第10話 狂気
クラブ〈スピリット〉は今夜も熱狂の賑わいだった。
老いも若きもなく夜を楽しむ人々で溢れ返り、フロアはエレクトロニカの大音響に包まれていた。
「うっせーですねぇ……やっぱりトウキョウはどの地域も夜は乱痴気騒ぎですぅ」
そんな耳を
眩いストロボに目を細め耳を手で覆い、人波を割きながらにどこかを目指している様子だった。
「っとぉ! ありゃあ、ごめんね君ぃ!」
今し方、
踊り狂っていた彼は適当に謝罪を口にするが、彼はその人物を見ると眉を
「あぁん? なぁんか似つかわしくない格好だなぁ、何だよそのヒラヒラ、フワフワした服は? 場違いすぎじゃね? つーかー……ガイジンさんじゃね? めずらしーねー」
全身を黒一色で染め上げる人物は、クラブの空気に相応しくないように映った。
華美な程の広がりを見せるジャンパースカートで身を包み込み、装飾品の数々はチェーンやスカル、十字架等々、ダークな印象を抱かせる。
メイクといえば血の気を感じない程にトーンは高いが、それにより濃く縁取られたアイメイクが際立つ。
髪型は所謂ところの姫カットで、か
頭からつま先まで観察した青年は場違いな子羊が訳も分からずに紛れ込んだものだと
「けどまぁ顔はいいなぁ? メイクもキッツイ感じするけど、なんかお人形みたいでカワイイじゃん? ちょっとこっちにきなよ君、一杯奢るからさぁ。少しお話でも――」
青年の言葉はそこで途切れる。
理由はシンプルで、彼の腹部にその人物の膝蹴りが叩き込まれていたからだ。
息を吐くと共に彼の口腔から胃の内容物が溢れ出てきた。
騒がしい景色の中、静かに沈んだ彼に心配を寄せる誰彼はいない。
馬鹿な奴がナンパでヘマをこいたと、そういう程度で皆の感想は尽きた。
「ほんと、盛り場ってのは好かんですぅ……これが紳士で知られるニッポン男児だなんて、呆れてものもいえないですねぇ、まったく……」
暴力を仕出かした人物に罪悪感はない。
いっそ煩わしい外道の制裁にストレスが若干緩和したぐらいで、その人物は再度目的の場所を目指した。
奥にある階段を昇り、その人物はフロアの喧騒とは違う、どこか不穏な空気のする部屋の前に立つ。
「店の表に兵隊の姿もなく、本部ですら警備の姿がない……いや、それすらも対応が儘ならないくらいにメチャクチャな結果になったと。やぁっぱ元は
戸に手をかけるとその人物は迷いもなく押し開いた。
その先に広がる景色は凡そ思い描いていたままで、その人物は床に転がっている護衛二名と、大きく腫れた顔をして椅子に腰かける女性と、それに群がる複数の少年達を見るとこれみよがしに大きな溜息を吐いた。
「ボスがそんな有様でどうするってんですぅ? そんな程度の気概でニッポンの端々まで支配しようとしていただなんて、どうにもこうにも過ぎた野心だと思うですよぅ……カガワ」
カガワ――香川の名を口にした人物に、椅子に腰かける〈エクスタシー〉首領、香川由香里は忌々しそうにその人物を睨むと自身に群がる組員達に手を振り「出ていけ」と端的に命令を口にした。
それに困惑を見せた兵隊達だが、物言わせぬ彼女の空気に頷くと、入ってきた人物を睨みつつも部屋から出ていった。
「過ぎたることもまた成長の兆しでしょうよ……それもよもやの大物が直接に動いた事実。あの店に彼の
割れた眼鏡に血で染まったブラウス。
紺色のセットアップスーツは所々が破れていて「これは見ているのも辛い」と、その人物は小さく笑った。
「……黙っていたな、あんた。あの店があのアマの重用する場所だということを」
「何のことですぅ? わたしにはさっぱり理解の及ばないことで――」
「及ばない訳があるかクソガキが!」
怒り心頭に叫んだ香川。
対して冷静な顔になったその人物は、分厚いソールのパンプスで静かに香川へと歩み寄る。
「あのガキが、奈落淵白雪がいると分かっていれば我々は万全の策を講じた! 何せあれは異常を地で行く女だ、昨年なんかは〈ハマ〉に巣食った〈アシッド〉をたったの一人で壊滅に追いやった! にわかには信じ難い都市伝説とはいえ〈アシッド〉は消えた、その事実だけでも奈落淵一家の六代目を期待されるあの女は十分に脅威足り得た! ましてだ、もしも奈落淵一家があのガキに協力する形で戦力を投じていたら〈エクスタシー〉は〈アシッド〉の二の舞になっただろう! たったの一夜で我々の全ては終わりを迎えるところだったんだぞ!」
立ち上がり、迫った人物に対して香川は食い掛からん勢いで怒鳴り散らす。
「そんなイかれ女を〈誰よりも知っている〉手前が! よもやの贔屓の店を知らなかった訳もねーだろうが! 何が〈歓楽街に残っている抵抗勢力を取りこんで完全支配しろ〉だ……本当は、手前は、あの女にちょっかいをかけるのが目的だったんじゃあ――」
「うるせえなぁ」
香川の言葉を遮ったのはその人物の手だった。
その人物は肉薄する距離にまで迫った香川の顔面を己の手で掴み、それを寄せ、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ、よく通る声で言葉を紡いだ。
「貴様等は力を欲した。それは武装を可能とする手段だ。今や暴対法によって極道の存在は希薄になり、実質的な暴力装置は貴様等のような無法の馬鹿共くらいだ。だがその内容が
香川の瞳に映るその人物――麗しい顔付きだった。
誰もがその人物を見て頬を染めるだろうとも思い、事実、その人物というのは、世間の皆がいうところの美少女だった。
しかし香川の胸中にそんな感想はない。
如何に傾国のそれに相応しかろうと、それでも身に纏う空気感に、更には身を包むファッションセンスに、彼女は先まで対峙していた人物、奈落淵白雪を思い浮かべる。
(同じだ、まるで同じだ。この姿には精神性があると奈落淵のクソガキはいっていた。ならこいつのこれは、どういった精神性を表現するんだ)
全身を黒く染め上げるその姿は、所謂はゴシックアンドロリィタと呼ばれた。
十字架や血、スカル等々。
それ等は一般的に触れ難いような、どこか忌避感を思わせる。
だがその美少女はそれを好む。
それで全身を包む。
まるで白雪とは対極にも思える程に暗黒の要素を愛する少女は、その瞳に危うげな輝きを宿していた。
「ならば
手を離し、その少女は地面にへたりこんだ香川を見下ろした。
「カガワ。覇道を進むと決めたのならば、それを違えてはいけない。己の進む道は常に修羅のそれだったろう。ならば……やらねば」
香川は思う。
頂上に至る人物達というのは皆、似たような〈何か〉を持つのだろうと。
彼女はそれを対峙する美少女から感じ取った。
白雪の時とは違う、どす黒く、底知れない闇を思わせる程の
「分かったなら……さっさと立ちやがれですぅ、クソザコ。次が最後の機会ですよ? 折角このわたしが単身でニッポンにまできたんですからぁ、そんなわたしの心労を癒す為にもちゃんと真っ向からまともに喧嘩しやがれですぅ!」
「っ……わ、分かってる、分かってるわよ、クソがっ……!」
もしかしたら自分は悪魔と取り引きをしたのかもしれないと香川は思った。
全ては己の思い描いた夢を実現する為。この日本の闇を完全に支配する為。
暴対法がまともに機能するこの只今の時代だからこそに付け入る隙がある。
この好機を逃せば後の流れは分かった物じゃない。
だからこそに彼女は立ち上がり、その少女と真正面から睨みあい、啖呵を切る。
その上等の様子を見て少女は満足気に笑うと身を翻し、部屋から出ていこうとした。
「あんたは……殺したい程に、あのガキが憎いのか?」
そんな少女の背に香川は問い、足を止めた少女は振り返りもせず、刹那の間をおいて呟く。
「ははは……憎い? 違う、まったく以て見当外れもいいところですよぅ、カガワ……」
扉を開き、少女はその先へと踏み出す。
未だ熱狂の盛り上がりを見せるフロアの騒ぎ――だがその喧騒までもが霞むほど、少女の呟きは香川の
「愛しくて愛しくて、誰にもあげたくないほどに夢中だから……絶望の底に沈めて散々に泣かせてメチャクチャにしてやりたい。それが愛だろう、カガワ?」
それを人々は狂気と呼ぶだろう。
異常を地でいく白雪とはまるでタイプの違う人種だが、そこには似て非なる、けれども近しい程度の
閉じた扉を見つめたまま香川は静かに腰を下ろすと、闇に溶け込むような声量で呟いた。
「やはり……同じだ。あれも奈落淵と同じ、化け物だ」
それでも従う他にない。
そうしなければ他の勢力を圧倒する程の武力が手に入らない。
故に香川は立ち上がる。
それが悪魔との契約に等しいものだろうと、或いは呪いと呼ばれるものであっても、最早彼女に引き返す程の潔さはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます