第9話 レディースメイド


 閉店の看板が掲げられた扉が開かれると誰もが張りつめた顔で出入り口を見た。

 場所は先程のサロンで、店内には騒動に巻き込まれたロリィタ達が通夜さながらに重い空気を醸している。


「ただいま戻ったのだわ、皆様。夜会は楽しめていて?」


 そんな重苦しい空気を割くように現れた人物、白雪は何食わぬ表情で、皆は彼女が無事に戻ってきたことを理解すると焦燥のままに彼女へと群がった。


「白雪ちゃん! 大丈夫だった!?」

「何ともない!?」

「もう、勇気も過ぎれば蛮勇ばんゆうみたいなものよ! なんで危険な真似を!」


 皆は白雪の身に怪我はないかと、何か酷いことはされなかったかと口々にする。

 寄せられる心配の数々に白雪は困りつつも、どこか恥ずかしいような、嬉しい表情だった。


「白雪様! 御無事で!?」

「お疲れ様です、お嬢様」


 騒ぐロリィタ達だが、そんな彼女等の背後から静かな足取りで歩み寄ってくる人物が二人いた。

 一人はサロンのオーナーだった。〈エクスタシー〉から脅迫を受けていた彼女は肩代わりのように問題解決に迫った白雪に涙目で問いかける。


 だがもう片方の一人といえば穏やかな表情で、端から心配の一つも寄せる様子はなかった。


 曰くは白雪のレディースメイドと呼ばれた蜜月は頭を下げる。

 労いの言葉に白雪は微笑み、取り囲むロリィタ達を掻き分けるとオーナーと蜜月の前に立ち、「然程の苦労もありはしなかった」と簡単な感想を零すだけだった。


「心配は無用でしてよ、オーナー様。私はただ、お話をしに赴いただけなのだから」

「そ、そうはいっても、相手はあの〈エクスタシー〉ですよ!?」

「しかし、その内容は子供の集まりではないの。そうであるならば大した問題でもないのよ」

「い、いやいや、そんな簡単な話じゃあ……」

「いずれにせよお話は通してきたのだわ。今後、変なことにはならないと思うから安心して下さいな、オーナー様」


 白雪の言葉にサロン内の全員が驚愕の表情になる。


「お話しになったので、お嬢様」

「ええ、ちゃんと出来たわよ……何よその顔は。まるで信用していない表情だわ」

「まさか、我等がおひいさまのことですから。それと決めたら完璧に済ますと信じています」


 ただ、と蜜月は言葉を続ける。


「どういったナシのつけ方だったのか……ちゃんと釘は刺しましたか、お嬢様」

「え? あー……あれよ、ほら。一度痛い目に遭えば人というのは同じ過ちは繰り返さないじゃない? だからね、別にその、二度と手を出すなとか、そういうのは不要な台詞だし、まして脅しだなんてやったら相手方と同じ程度になってしまうじゃない?」

「……やはりですか。相も変わらずあなた様という人は、もう……」


 眉根を寄せ、呆れの溜息を吐いた蜜月に白雪はふくれっ面になる。


「ふん、何よ……別にいいじゃない。仮にまた同じようなことをするのなら、その時こそは先よりも更に徹底的に――」

「故に皆は家長を継げと、奈落淵の六代目の座を継げといっているのですよ、お嬢様」


 言葉を遮り紡がれた内容に白雪は口を閉ざす。

 更には会話を聞いていたオーナーやロリィタ達も、やはり白雪という人物が普通の生まれではないことをこの時に確信した。


 皆が知る白雪という少女はロリィタファッションを愛する同士――それだけの情報だった。

 彼女がどういった生まれであるのか、また、姓を名乗ることもせず白雪の名だけで通っていたが故に彼女の素性というのは謎に包まれていた。


 ところがそれがいよいよ明るみになる。

 それも紡がれた姓といえば恐怖の大権現で知られる首都奈落淵一家。

 よもやの真実に多くのロリィタ達は驚きと共に戸惑いを抱くが――


「……ん? あれ? 奈落淵の……あれぇ? なぁんか聞いた覚えがあるような……?」


 ある一名のロリィタは首を傾げ「耳にした情報の内に関係する話があったような」と呟く。


「……何も今、この場でいわなくてもよいのではなくて、蜜月」

「こういった事態だからこそいうのです。確かにお嬢様の手にかかれば如何なる存在を相手にしても勝ちはする。それこそ常勝不敗を誇る喧嘩上手……しかしその実力が宜しくないのです」

「それというのは?」

「敵対勢力を完全に沈黙させるに至らないのです。あなた様が行動を起こせば当然に我々はお守りする為に動きます。ですが先のように誰もともなわず、感情に任せて攻め入って……文句のついでに殴り込んだものの後始末もなく放置して終わるだなんて、あまりにも脇が甘い」

「つまり?」

「要らぬ禍根かこんを残すなということです、お嬢様。やるならば根の全てを刈り取る、或いは服従させるのが当然。どうするのです、いずれはまた残存した兵員達が悪さをするかもしれない。またはあなた様に復讐すべく画策するやもしれない」


 それは説教のような光景に映った。


 ロリィタ達は先までの光景を見ていた。

 白雪が去った後、店内で伸びている〈エクスタシー〉の戦闘員達がスーツ姿の男達に運び出され、駆けつけた警察官達に対しては彼等が全ての対応をしていた。

 どういう形で収まったかは不明だが、警察官達は注意をするだけに終わり、手錠をかけられたり連行される人物はいなかった。


 恐らくはそれが暗がりの世界に住む人々のやり口であり、そんな非現実的な存在を従えるのが白雪という少女なのだと皆は悟ったが、しかしそんな白雪といえば今は侍女にあれやこれやと文句を叩きつけられ、それを顰めた顔で聞いている。


「あーもう、別にいいじゃないの! そうも喧しくしないで頂戴な、蜜月!」

「よくありません。何の考えもなしに行動した挙句、再度このお店が襲われたりでもしてみなさい。そうしたらまたも皆様に迷惑が――」

「ならばまた、私が出張るわよ!」


 珍しく語気を荒げる白雪。

 それと対峙する蜜月は「やはりこういう気質のお方だ」と再度溜息を吐いた。


「〈毎度の如く〉にそうするといっているのよ、この分からず屋! 誰の力添えも後ろ盾も要らないわ、全ては私にとって気に入るか否か、それだけのことなのだからね! そこに組の力を借りるつもりなんてないわよ、無様極まるような真似を誰がするもんですか……!」

「はぁ……本当に〈毎度の如く〉ですよ、まったく……意地っ張りにも程があります、お嬢様。その愚直な性分こそは侠客と呼べますが、そんな風に一人で大暴れを続けていたからこそ、あなた様は〈ハマから東京に戻ってきた〉のではないですか」


 紡がれた台詞に、先から首を捻り続けていた一人のロリィタが合点した顔になる。

 彼女は「ああ!」と大きな声を漏らすと白雪へと接近し、そのままに彼女に問いかけた。


「奈落淵、次期家長、そして〈ハマ〉――横浜! そうだ、そうだった! 何で気付かなかったんだろう? そうかぁ、白雪ちゃんだったんだね! 噂の〈ハマのイかれJC〉って!」

「なっ……な、何でその呼名よびなを……?」

「……よもやこちらでもその名を聞くとは。悪名が知れ渡っているようで、お嬢様」

「余計なことをいわなくていいのよ蜜月、黙ってなさいっ」


〈ハマのイかれJC〉――その単語に白雪は顔を引きつらせ、蜜月の顔が曇る。


 それは先程、香川由香里も口にした渾名だったが、白雪も蜜月も何故か面白くない顔で、対して二人の反応も他所にロリィタは興奮気味に言葉を続けた。


「私、地元が横浜でね、当時は凄い噂になってたんだよ! それこそ横浜一帯を支配してたあのマフィア集団……〈アシッド〉をたったの一人で相手取ってたんだよね!? まさか中学生が、しかも一人の女の子がそんな真似、出来る訳がないって思ってたけど、実際に去年に組織は崩壊して横浜は凄く平和になったんだ! よもやこんなところに地元の救世主がいるとは! さっきの喧嘩の強さも納得するよ、伝説は本当だったんだ!」


 つらつらと語られる内容に、最初、白雪は複雑な表情になり、やがて顰め面になり、更には紅潮し、いよいよ「勘弁してくれ」と言葉を漏らすと完全に床に膝をつき沈黙してしまった。


 明け透けに語ったロリィタといえば「何か間違っていただろうか」と首を傾げるだけで、白雪の羞恥心の理由がさっぱり分からなかった。

 ところが白雪の様子は別にして、他のロリィタ達までもが聞き覚えのある都市伝説を思い出し、皆は白雪を見つめる。


「え、もしかして、あのステゴロ最強とか喧嘩の天才とかって……?」

「確かにイかれた女子中学生がいるって聞いた覚えはあるけどぉ……」

「そういえば今年からはパッタリその話、聞かなくなったね?」

「うん、何でも横浜にいられなくなったから、みたいな別の噂があったような……」


 皆の瞳には興奮の輝きがある。

 それを向けられる白雪は完全にうんざりした様子で、彼女は立ち上がるとカウンター席へと一人で腰かけた。


 背後から皆が無言で詰め寄り「本当のところを語ってはくれないか」と圧を掛けるが、寄せられる好奇心を無視して白雪は己の前方、カウンターに立ったオーナーへと視線を移す。


「思っていた以上に……白雪様には多くの逸話があるようですね?」

「そうも面白がった風に笑わないで頂戴な、オーナー様……はぁ……」


 ちょいちょいと白雪が手招く。

 それにオーナーは頷き、白雪の紡いだ言葉に笑みを浮かべた。


「お茶を一杯頂けるかしら、オーナー様。今夜は未だ一杯も満足に飲めていないのよ……」

「ふふふ。ええ、はい……何杯でもお注ぎ致します、白雪様」


 ため息交じりに茶を口に含んだ白雪は「今夜の徒労もこの一杯で十分に釣り合うだろう」と呟き、遅れた夜会にやっとの思いで参加を果たした。

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