第8話 ノブレスオブリージュ
「結局、全ては五里霧中だ。組織を束ねたカリスマも姿を消した。誰もが憧れた人物だった。確かに組織の末期は酷いものだったとも。それでもあの人物が多くの不良少年や少女達に夢を与えたのも事実だ。年端もいかない我々でも力さえあればのし上がれる。それを実行する決意を持ち、他者を頷かせるだけの覇気を持てば横浜のような大都市すらも支配できると……!」
香川の表情には切なさがある。
彼女はそのカリスマと呼ばれる人物を知っていたようだが、そんなカリスマが率いた組織を壊滅に追いやったと囁かれる少女が、今、目の前にいる。
「そうも華美に着飾る割に手前はそういう人間だって訳だ……感情任せに暴れ回って、それが首都であれ〈ハマ〉であれ、必死扱いて生きる我々を、同じく闇に生きる住人を気分のままに粉砕して踏ん反り返りやがる……所詮は手前も外道の畜生のくせしてよぉ……!」
香川の胸中にどす黒い感情が溢れる。
この状況に対する納得は何一ついかないが故だった。
立ちはだかったのは都市伝説とまで称される一人の少女だ。
その出自も後の肩書も、最早疑う余地は微塵もない。
奈落淵白雪こそは闇に咲く
だが、そこに納得の気持ちは湧かない。
何故ならば手段や目的は違えども互いは同じく闇の住人。
そんな対峙する闇の姫君が一方的に状況を蹂躙した事実が受け入れられなかった。
「時代錯誤なんだよ、手前等は……今や暴対法によってヤクザなんて何の脅威でもなくなった。最たる切っ掛けはリーマンショックだが、サツに嵌められるどころか弁護士にすら詐欺られる程に手前等は落ちぶれて、看板までをも降ろす羽目になる組も後を絶たねえってのによ……」
香川は眼前にある白雪を睨みながらに言葉を続ける。
「今時はマフィア化が当たり前でガキ共の方が稼ぎはいい。最早半グレとヤクザの境界線は曖昧になり反社の一括りだ。地域の支配図は大きく変わり版図なんて存在する意味もない……だってのに手前等は未だにこうも古臭い真似をしやがる。気に入らねえからと他所の稼業に口を挟みやがる……!」
言葉が荒々しくなり、香川は先よりも強い眼差しで白雪を射抜くと、対抗するかのように彼女の胸倉を引っ掴んだ。
「私のシノギだぞ、私のシマだぞ! まともな反論すら儘ならねえ感情先行型のゴミがしゃしゃってんじゃねえぞボケが! 正当性の主張を無碍に出来るくらいに手前等は偉いってのかよ!? たかだか暴力団が! 手前等如きが何を語るってんだ――」
「渡世というものしか語るものなんてないのよ、小娘」
言葉を遮り、白雪ははっきりとそれを口にした。
「正当性なんてもの、存在する訳がない。そこに論理性があるのならば威力行為の全ては悪であり、間違いだわ。それを自分達の飯の為の手段だと頷く世間はどこにある、誰が認める。それは暗がりにのみ通じる了解事項でしかない。お分かりで……〈カタギはその内に含まれない〉のよ」
「それを、それを手前等が口にするか、暴力を生業とした手前等ヤクザが――」
「我々だからこそ口にできるのよ。何せ我が奈落淵一家こそは渡世を負う極道――貴様等のような外道の畜生を真正面からぶちのめしてきたのが我が家なのだから」
白雪の瞳には強い意思がある。
その双眸は一寸の揺らぎもなく、言葉を真っ直ぐに続けた。
「古くは
渡世――それは古くには生活を意味し、今も尚その言葉の意味合いは根強く、生業や世渡り、生きる為の職業等の言葉を指す。
ヤクザを渡世人と書くことは少なくはない。
「日頃の鬱憤を晴らすべく
それはきっと現代では一つも通じない意識だ。
そういった組織として見る人々だって少ない。
実際に現代の
だが、そんな時代にまったくそぐわない、あまりにも古臭い組織があった。
首都東京に根差すその一家は当代五代目まで歴史を紡いできた。
若頭等のポストを否定し、幹部は全て横並びで枝の組織すら持たず、
全ては〈それ〉が――古臭い渡世の義理と人情こそが己等の存在意義であり、それがあるからこそに存在を許されているという意識が強くあるからだった。
だからこそに彼等は時代を違えた強さを保ち続ける。
喧嘩が強いことに意味はないのが現代なのに、組織として勝利することが重要なのに、それでも奈落淵一家は超絶の武闘派として首都東京に君臨し、長く歴史を紡いできた。
全ては安寧足る時代の空気を護る為。
それを誰に望まれないにしても己等の渡世における、逸れぬ義理があるからと徹底してきた。
「正義なんてものは我々には存在しない。論理性なんてものも意味をなさない。我々が
きっと、それは時代遅れな組織だ。
誰が聞いても稼ぎの薄い、まともに機能しないような弱小組織に思える。
香川もそういった感想に尽きた。何を偉そうにどうのこうのと語るのかと。
だのに、彼女は〈それ〉を強く感じていた。
(なんだ、このガキは。まるで理想を夢想のままに語る程馬鹿馬鹿しい内容なのに、時代劇と勘違いした馬鹿の語りに思えるのに……)
〈それ〉は白雪の全身から放たれる覇気だった。
視認出来るわけもないのに、それは揺蕩うように彼女から生まれ、言葉の内容が下らない風に思えても、納得してしまうだけの力強さを感じていた。
「だからこそに貴様等が気に入らないという、それだけのことが行動の理由になりえるし大義にすらもなりえるのよ。何せ我々は正しさや論理を以て行動するのではないのだから。そこに住まう人々が理不尽に泣くからこそに拳を振るうのだから。彼等のお陰で我々は満足するからこそ、その恩義に応えるべく――貴様等のような渡世も知らない腐れ外道を粉砕するのよ!」
白雪が再度、香川を引き寄せる。
そこに超絶の腕力はない。果てのない膂力すら感じない。
だのに、香川は引き寄せられた。本人ですらも驚く程、ひどくあっさりと。
その理由はシンプルなものだった。
白雪は適当に引き寄せた訳ではない。
意識の隙間――ほんの少し、刹那の狭間で人は意識が緩む。
それを察知したからこそ白雪は引き寄せ、一瞬の気の緩みによって無防備になった香川は体勢が崩れ、眼前に迫る拳を目にすると、間も無く身を襲う衝撃を予想して涙を零した。
「それこそが我が
「あがぁっ……!」
眼鏡ごと顔面を打ち抜かれた香川は落涙しながらに意識を手放し、倒れた彼女を見下ろした白雪は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、全ての用事が済んだクラブ〈スピリット〉を後にする。
ふと、店から出た白雪は立ち止まると思い出したかのような素振りで振り返り、未だ夜の喧騒の中にあるクラブの看板を見上げながらにこう呟いた。
「まったく以て下らない連中だったのだわ……〈アシッド〉の足元にも及ばなかったわよ、〈エクスタシー〉。次は人々を脅かすのではなく、私に直接、喧嘩を売りなさいな」
――首都東京に根差す超武闘派組織、奈落淵一家に生まれた奈落淵白雪という少女は普段からロリィタファッションを愛し、それに身を包む。
何故にそのような物を愛するのかと祖父である銀治までもが理解が及ばず、彼女の独特過ぎる感性には誰もが首を傾げた。
しかし、そこには確かな理由があった。
先に語ったようにロリィタファッションには精神性が大きく関係する。
それこそ分かり易いものであればゴシックアンドロリィタで、死や夜、暗黒や負といった概念に思想をファッションへと落とし込み、それを体現するからこそに意味を成す。
白雪が愛するエレガントロリィタ。
それはロココ調を思わせるフランスに代表される格調であり、〈ノブレスオブリージュ〉とは古きフランスの騎士道精神、そして貴族精神だった。
香川が語った言葉の内に〈服装とは他者に対する意思表示〉だと受け取れるものがあった。
それを事実とするならば香川には見る目がなかった。
何故ならば白雪は正しく精神性を主張する為にロリィタを愛し、〈ノブレスオブリージュ〉を体現するべくロココ調のエレガントロリィタに身を包むからだ。
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