世界の端を染める色


 4


 そういう失敗があると、新しいことを模索しても、結局は慣れ親しんだことに舞い戻ってしまうことが度々ある。


「じゃーんけーん」

「ぽん!」


 私は一歩ずつ数えながら泡から泡へと移動する。グーを出して勝ったので、歩数は五つだ。勝ち筋による歩数は毎回変えている。前回は三つだった分、今回はグーの価値が上がっているというわけだ。ちなみにチョキは四つでパーが三つだ。


「よっと」


 五歩目、浮遊する泡に立って振り向いた。地上の徒歩だと遠いため、凸凹と脈打つ峻嶺の間を空中で踏破するために始めた遊びだ。始発地点から終着地点までおよそ二十個の色とりどりの泡が不規則に浮かんでいて、それぞれ一対一を計三組、最も近い色と一斉にじゃんけんを行う。他の誰かが使っている足場には行けないので先行した方が有利だ。


 後続との差はさして大きくない。グーで勝って速攻勝負に持ち込みたいところだけど、連続で使うのは躊躇われる。かといってパーを出して勝っても得られる歩数が少ない。となるとチョキが無難か。いや、それだと負けた時の追い上げが怖い。やはりパーで地道に数を稼ぐほかあるまい。


「じゃんけんぽんっ!」


 声は峻嶺の狭間に鳴り響き、拳が空を切った。


「やったー! 緑が一番乗りー!」

「私が二番か……まあいいわ、順当ね」

「ふう。危なかったな」


 緑、黄、青が順に到着し、次いで赤、そして私、最後に紫という結果になった。

 最初の優位も虚しく、立て続けに負けて追い越されまくった挙句の後ろから二位。終盤、紫との泥仕合まで含めてとても恥ずかしい一戦だった。

 これはよろしくない。何がよろしくないって、とてもよろしくない。赤の連勝する雰囲気が出来上がってしまっているのだ。毎回純粋に喜ぶその姿が眩しくて、怒るに怒れないのも非常によろしくない理由の一つだ。どうしてあそこまで無双して調子に乗らずにいられるのか。私なんて、途中に少し勝ち筋が見えただけで根拠のない自信が湧くというのに。


 赤褐色の山肌を踏み締めつつ、辺りを見渡す。緑色の活気はない。地面と同じ色の石ころや草臥れてくすんだアザミ、そして乾いた音を立てて転がる謎の球体だけだ。


「なに、あれ」


 黄が奇怪な視線を送る。


「あー……たぶん、色を間違えて塗った時、消そうとして剥がしたカスを丸めたやつ……かな」

「ああ。道理で色とりどりなわけだ」


 それを空想していた赤たちでなく私が覚えているのは、いつも彼らの空想を後ろから見守っていたからだ。あの時と比べれば、今は皆の後ろ姿より正面の顔馳かんばせをよく見ている。空想はまだ出来ないけど、それなりに対等になれたということなのか。


「ていうか、消しカスがあるってことは……」

「うん。一周して戻ってきちゃったね。海に」


 空の湖からの滝水が溜まった場所、そこを海と呼ぶ。地上ではこの海を源流点として細かい水路が全方位に伸び、先ほどまで何度も出くわした河川や渓流ができている。

 湖の水を直に受けているせいか、四方に分裂する前の海は黒ずみが随分と濃く見える。そこに突き出した岬の先で、私たちは凝然と立ち尽くした。


 ここら一帯は、箱庭の崩れ落ちた真下の地点だけあって見覚えのある空想がよく散見される。それはつまり、未知が少ないということだ。特に目的地はなくとも、とりあえずこの海から離れようとしたはずが、また戻ってきてしまった。


「違う。いや、場所は同じだが……滝はどこに行った?」

「え?」


 はっとして見上げてから、異変に気付く。湖から落ちる滝がない。

 海は顔馳かんばせを映したあの時のような黒ずみを湛えている。一つ違うのは、海が完全に静止していることだ。水面はそこに一切の乱れも許さず、ただただ、秩序めいた息苦しさを感じさせる。

 だからだろうか。おそらくは誰も、頭上の異変にまで意識が至らなかった。


 空が、海の静謐な黒を映してその色に染まっていた。

 凄然と澄んでいた青色は黒く塗り潰され、底の見えない深みに呑み込まれる。空は手が届かない場所から手を伸ばしてはいけない場所へと変貌し、地上の空気をも染め上げつつある。


「なんか前が見えないんだけど!」

「わっ、急に大声出さないでよ……ていうかみえないってなに⁉ く、空気の色が黒くなった⁉」

「皆、落ち着け! 空虚、いるか⁉」

「ここ! よくわかんないけど、皆の色なら見える!」

「よし、空虚は私の傍にいろ。……皆も、互いの色を見ながら動こう。とりあえず問答無用で空気の色に塗り潰されるわけではないみたいだ」

「でも、周りの景色が見えないよ」

「緑、こわいよー! 助けて、赤―!」

「大丈夫。落ち着いて。私の手を握って、ね?」


 なんと表現すればいいのかわからない異質な未知が襲来し、皆困惑している。

 私もだ。いつか感じた不協和音が木霊する。視界が色褪せる。


「どうする、空虚?」

「これは……」


 頭の中は視界と同様に真っ黒だった。不気味な音だけが頭の中で響く。この雰囲気は、あの時に似ている。

 不意に、空の深みから出づるものがあった。

 凝視していなければわからないほどに、それはとても緩慢な動きで降りてきていた。海よりは小さく、湖より大きい。ゆっくりと、ゆっくりと、冥漠を脱ぎ捨てて丸い輪郭を現す。


 色という色はない物体が四つ。木の枝に生る果実とは違い、順序や大小の差もない四つの球体が並行して浮かんでいる。どちらかというと、空から吊るされているようにも見える。

 物体は揺れる。遠くて聞こえるはずがないのに、きりきりという音を立てて徐々に動き始める。

 物体は揺れる。見えない軸を中心に回り出す。向かい側の物体同士が上下に繰り返し動きながら、上空を舞う。


「空虚! しっかりしろ!」


 はたと耳元に衝撃が走り、顔を見上げた。

 青がこちらを見ている。両肩を掴まれている。あれ、今、何をしていたのだったか。


「大丈夫か? 暗くて周りの色がよく見えない。皆も慌てている……だから、空虚が頼りなんだ」

「ああ……ごめん。少し気が遠くなっていた。もう大丈夫だ」直前の出来事を思い返し、これが異常事態だと理解した。「とりあえず、あの黒い空から離れよう。ここにいるのは良くないと思う」


 赤が駆け寄ってくる。左手に黄、右手に緑の手を掴んで引っ張ってきた。どちらも目が虚ろだ。


「私も大丈夫だよ。……あっ、紫がまだぼーっとしてる! ほら、紫、こっち来て!」

『……アナタが、むらさき、か』


 驚きの声を上げるより先に、その影は紫に近付いていた。白と黒を纏った奇怪な身体。顔馳かんばせを持たない平面的な頭。間違いない、オトナだ。


『こちらに来なさい。……ええ、ええ、いいこ、です』

「……ぁ」


 オトナは細い両手で紫の顔を包み、嬉しそうな声音を震わせる。赤が飛び付こうとするも寸前で止まる。


「待って……⁉ え、うそっ、空想が……っ」


 咄嗟のことに頭が付いていけない。

 待て、触れるな。紫を、その色を消すな。

 湖の中で触れられた時、私の胸の色は剥がれ落ちた。借り物の身体だったからよかったものの、皆が触れられればどうなるのだろうか。

 赤は? 青は? 紫は?


 ……わからない。

 逡巡を経て、私は手の中のものを思い切り投げ付けた。以前緑にもらった空想の球だ。

 球は狙い違わずオトナに当たった。白黒の身体が緑色に染まり、衝撃で後ろによろける。


 その隙を突いて接近した青が紫の手を引っ張った。紫は力なく引き寄せられる。手に持っていた花が落ちた。赤は黄と緑を連れてすでに逃げていて、私たちも急いでその後を追う。

 オトナがどうなったのかは見ていない。背後を確かめる余裕なんてなかった。

 とにかく全力で足を動かし、あの空が見えない場所を探す。先を走る赤が指差した空洞に飛び込んだ。


「こっち!」


 視界が暗転して切り替わる。天井が頭上を覆い隠し、黒いものが視界からなくなった。それでも、ここも外ほどではないけど暗い場所だ。苔むした地面は湿っていて少し臭う。

 それ以上は進めない最深部に辿り着いてようやく立ち止まった。振り返ってもオトナが来る気配はない。一息吐いて天井を仰ぐと、懐かしい気分に晒された。

 というのも、崩壊後は天井のない地上を歩くのが新鮮で、洞窟などにはあまり入らないようにしていた。どこまで行っても動かない、あの青い空に見下ろされて冒険したかったのだ。


「紫!」

「大丈夫? 無理しなくても……」


 意識はすぐに引き戻される。紫の目は虚空を見ていた。


「……あ……いや、だいじょう……ぶ……だから、うん……」


 近寄る赤を押しのけ、紫はその場にぺたりと座り込む。

 幸い、見たところ色の欠損はないようだ。どうなるかと思ったけど、救出が間に合ったのだろうか。

 かけるべき言葉を探していると、静まった洞窟内に音が聞こえる。一つ、二つ、短い間隔で水面に滴り落ちる水の音。それを辿って首を巡らせれば、湖があった。地底湖。それが淡い光で洞窟を照らし出している。覗き込んでも顔馳かんばせを映さないほどに濃い緑色で、底も見えず、逆に深さをあまり感じさせない。


「黄と緑は大丈夫。びっくりしただけみたい」


 赤がやってくる。黄と緑は向こうの壁際に座って休んでいる。言葉通り、大したことはなさそうだ。

 でも、紫に肩を貸す青の顔馳かんばせには苦いものがあった。


「どうしたの?」

「……実はもう一つ問題がある」


 その目が紫を捉える。濃い緑色に照らされた瞳は、ぼんやりと陰って暗い。開いた口が何かを言いさして閉ざされた。

 代わりに伸ばされた手のひらから、綺麗な花が咲き出す。儚い色を滲ませた花は手を離れ、くるくると回転してすぐのところで落ちる。それから再び動き出す様子はなかった。


「まさか……空想が?」


 否定の言葉も、動作もない。ただ苦痛に歪む表情だけがあった。それもれっきとした言語だ。

 うなだれる顔馳かんばせに陰が差していく。私は落ちた花を拾い、両手で包んだ。


「紫だけじゃない。私も、さっきから空想の調子がおかしいんだ」


 青の握った拳から冷気のような光が漏れ出る。でもそれが形を取ろうとした瞬間、ほろりと崩れた。言われて気付いたのか、黄と緑も慌てて空想を練ろうと手を伸ばす。

 結果は同じだった。


「……いや、私はできるよ」

「え?」

「ちょっと君の世界、貸して」


 急に赤が身を乗り出す。額同士が触れ合い、赤い瞳と私の褪せた瞳とが間近でぶつかる。片手は胸に添えられた。

 私が見られているのではない。私の瞳に映った、私の見る赤自身を見ているのだ。

 頭に熱が上る。獰猛な決意が赤い身体から溢れ出て、空虚の身は無防備にあてられている。熱い。額と胸が震え出す。


「オトナの言葉なんて聞くことないんだ。禁止って言われるからそう思っちゃうだけ。私は、そんな規則に従わない。私は自由だから。私はワガママだから」


 もう、赤の瞳には空虚が映っていなかった。


「……見えた」

「うん」


 額と手が離れる。頬は火照っていた。


「前から思ってたことがあるんだけど……」全員を見渡せる位置に立って目を伏せる。「空想は、外に出すだけじゃないんだよ」

「どういうこと? この規則も、破れるの?」


 黄がどこか肯定して欲しそうに問いかける。赤はそれを優しく受け取り、そして言い放つ。


「みんな、あの湖に入って。ふふっ……面白いものを見せてあげる」


 とっておきを披露する前のわくわくを隠し切れていない表情を前に、誰も断ることはできなかった。

 潜り込んだ水の中はやはり緑色に輝いていて、空虚の身体を形作る色々が薄れてしまわないか心配になるほどだった。

 続いて青、紫も飛び込んでくる。周囲に細かい泡が立ち上がり、光を撒き散らす。黄と緑まで潜って来たのを確認して赤が頷く。


 輝きの中に紅が差す。緑色の背景は次第に赤く染まり、わずかな濃淡が波紋を描き始める。平らだった視界に何かの輪郭が浮かび上がろうとしていた。それは静寂で、けれど猛々しい脈動をうちに隠しているように見えた。

 感覚のなかを泳いでいる。


「——ねえ。私たち、まるで空を飛んでるみたいじゃない?」


 その言葉が耳に届いた頃には、身体はだだっ広い空に投げ出されていた。風が激流のように騒がしく唸りを上げる。


「えっ⁉ 落ちてる……⁉」

「わー! たかいたかーい!」

「えー、なにー? 聞こえないんだけどー!」


 声は放つそばから空の上へと飛ばされていき、顔を叩く空気が有無を言わせず落下を迎え入れる。落ちるのが早い。もうすぐ地面だ。

 紅葉を携えた森林地帯が眼下に見える。全ての草木がひとまとまりに繋がっているかのような密集具合と活力。脈々と波打つ稜線の彼方まで、それは途切れることなく続いている。


「わっ」


 背中が舞い上がった木の葉に支えられる。妙に熱を帯びた葉っぱはふわりと身体を受け止め、そのまま地面に敷かれた紅葉の絨毯の一部となる。

 付着した葉を払いながら立ち上がる。一面が真っ赤に塗装され、見ているだけで熱を錯覚するほどの景色のなかに降り立った自分を認識する。

 さっきまで湖にいたはずだ。でも今はまるで違う場所に転移している。


「景色が変わった……ここはどこだ?」

「ふふん。変わったように見えるでしょ。なら、成功だね」


 舌を出して片目だけ閉じる赤。紅葉の絨毯を軽快に踏み、前に出て、振り返る顔馳かんばせから笑みが咲き零れる。


「ようこそ、私の隠れ家へ! ……まあ、私も来るのは初めてなんだけど、ね」



 5


「——だからこう、私が密かに思い描いてた景色っていうか……」

「赤はこういうのが作りたかったってこと?」

「うーん、たぶんそんな感じだと思う」

「たぶんって……自分でもわかってないの?」


 黄の問いに、赤は目を点にして応える。これ以上ないほどに簡略化された表情は、見たことこそなくとも意図する所は明白だった。


「……はあ。元の場所には戻れるんでしょうね?」

「もちろん。そもそも移動したわけじゃないよ。私たちの周囲の景色だけをそれっぽく動かしてるの。こんな大きい空想、一気には塗り切れないから」

「んー? どゆことー?」


 緑が首を傾げる。赤自身の言葉に掴みどころがないせいか、誰もまともに理解しているように見えなかった。


「……聞いていてもよくわからないな。空虚は何か知っているのか?」


 困り顔を向ける青に、私も首を傾げて答える。


「いや、実を言うとあんまり……。でも、なんとなくわかったっていうか、見たんだ」

「なにを?」

「赤の瞳のなか。そこに、この景色があった」


 赤く滾った枠越しに、今いる場所が見えていた。そこは吸い込まれそうなほどに鮮明で、したたかな輪郭を宿していた。私に分かることはそれくらいだ。


「つまり、ここは赤の瞳を拡大した空想空間で……私たちはまだ湖の中にいるのか」

「そう、たぶんそれ!」

「なんでわざわざ湖に入らせたのよ?」

「できるだけ一つの色に満ちたとこじゃないと、色々むずかしい……から?」

「ふーん? わかるような、わからないような……」


 とにかく、赤の空想のなかにいることは分かった。

 赤い空の色味が木々の間を通り、薄い幕となってそこここに降り注ぐ。樹冠の形に添って地面に線を引き、複雑に張り巡らされたその網目模様は、水面に揺れる光の波を思わせた。紅葉の絨毯の踏み心地もあって足取りはふわふわと浮き立っていた。緑が飛び跳ね、声が響き渡る。


「それで? この隠れ家に隠れてれば、オトナに見つからないとか?」

「どうだろ? あとからでも湖に入れば、普通に見つかるかも」

「ちょっと!」


 黄の鋭い視線を受け、赤は慌てて手を振る。


「待って待って! 適当に隠れただけじゃないから! 作戦……そう、作戦があるのです!」


 訝しげな視線を一身に浴びつつも、その声はやけに自信ありげな表情に支えられて大きくなる。


「ここに隠れてれば空想が使えるはずだよ。ほら、紫、やってみて!」

「え? あっ、えっと……」

「私がやってみるわ。……うそ、なんで⁉ さっきは駄目だったのに」

「……ほう」


 黄が、青が、口々に感嘆の声を出しながら空想する。

 唯一、共感のできない私には赤がその手を差し出し、強く握ってくれた。指を伝って握る右手が鮮やかな赤色に彩られる。


「言ったでしょ、思い込んでるだけだって」聞き取りやすい声で、穏やかに笑いかける。「皆、自信はついた? なら準備していこうよ。懲りないオトナに見せつけてやるんだ。色塗りまくって、お洒落して武装するのだ!」


 そうして、私たちは少し前の暗闇などすっかり振り払ってしまいそうなあかるい景色のなか、半ば流される形で二度目の規則破りに取り掛かった。

 最初は身体からだった。皆の色を少しずつ拝借した私の身体と違って、赤たちは自身の色一つで全身を塗り上げている。そこで、細部に互いの色を塗り合ったり、新しい形を付け足したりして身体を改造していった。

 もっとも視覚的に効果があったのは髪型だ。各々の象徴として織り込んだ色が眩しく輝き、形だけでも遠くから判断できるような仕上がりとなっている。


「ふふーん。どうだ、かわいいでしょ」


 誇らしげに赤が仁王立ちする。

 赤い花々が背筋にかけて流線形に枝垂れ落ち、先端で火花が弾けるようにくるりとねじれている。どの角度から見ても特定の方向にねじれた髪先は、反り立つ赤色を遠慮なく空へと押し上げる。

 腰の後ろに広がるのはひと際派手な大輪の円環だ。皆の色を借りたために向きも大きさもてんでバラバラな花びらが、茎のようにくびれた細身との対比でけざやかに咲きおおっている。


「私、変じゃない? 自分じゃよく見えないんだから、頼んだわよ!」


 黄は赤と違って、立体的な主張がない代わりに瀟洒な模様を随所にあしらえている。近くで見れば見るほどに輝きが増え、それらを大切に包むように、太めに振り払われた輪郭線が力強く迸る。

 流砂のそよめく髪は輪を描いて循環している。煌びやかな宝石がいくつか散りばめられ、またその下の首や肩、腕、背などにも皆の好む模様が細々と描かれているため、全体的な色合いとしては鮮やかな方だ。


「……私はもういいから、はやく次行って」


 後ろで丸く結んだ紫色の髪に、波紋が織り重なる紫色の身体。全身を包む色味は霞がかっていて、どこか儚く、か細い印象を与える。派手な装飾を好まなかったので、せめてもと色を厚めに塗っている。濃く見えないのは元が薄いからだ。

 それでも恥ずかしいのか、紫はつばの広い帽子を押さえて顔馳かんばせを隠してしまった。手首の内側には赤に描いてもらった花模様がちらと覗く。


「これで色を剥がされても問題ないのか、少し心配だが……」


 正面から見れば、その全体像は笠の形をしていた。青く煌めく欠片が寄り集まり、すとんと足元まで真っ直ぐに下ろした長い髪。小さく纏まった頭部から、それは背中を覆い隠さんと扇状に広がっている。

 背の高さと相まって遠くからでも目印になるその様は、まるで屹立する大樹のようだ。一つ一つの欠片に描かれた落書きのことはおそらく青自身も知らない。というか見えない。


「緑、へんしーん!」


 背は低いが、彩られた身体の鮮やかさは随一なのが緑だ。深く考えずに塗りたくったおかげで不揃いな色々が全身を覆い、目まぐるしく躍動感で溢れている。

 髪も無造作に殴り描きされた色彩がひどく騒々しい。素早く走れば波がうねり、高く跳ねれば風が渦巻く。とにかく落ち着きのない色と模様だ。


「さてと、最後は空虚だけど……」


 皆の視線が集中する。私の身体は元より皆の色で縁取られたものだ。緑ほど乱雑ではないにしろ、それなりに混沌とした組み合わせですでに目立つ。

 悩んだ結果、出来上がったのが衣装だ。腕や脚、胴体などの部位ごとに色を付けたり取ったりすることができる。全員分をもらったので、それぞれの部位にそれぞれの色の服装を着ることになった。混ぜ合わせの配色だ。最初とあまり変わっていない。


「よし、武装完了! これでさっそくオトナを見返してやりたいところだけど……」

「それについては、考えなければならないことがあるな」


 赤もさすがに無鉄砲ではないのか、青の言葉に頷いてみせた。確かにそうだ。最初に規則を破った時みたいに今回も上手くいくとは限らない。


「そもそも、前みたいに色で塗り潰す方法は合っているのかな?」

「ああ、私もそれが気になる。塗り潰したはずなのに、オトナはまた白黒の身体でやってきていたな」


 黄が挙手して乗り出した。


「はいはい! じゃあさ、私たちが空虚に色を塗ってるみたいに、他の誰かが身体を作り直してあげたんじゃない?」

「私は違うと思うよ。だって、オトナの色はなんか、白黒なんだけど色がないっていうの? からっぽっていうか、妙な感触だったもん」

「……そっか。うん、確かに言われてみれば、あれは……無色っていうか、普通の色とは違うのかも」

「むしょくー? なにそれー?」


 彼らの言葉を聞いていて、私も思い当たる節があった。

 継ぎ接ぎでできた、抜け殻のような身体。色を操るが空想と形容するには異質な能力。私とどこか似ているようで相容れないものを感じさせるその在り様は、他のどの概念とも結びつけることができない。


「しいて言えば……皆の特徴の一部を不格好に繋ぎ合わせたって感じだね」

「じゃあ、結局どうすればいいのよ?」


 うーん、と全員が首を捻る。まただ。オトナのことになると、いつも答えが出ない。私たちはオトナに対してなにもしらなすぎる。

 考えろ。未知に直面した時、どうすればいいのか。その手がかりはすでに得たのではなかったか。


「……探索しよう」

「え?」

「探索だよ! わからなければ、見て調べて、地図を描くんだ! 知ってしまえばきっとなんとかなる!」

「わ! びっくりした……」


 思わずぐっと声を張り上げたせいで周囲から懐疑の視線が突き刺さる。言葉は浸透するのに時間がかかるものだ。沈黙の時間は、直接何かを言われるより耐え難い負担をもたらした。


「んー、オトナを探索するってことー? なんか面白そー!」

「悪くないかもな」

「よし、そうと決まればさっそく準備だ!」

「なんか大声で押し切ろうとしてない? ……まあいいけど」


 具体的な案を練った後、私たちは隠れ家を離れた。気付けば身体は湖の中に戻っていて、赤たちに引き上げられた。出てみると、この小さい湖に真っ赤な森林が丸ごと入っていたことが余計に不思議に思えた。


 まだしらないだけで、おそらく空想の使い道は他にもあるのだろう。その発見を手助けするのも私の役割の一つなのかもしれないと、湖を振り返ってふと考えた。

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