第7話 ハマのイかれJC
「あなたの口にした言葉、それ等は分らんでもないわ。自分達の稼業を同業他社に文句をいわれる筋合いはない。仮に巻き込んだ事態だとしてもね。だからこそ私はそれ自体に文句はない。そんなものはいつの時代も闇の連中が仕出かし巻き散らす糞だからよ」
白雪が立ち上がった。そこには先までの落ち着いた雰囲気はなかった。
それは宛らに抜き身の刀。闇に輝く
不穏とも取れる空気を纏う彼女は一歩を踏み出し、扉の前にある香川へ語りかける。
「けれども〈それその物が大間違い〉なのよ、小娘。何を大口叩いて自分等には正当性があるだの、まっとうなように稼業を語るだのと、糞程に忌々しい台詞を口にしやがる」
白雪が更に一歩を踏み出した。
それだけの動作なのに、しかし、精鋭二名は身動きも取れず、発せられる威圧感に息すらも飲みこんだ。
「分かるかしら外道。我々のような生き物は〈それ〉を口にすることは許されんのよ。〈それ〉は――〈正当性〉なんてものは、間違っても口にするだの、まして同業他社に聞かせるだなんてこともあっちゃならんのよ」
香川は振り返った。
振り返ると同時、彼女の視線は白雪の視線と合致する。
そこには明確な怒りがあった。どころか殺意に等しい空気までもがあった。
それに喉を鳴らした香川は立ち竦んでいる精鋭二名に怒鳴り散らす。
「なっ、何をしてんのよあんた達! そこのクソガキをさっさとグチャグチャにしろよ!」
命令に対し精鋭二人は正気を取り戻した。
空気に中てられたことは事実にせよ、それでも目の前の少女は見たままに歳若い子供でしかない。
息を吸い込み、片方の精鋭が飛び出した。
距離は元より数歩の隔たりだった。
その距離を飛び出す程の勢いで無に帰し、攻め入った一人の男は叫び散らす。
「息巻くんじゃねえぞ小娘が! 手前がどんだけご立派だか知らねえがな、こちとらは骨の髄まで暴力を仕込まれてんだよ! 圧倒的な力の前に死ねや!」
その言葉に嘘はない。二人は香川の
故に相応の鍛錬を重ね、地下格闘技では実力者で知られる猛者でもあった。
総合格闘技を基本としグラウンドを得手とするその男は白雪の胴に目掛けて低い姿勢のまま
そのまま得意の寝技に持ち込み、一方的な暴力を以て白雪を破壊しようと戦略を練ったが、しかし、彼の戦略は即座に意味を失った。
「喧しいのよ、肉だるまが」
「へっ」
接触する寸前、白雪は一歩後退すると同時に男の伸びた片腕を取った。
即座に後退した事実、そして透かされた事実に内心で驚く男だが、腕を取られたという状況に項が粟立つ。
「こいつ、まさか――」
男の言葉はそこで途切れる。
未だ突進の勢いを保った男は急ブレーキをかけようとするが、白雪はそのままに男の腕を引き、体軸の崩れた男はそれだけの動作で更に前へ一歩を踏み出す。
虚を衝かれている――この動きや妙の駆け引きに男は覚えがある。
それは武道や武術に通じる術理、そして理合であり、先まで前方に感じていた白雪の存在感が消え去った事実と、背後に回った空気の動きから自身の身を襲うだろう衝撃を察し、彼は足掻く為に振り返ろうとした。
「無駄よ」
それでも全ては遅い対処だった。
白雪の脚が男のひかがみ――膝裏――に減り込み、更に背へと回されている腕が極められると男は床に顔面から落ちる。
顎先から衝突した結果、男の意識は歪み、それは溶けだすように揺らいだ。
それでも彼のプライドが敗北を許さない。
男は背に圧し掛かろうとする白雪の動きを察知すると即座に起き上がろうとするが――
「だから無駄よ、肉だるま」
極められている腕が軋んだ音を発し、全身の末端にまで響く程の痛覚と衝撃が駆け抜けた。
「がぁっ!?」
腕は〈圧し折られた〉。
通常の精神でそれを当然のように仕出かすというのは普通ではないし、実戦を模した組み打ちであっても実際に骨折することは早々ない。
だがその〈生温さ〉が男の敗因となった。
男はそれでも尚と立ち上がろうとするが、しかし男が顔を振り上げた時に、眼前に迫った物を理解すると同時に言葉を失った。
「ではよい夢を」
足刀――チャンキーヒールが目前にあり、顔面に減り込むと、男は完全に意識を手放して地面に倒れ伏した。
白雪は一度呼吸を挟むと倒れた男には目もくれず、再度眼前へと視界を戻す。
「て、てめぇええ!」
そこには残る精鋭の一人がある。
白雪の動作からして武を修めた人物だと男は悟ったが、それでも単純な腕力でなら負ける訳がないという自負があった。
相方は油断をしていたが為に醜態を晒す羽目になった――そう結論し、男は懐から特殊警棒を取り出すと大上段から一気に殴りかかる。
だがその様子に白雪は呆れ顔になる。
嘆息しながらに傍にあったパゴダ傘を
「え?」
どうやってだ、と男の脳内は疑問に満ちた。
確かに彼我の距離は大きくはなかったし、先に距離を詰めたのは男の方からだった。
それにしても予備動作の一つもなく、かつ、撃ち落とす位置を理解して死角に動いた判断能力が理解出来なかった。
「だから道具を満足に操作できない馬鹿が道具を持つなといっているのよ、間抜け」
男が大上段から振り下ろすと共に白雪が男の真横から日傘で警棒を撃ち落とした。
男の手の内が激しい衝撃により痺れ、全身に振りかかったような重量に汗が吹き出す。
更に白雪のパゴダ傘が男の腕を下方から巻き上げるように振り上げられ、動作に釣られる男は両腕を振り上げる形となり――
「け、剣道――」
「否。術よ。剣術」
眼前に迫った日傘を見て男は台詞を零し、顔面に減り込んだ日傘の衝撃に意識を掻き消され、膝から崩れていった。
「な、んなっ……な、馬鹿な、なにっ、なにがっ……!?」
その光景を香川は信じられずにいた。
地下格闘技の世界でも名の売れる脂の乗った若き戦士二人が、たった一人の少女に為す術もなく完封された事実。
どうあっても体格や腕力で圧倒的優位にある精鋭二名が負ける道理などある訳がなかった。
だが自慢の戦力は沈黙し、そんな二名を撃破した白雪は真っ直ぐに香川へと歩み寄る。
「お前、ガキ、何をしたんだ!? ありえねえだろ、そんなもん! そいつらはよっぽどの腕利きなんだぞ!? お前みてーなガキが圧倒出来るような、そんなタマじゃあ――」
「残念至極、糞ザコもいいとこだったわよ。それこそ家の若い衆でも簡単に圧倒できる程にね」
白雪が腕を伸ばし、言葉の最中にある香川の襟首を引っ掴み、無理矢理に引き寄せた。
その力の加減に驚くのは香川本人だった。
何せ先の光景を前にすれば、それは余程の怪力で、それこそ怪物然としたような、凡そ信じ難い化け物のような剛力だと思っていたからだ。
しかしその事実は、そして予想は大きな間違いだった。
(ぜ、全然……力が、ない……?)
そこに激しい腕力や途方もない膂力は微塵もなかった。
引き寄せられたと同時に身を包むのは柔い力で、そんな儚い
「どうして……どうして、こんな非力で、あの二人を……」
口をついて出た疑問だった。
どうやったってこの程度の腕力では成し得ない。そしてこの程度なら自分でもどうにか出来る――確信を得られる程に白雪からは力を感じなかった。
だが問いに対して白雪は首を傾げ、更に顔を寄せると香川の顔を覗き込んで答える。
「何を疑問に思うのよ。力なんか必要ないのよ。勝てるだけの能力や技術があればいい……それが喧嘩というものでしょう。それとも見てくれで勝負が決するとでも? だったら家のお爺ちゃんが世の全てを制するわよ。ああいや、実際にそれはそうなんだけども」
「じ、じゃあ噂の一つは正しかったのか? 〈殺しの訓練〉を受けてたってのは、本当に――」
「そんなもん受けちゃいないわよ。ところであなた、美容と健康には当然気を使っているのでしょうね。曲がりなりにも乙女として生きるのであれば美意識というのはとても重要なのだわ」
香川の疑問に白雪は妙なことを口にする。
内容が理解出来ない香川は疑問符を浮かべるだけだったが、今し方の美容と健康という言葉こそが〈彼女が身に宿す力の全て〉だった。
「最初は興味本位から始まるのが趣味だけれどね、続けていると日課や習慣になるのだから人の持つ意識というのは素晴らしいものだと実感する程よ。そうして幼い頃から美意識と健康の為にと続けているとね、こうやって様々な付加価値を身に宿す程に効果を得られるのだわ」
一度言葉を切り、白雪はついぞ真実を口にする。
「主となるのは太極拳。道具も使った方が効果的だからと古武術なんかも取り入れて毎日欠かさず鍛錬をしているとね、こういう風に……腕力や体格に頼らずとも、何とかなるのだわ」
それこそが彼女の根幹だった。
幼い頃から美容と健康に意識を強く持ち、運動こそが最大の効果を発揮する筈だと悟った彼女は〈趣味として様々な武術を覚えた〉。
主体となる技術は
大陸系武術の本家本元、その中でもより分かりやすい攻撃的かつ剛猛な動作が華々しさすら醸す。
先々で見せた〈爆音に近い撃破音〉や〈陥没する程の威力〉や〈近接状態による攻撃〉は八極拳由来であり、所謂は〈
更には「武器術は健康器具と同義だろう」と考え、日本古来より伝わる古武術を身に宿し、剣のみならず杖、槍、縄、他様々な暗器も操作できる。
極めつけは合戦格闘による組み打ちも取り入れている為か、古式の〈柔〉も得意のようで、例えば先の竜ケ崎円の時のように腕を取ってそのまま地面に投げつけることすら可能だった。
「エレガントとはイコール生活に由来するものよ。食事に始まり日々の運動こそが己を美しく保つ最良の手段なのだわ。怠けていてはダメよ。何せ乙女であるのだから、美しくなければね」
実際問題、
だが陳家太極拳は対極の性質を持つ。
動きは俊敏で攻撃特化の暗殺拳とは正しくで、その上に八極拳という近接格闘において最大効果を発揮する武術まで身に修めるというのは並々ならぬ情熱が伺えて、健康の為というのは建前にしか聞こえなかった。
「なんだ、そりゃ……美容と健康の為に武術を覚えただって? それさえ覚えりゃどんな暴徒すらも圧倒できるだって? 齢十五のガキに、そんな真似が、そんなことが出来るって!?」
「したでしょう、実際に。それが全てよ。日々の努力は裏切らないのだわ」
簡単にいってのけた白雪に香川は首を横に振るうだけだ。
何せ普通であれば不可能な領域だし、如何に技術と能力があるとはいえ、やはり年若い少女に圧倒することは不可能だと思う。
だが、きっと、世の中には〈そういう人種〉もいる。
事実として格闘の天才や武道の
そしてその内に白雪は含まれているのだとこの瞬間に氷解した香川は、先々に思い出した奈落淵白雪にまつわる様々な噂が脳裏に過った。
「そうか、そうか……あんたぁつまり、
最早信じ難い都市伝説は真実だと彼女は確信する。何故に大袈裟な伝説が囁かれるようになったのかを。
これらの技術を有するが故に〈とある地域で暴れ回る〉ことができたのだと。
「あんたがあれをやりやがったんだ。荒れ狂った〈ハマ〉を、〈イかれた武装集団〉をたった一人で殲滅して〈ハマ〉の
香川の瞳には恐怖の色がある。
彼女の台詞に対して白雪は眉根を寄せ、鋭い目つきになると不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「なんのお話だか分からんわね。私は生まれも育ちも東京なのだわ――」
「〈アシッド〉だ、イかれ女……!」
白雪の言葉を遮って香川はその名前を紡ぐ。
「覚えは十二分にあるだろうが! その巨悪の名を! 〈ハマ〉のマフィア組織を! そりゃ東京じゃ手前の存在が知られねえわけだ、何せお前が暴れてたのは東京じゃあねえ! 〈ハマ〉――横浜だからだ……!」
吐き捨てるような台詞に白雪の眉間に皺が寄る。
苦虫をかみ潰したような表情と不穏な空気に香川は息をのんだ。
白雪が真実を口にせずとも伝説は本当にあったことだと理解する。
嘗て横浜を支配した組織がある。
構成員の数は二百名に迫る程で、驚くことに〈女性のみで構成される上に年齢は十代後半から二十代前半〉と皆が歳若く、更には集団が武装をしていた事実は広く知られていた。
銃火器類を所持し地域の極道集団や他のマフィア組織とも真っ向から衝突する生粋の武闘派で、結果として横浜を支配した事実が件の組織の実力を物語る。
だが実力至上主義の組織は内部から崩れていった。
〈とある一人のカリスマ〉が率いていた組織は幹部の内で派閥が生まれ、最終的には首領を他所に二つの勢力が正面衝突をする結果になり、この内部抗争に巻き込まれる形となった横浜は最悪の地帯に変貌した。
「ところがだ……そんな大荒れの横浜に突然に横槍を入れ、挙句は驀進し数多の害悪を殴り飛ばし、最終的に両派閥の代表者二名を諸共に粉砕した少女がいたとかいう、実しやかに囁かれる都市伝説があったんだよ。〈本人には実感がなかった〉のかもしれねえけどなぁ……!」
それは抗争に巻き込まれる地域住民が産み出した偶像的なものだったかもしれない。
そもそも年端もいかない少女が武装した二百名もの集団を相手取る事など非現実的で、やはりこれは虚像のように、ありもしない噂の程度から広まった流行りの一つだと誰もが思った。
しかし無視できない情報もある。
それも多々、どころか数えきれない程にあった。
例えばある夜の海辺で銃火の中を飛び回り、真正面から突っ込んでいく少女を見たという人物がいた。
またある時には
更にあるところでは、またいつの日にかは、さる日の晩には――等々、都市伝説に信憑性を持たせるような目撃例が幾つも浮上し、その数は枚挙に暇がない程だった。
果たして真実は不明だ。
結局は虚像であり偶像的存在で、目撃したという人物達は愉快犯的に
ただ、意図してか否かは不明にせよ、その少女には共通した情報があった。
その少女は時代錯誤のように華美なファッションで身を包み、悠然としていて、どこからどう見ても喧嘩の一つも出来そうにないくらいに華奢で、誰が見ても頷く程の美少女だという。
ではその少女の名とは何か、となると誰も口にはしなかった。
結局は最重要な部分だけが抜け落ちていた訳だが、ところが聴衆の内では「もしやあの人物ではないか」と過る名があった。
「それこそが奈落淵一家が嫡女……お前だ、奈落淵白雪! 〈ハマのイかれJC〉さんよぉ!」
「誰を呼ぶかも知らんけどもね……その名で私を呼ぶんじゃないわよ。ぶっ飛ばすわよ
曰くは首都最強の極道組織に生まれた御令嬢。
普段から浮世離れしたファッションを好む彼女だが、この少女が、とある女学校の横浜校に通う姿が度々確認されている。
生まれは東京である筈なのに、何故に横浜に――疑問の答えは誰も持たない。
だが件の少女は確かに横浜に存在していて、その間にマフィアの派閥間で抗争があったのも事実だった。
全ては噂の程度、確証の一つもない都市伝説の程度。
それでも横浜の巨悪は都市伝説が広まる頃に消滅した。
そこに至った経緯は不明だし、件の組織を率いていた〈とあるカリスマ〉は横浜から姿を消し、例の少女も姿を消した。
以降、その都市伝説は囁かれる程度となり、誰も真実を知ることはないが――今年の春、とある少女が〈同校の東京校高等部に転入してきた〉時期と、何故か不思議と符合していた。
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