はうずくまった。



 4


 気が付けば、咲き零れるほどの灰色の花畑に倒れていた。


「う~ん……あれ、私なにしてたんだっけ……」


 自分の色まで薄まったのではないかと心配になるほど、質素な景色が遠くに広がる。

 なんだか記憶がとてもあいまいだ。具体的な内容は思い浮かばず、付随したと思しき感情だけが胸のなかで空振っている。

 壮絶ななにかがあったようななかったような、どこまでが現実でどこからが錯覚なのかわからなくなる混濁から目を覚まして、私は花に身をうずめていた。


「って、違う! 私、オトナの手に掴まれたんだった!」


 がばっと飛び起きて足首を確認する。小さくひびが割れて黄色の身体が欠けているけど、それだけだ。黒い手はない。

 慌てて他の部分も見て触って確認する。見えない背中は空想の感触でなんとなく把握するしかない。何度も繰り返し確かめて、安心を得るのにそれなりの時間を要した。

 結局なにがあったんだろう、と状況を整理しようとすると、声が聞こえてきた。

 とても小さく、か細い声だ。花畑のどこかにいる。私以外にも、というかここはどこなんだ。わからないことが多過ぎる。


「——ちょ、えっ⁉ ムツリ、大丈夫⁉」


 やけに花の盛り上がった箇所に、頭を突っ込んでもがくムツリの姿があった。大急ぎで腰を掴み、引っこ抜く。心地好い音を立ててすぽっと頭が出てきた。


「あれ、アザヤギだー。足、だいじょうぶー?」

「私は大丈夫よ! それよりムツリこそ、なにしてんの?」

「えーと……たしかアザヤギの足に付いた手を取ろうと思ったら、灰色のだれかがばーってやってきて、ぱーってしてくれて……」

「灰色……っ」


 はっとして辺りを見る。視界に収まり切らない膨大な量の花の群れは、恐ろしいほどに同じ色をしていて凛と波立っている。サキやモリの空想とは方向性の異なる美しさだ。この規模だと逆にちょっと気味が悪いけど。


「もしかして、ユキなの?」


 風に飛ばされる言葉に、返る声はない。

 手を開くと花びらがあった。それもすぐに飛んでいく。


「きゃっ」


 一面の花が一斉に散り、視界を覆い隠した。流砂の髪が激しく吹かれる。

 花吹雪の中に、少し前の光景が浮かんだ。ハヒの色が煌めき、空に大きな瞳を咲かせたあの瞬間を。

 でも、私はそれと目を合わせられない。


「ハヒ……」

「……うぅ」


 ムツリが寄りかかってくるのを左腕で抱き寄せた。分かっている。この震えは錯覚じゃない。

 だからぎゅっと抱き締めて吹雪が止むのを待った。長く短い時間だった。

 あるいは、それを一瞬と呼ぶのかもしれない。


「行こっか」


 目を開け、ムツリの手を強く握ってその場を去った。

 ここは静かだ。これといって特筆することもない道を歩いた。

 だからか、余計な考えばかりが浮かんでくる。歩けど歩けど、頭の一部に根付いたそれを振り払えない。しつこく付きまとう邪念を引きずって足が重くなる。


「うー、考えたら腹立ってきた! あいつのせいで本当にサイアクなんですけど!」


 誰に言うでもなく、私は虚空に毒を吐き出していた。

 言葉は意図を伝えるためのものなのに。ここにいない相手に向かって叫んでも意味がないのに。これじゃあ言葉の無駄遣いだ。


「いっつも私の塗る場所取ってくし! 話は無視するし! サキにはデレデレなくせに、なんか私にだけ当たり強くない⁉」


 声は虚しく霧散し、飛んでいく。やっぱり駄目だ。力が入らない。

 ふと、視界の端に崖が見えた。足は無意識にそこに向かっていた。

 切り立った岨の先端で歩を止める。遠くまで続く山脈を望み、出来る限り息を多く吸った。


「はーっ‼」


 そしてありったけを吐き出すつもりで叫んだ。今度の声は空を切り、岩を震わせ、山々に反響した。


「それ、ムツリもやるー! わー‼」

「いいじゃん! うん、もっかいやろ! せーの……「わ————っ‼」」


 二つの音色が山脈を辿ってそこらじゅうに響き渡る。

 楽しい。気持ちいい。感情を声に乗せるということをようやく実感できたかもしれない。

 返ってくる自分の声に対抗するように、さらに大きな声を張り上げる。


「ばーか! 欲張り! いじわる! いくじなし! ……無口!」


 身体の中からなにかが抜けていく。言ったことのない強い言葉も総動員して、腹の奥底にわだかまった嫌な気配を飛ばしてしまう。


 これが私の声だ。これが私の気持ちだ。

 聞いてるか。

 聞いてなくても、私は叫んでやる。


「ムツリ、怖いよ。ハヒのいない未来なんて……ぐすっ」

「……ムツリも知ってたんだ。はぁ、それもそっか。あれだけ派手にやらかしたんだから、嫌でも気付くっての。……ちょ、ちょっと泣かないでよ! 私だって……我慢してたのに! ……ひっぐ」


 そろそろ歯止めが利かなくなっていた。確かに嫌な気配は吹き飛ぶけど、反対に募っていくものもある。この昂りをどう処理すればいいのか、私もムツリもしらない。


「えーん!」

「わーん!」


 結果的に、私たちは泣き叫んでいた。声と呼ぶにも憚られる音の波が打ち寄せて山肌を濡らす。

 繋いだ手が熱い。喉が熱い。目の奥が燃えるようだ。


 からからになるまで、それは続いた。

 ほとんど同時に声が尽きた。ぺたんと座り込み、乱れた息を必死に整えた。


「……」


 風が爽やかに突き抜ける。赤くなった頬の熱を運んでいく。

 他の誰かに聞かれていたりしないだろうか。変に思われていたりはしないだろうか。今さらどうしようもないし、なんかもうどうでもよくなってきた。


「……ムツリはさ、空想するの、楽しい?」


 空虚な口から、ふとそんな言葉が出てきた。それは質問の体をなしただけの、自分に向けた言葉だった。だからそのまま返してくれることを期待した。


「うん! アザヤギは楽しくない?」

「うーん、どうなんだろ……実はね、自分でもよくわからないの。皆がやってるから私も、って感じだったし」


 思い返すのは、箱庭の中で何の制限もなく色を塗っていた頃の自分だ。それから世界が崩壊し、未知の地上を探索し、思いがけない再会を経て、美しい花火を見た。あれこそが空想の極致だと思った。


「たまに我に返るのよね。これって、私がやりたくてやってるのかなって。ずっと周りに流されてばっかりで、私が本気でやりたいと思ったことはあんまりないから」

「でも、楽しいでしょ?」

「……うん。どっちかというと、空想が、ってより皆と一緒にいることの方が、だけどね。……あーごめん、今のなし」

「えー、なんで? なんで? ムツリもアザヤギと、皆と一緒がいい!」

「もういいから!」また赤くなり始めた頬を手で冷ましながら立ち上がる。「あー、すっきりした! すっきりしたから、もうあんたのことなんて考えてやらない!」


 身体をぐっと伸ばして、ムツリの顔馳かんばせを覗き込んだ。私、今たぶん、すごく意地悪な顔をしてる。


「ね、私たちのこと泣かしたハヒに仕返ししようよ。この景色をめちゃくちゃにしてやるんだ!」

「おー! 面白そー!」


 それから私たちは走った。山道を下り、竹の鬱蒼とした地帯を越え、おかしな形の岩が沢山ある場所まで一気に駆け抜ける。

 そして、道中で目一杯の空想の跡を残してきた。簡単には塗り替えられないくらい濃い色を所かまわず塗り付けてやった。

 向こうには紫色の大樹が見える。あそこまで全力疾走だ。


 ざまあみろ。あんたなんかいなくても、私たちは元気にやってるんだから。

 これから私たちの描く華々しい最高の未来が見れないことを、泣いて悔しめばいいんだ。

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