第6話 カチコミ


 香川かがわ由香里ゆかりは嫌な予感がしていた。


 今年で成人を迎えた彼女は大学生をしながらに〈エクスタシー〉を運営する、首都歓楽街を実質的に支配する程の手腕の持ち主だった。


 見た目は普通だ。紺色のセットアップスーツに白いシャツ、眼鏡までかけるといよいよそこら辺を歩くキャリア組を思わせるが、しかしはらの内は普通とは一線を画する。


 約五年前から彼女は非行に走る女子達に注目し、彼女等が計画性もなく春を売る姿に呆れを抱いた。

 これを纏め上げ組織化し、その傍らに女衒ぜげんとして歳の近い女子達を抱きこみ、僅か一年足らずで全体の稼ぎは億に届いた。


 何故これ程の急成長や拡大化が実現したのかというのは単純で、元より非行少女達は美人局つつもたせ紛いに商売をしていた訳だが、そこに不随する暴力を得意とする非行少年達を実戦力として同じく抱きこみ、これを指揮して他の勢力等々を粉砕し、それらを吸収してきた。


 気がつけば勢力図は百五十名に及ぶ。

 業務内容も色や春だけに留まらず、彼女は手に余る程に大きくなった暴力装置――非行少年達を使役して新たな事業を展開しようとしていた。


 それこそは強請ゆすりやタカリに留まらない、もっと直接的な暴力を以て他の地域を蹂躙し、他組織を併呑へいどんし勢力を全国に広げようと考えていた。


 最早それは単なる非行グループの範疇に留まらない。

 半グレと称するならそれに尽きるが、彼女が向かう道は、今や鳴りを潜め存在感すら希薄きはくになった極道組織を目指すような姿に映る。


『ボ、ボス、なんかやべえのがきました!』

「……ええ、そうみたいね」


 覇道を突き進む彼女に疑問を抱く誰彼はいない。

 一見して一般人にしか思えない風貌も徹底した擬態であり、彼女は全方位において油断をしない。


 ところが今夜の彼女に余裕はなかった。

 胸騒ぎから顔をしかめ、携帯端末越しに伝わる焦燥の声に溜息を吐いて、革張りのソファに深く背を預けた。


〈エクスタシー〉の本部、クラブ〈スピリット〉――客間兼事務所が彼女の玉座だった。


 背後に立つ筋骨隆々とした二名の男達は彼女の様子にいぶかしむが、端末越しに伝わる言葉にこそ二人は眉根まゆねを寄せる。


『わけ分らんっすよ! なんか場違いなフワフワした服を着た女がボスを出せって!』

「フワフワした服……」

『そうっす! 兎に角、捕まえようと思ってもアホみたいに強くて!』

「ああ、それは、まあ……〈無理〉でしょうね」


 今夜、彼女は新たな事業を展開する前段階として、歓楽街で最後の抵抗を続けていた飲食店をも支配するつもりだった。


 ここを落とせば歓楽街は完全に彼女の物になる。

 老舗しにせで知られるその店は何をしても首を縦に振らなかったが、客の一人や二人を使って脅せば物事は済むだろうと誰もが思った。


 しかし流れが可笑しかった。端から実行部隊との連絡が儘ならず、行動から小一時間経っても碌な報せがない。どころか後発の部隊すらも連絡がとれない。


 トラブルがあったのは明白だったが、歓楽街で残る危険因子や抵抗する組織というのは存在しない筈だった。

 故に彼女は理解が及ばなかったが、彼女の脳裏にとある人物の名前が過った。


 それというのは古い任侠組織の一人娘で、今年から高校生になった彼女は歩く伝説的な扱いをされていたりもした。


 伝説的――彼女の祖父には多くの伝説がある。

 その多くが非現実的なものばかりで、例えばビルすら殴り倒したとか普通車両を片手で持ち上げて振り回しただとか実しやかな伝説がある。


 そういった人間離れした祖父を持つが故に、彼女にも都市伝説に近い噂があった。


 祖父譲りの〈怪力の持ち主〉だとか、幼い頃から〈殺しの訓練を受けていた〉だとか、彼女が一声かけるだけで動く〈特殊部隊が存在する〉等々、やはり現実的なものはない。


 だが、今、彼女はその都市伝説のうちで、何故か引っかかる内容があった。


「その人物をここに通してもらえるかしら」

『え……!? で、でもボス!』

「いいのよ。抵抗の意味もない。何せ彼女は……〈喧嘩で負けたことがない〉んだから」


 曰くは〈喧嘩の天才〉で、昨年には〈とある地域で暴れ回っていた〉という噂があった。


 何故にそれが頭に過ったのかは分からない。

 だが不思議と肌にはヒリつく感覚があり、先から胸の内にはおりのようなものがあった。


 五年間、闇の世界で奔走ほんそうした果てに得た感覚だった。

 それは危機感であり、それを持つが故に引き際や加減というものを踏み間違えないように徹底し、リスクマネジメントは完璧だった。


 そんな彼女の危機意識が警笛を鳴らす。

 何かがきていると。それは途方もない存在だと。


 果たして真実は不明だ。

 誰が何の用立てがあって居城に踏み入ったのかも分からない。


 それでも彼女は己の感覚を信じ、問題の人物を部屋に招くよう伝え、僅かもして開かれた扉から姿を見せた少女に目を見開いた。


「なんだかとても派手で賑やかしい場所ね、クラブというのは。こういう場所は初めてだから勝手が分からないのだわ」


 そこに、場違いすぎて理解不能な少女が立っていた。

 所謂はロリィタファッションと呼ばれる服に身を包み、豪奢ごうしゃに飾り立てた姿のまま真っ直ぐに歩き、手には日傘を持つ、意味不明過ぎる少女だった。


 少女の後方には顔面を大きく腫らした男達の姿がある。

 そんな男達は自分達の無様も他所にして伺うように香川を見た。

 対する香川は頷くだけで、背後にいる二人の精鋭は目を皿にして何とか状況を理解しようと努力をした。


「まさか噂の少女というのが実在していたとは……この様子を見なければとても信じられなかったでしょうね」


 若干の上ずった声からして香川には緊張がある。

 そんな彼女の反応を無視して、入ってきたロリィタ少女――白雪は扉を後ろ手に閉め、香川を真っ直ぐに見つめた。


「何のことかは分からないけども、あなたが〈エクスタシー〉とかいう集団の親分なのかしら」

「ええ、首魁しゅかいとして腕を振るっておりますよ……香川由香里と申します」

「あら? 名乗る程の常識は持ち合わせていると。意外ね、あの連中からしてとても礼節を知る人品じんぴんには思えなかったのだけども」

「そうもいわないでください。なまじ、あなたのような大物を相手にしては名乗るのは当然ではないですか……奈落淵白雪様」


 奈落淵――紡がれた名前に精鋭二名は驚愕のまま白雪を見る。

 二人の反応は至極当然のものだった。それこそは白雪ではなく奈落淵という家名にこそ恐怖を覚えるからだ。


「曰くは首都に根差す超絶武闘派組織。他の暴虐を許さず首都全域を支配下におき、過去には数百の組織と真正面から喧嘩をした程の狂った極道一家……伝説と称されるヤクザ組織というのは大仰おおぎょうにも程がある噂を持ち、それが絶えないのですから、中々に恐ろしいものです」

「そのどれもが眉唾の域よ。例え私の祖父が怪物のそれだとしても、流石に数百の組織と鎬を削るだなんて夢物語、誰も信じないわよ」

「ですがあなたを前にしてはその噂も真実に思えてくる。それこそ、ここに一人で辿り着いている事実も含めて……」


 一つの呼吸をおき、香川は白雪を見つめる。


「ここには二十名程の戦闘員がいたのに。それらを突破するとは喧嘩自慢は本当らしいですね」

「別に自慢でもないし大した程度でもなかったわよ。それよりも喉が渇いたのだけども」


 白雪がここに在るという事実。コネもなくアポも当然取り付けていた訳ではない。

 彼女は真正面から〈スピリット〉に踏み込んだわけだが、当然〈エクスタシー〉の面々が黙って通すはずもなかった。

 ではどのようにしてここに辿り着いたのかという疑問が生まれるが、答えは先程の通信や少年達の痛ましい姿だった。


 香川には全く想像に及ばない真実だった。

 耳に届く都市伝説の数々はそれこそ伝説の域であり、たかだか十五歳程度の、しかも小娘如きが暴力を手段とする不良達を相手に圧勝することは不可能に思える。


 それでも彼女の目の前に白雪はいる。

 場違いが過ぎる格好で何一つ怯えた様子もなく、どころか生意気にも茶を寄越せと宣った。


「……お前達、奈落淵様にお茶を」


 状況に追いつけない精鋭二名だったが香川に命令されると大人しく指示に従い、二人は裏手の給湯室へと向かった。


「御親切にどうも。私ね、未だお茶の最中だったのよ。ここは喧しくて好みではないけども、まあお茶の一杯でもあれば気も紛れるかしらね」

「お茶の最中だった……ですか」

「実に楽しく恋しい一時だったのだけどもね。途中で邪魔が入って何もかも台無しなのだわ」


 香川の額に汗が滲む。

 茶と菓子を盆にのせて精鋭二名が戻ってくると、白雪はそれを自然なように受け取り、内容を口に含んだ。


「ありゃま、これは酷い味だこと……」

「よもやあなた様が先の店にいらっしゃるとは。大変なご無礼をお許しください、奈落淵様」

「別に無礼も糞も、それがあなたたちの稼業であるのだから、それはまた別の問題よ」


 稼業と口にした白雪は自然体だった。

 てっきり先の騒動が発端となり怒り心頭に暴れ狂うだとか、散々に怒鳴られると思っていた香川は拍子抜けた顔になる。


「では許して頂ける、と」

「私に許す、許さないの権利なんてないのよ。それを持つのはオーナー様でしょう」

「……中々に御理解のあるお方ですね。流石は彼の奈落淵一家が嫡女、といいましょうか」

「何を以て流石と称するかも不明だけども……直接に私が攻撃対象だった訳ではないからね」


 まるで白雪は、本当に文句の一つもなく、ただ気紛れに極悪組織に立ち寄って茶を飲みにきたような様子だった。

 その道中、クラブの従業員――組織の戦闘員は暴力を振るわれたが、その程度で済むならば大助かりだと香川は思う。


「ただね……どうにも気に入らないことがあってね、香川さん」


 だのに、そんな白雪の瞳に鋭い輝きが帯びる。


 如実に全身からは不穏な空気が漂い、それを察すると精鋭二名は香川の両脇に移動し、警戒心を隠すこともせず白雪を睨んだ。


「そりゃ闇に生きる人間というのは往々にしてそういうものよ。まっとうな手段を持ちはしないから弱者から奪ってきた。それは金銭であったり土地、建物であったり、或いは人命であったりと様々よ。そんなんだから闇の世界の住人というのは古い時代から忌諱されてきた」


 白雪はカップの内容を飲み干し、嘆息を挟むと鋭い双眸で香川を射抜く。


「けれども、それは外道の所業と呼べるものよ。ひたむきに生きる人々を横合いから殴りかかっていい道理などないのよ。まして暴力や脅迫で無理くりに人を服従させるだの、実質的に店を奪うだの、それは乞食の如き浅ましさなのだわ」


 淡々と言葉を続ける白雪だが、精鋭二名の表情が段々と険しさを増し紅潮する。

 そんな今にも飛び掛かりそうな勢いの二名だが、それを制するように香川が反論を口にした。


「随分と良心的なお言葉ですね、奈落淵様。しかし美辞麗句びじれいくにも思えるのは何故でしょうかね。あなたがそれを口にするのは、どうにも納得し難いという気持ちがあるのですよ、私には」

「へえ、それは何故かしら」

「何故も何も……その闇の住人と称した存在の、それも糞極まる程に多くの暴力を巻き起こした一家の跡取りがそれを口にするのだから、どうしてこれを受け入れられるというんです」


 聞こえは耳に心地よく、恐らく多くの人が納得するだろう台詞。

 だがそれを口にしたのは恐怖の大権現と呼ばれる祖父を持つ、奈落淵一家六代目組長の座を約束された人物。


 年端もいかない小娘が、何を世の真理を豪語するのだとか、それこそ誰がどの立場で正論を口にするのかと、香川には道化のそれにしか見えなかった。


「元よりあなたに迷惑をかけたことを別の問題というのであれば、今回の出来事は偶々だと認めたも同義。そもそもは同じく闇を稼業とする人間が、それも後に組を継ぐだろうあなたが、何故に我々を非難し、挙句は気に入らぬと文句をいうのか? それはエゴでしょう、奈落淵様……あなたが重用する店が偶々、被害に遭ったというだけで、そこにくちばしれるに足る道理はどこにあるのです。他社の業務を仕方なしと頷いておいて、よもや感情論を持ち出そうと?」


 如何に伝説が云々と、祖父に化け物を持とうと、その実態は正しくガキだと香川は結論した。

 恐怖を抱いていた気持ちは霧散し、今、彼女の瞳に白雪は歳相応にイかれたファッションをする間抜けに映った。


「やはり未だ幼い。真正面から乗り込んできた胆力ばかりは認めざるをえませんが……あなたは見たままに出来が悪いらしい」


 香川は白雪をよくよく観察する。


 華美とまで呼べる装飾品に時代錯誤にも思えるロココ調のワンピース。

 ヘッドドレスまでするといよいよ西洋人形のようで、その姿はあまりにも浮世離れしていた。


「例えば私の姿だ、奈落淵様。このスーツ姿を見てどう思いますか。仕事が出来そうだとか真面目そうだとか、そういった印象を抱くでしょう。それというのは手段なのですよ。見た目の一つとってして、それは他者に印象付ける大きな手段となる。そうして信用や信頼を頂き、常識を知る人物だと相手に認めて頂ける。だがあなたはその見た目のままに常識を知らないし世間を軽んじている。己の思うセンスや哲学を前面に押し出し、それをこれ見よがしに主張する姿は正に阿呆のまま……他者を蔑ろにするような無礼でしょう」


 立ち上がった香川は白雪を見下ろす。

 何故にこんな小娘が喧嘩無敗だの最強だのと噂されるのかと今になって馬鹿馬鹿しく思うと、やはり奈落淵という家名が幻想を抱かせるのだと彼女は結論した。


 ここに辿り着いたのも恐らくは他者の助力があったが為で、一人で入室したのは不相応な矜持や、噂を裏打ちすべく虚勢を張ったに違いない。


 華奢で歳相応に未熟な小娘など取るに足りない。

 万が一、腕力に自信があったところで絶対的な暴力装置――己の精鋭二名を前にしては無力だろうとすら思う。


「対峙する人物を前にしてその姿、そして一家の名を背負うにしても不相応……組の名が泣くというものだ。こんな少女趣味の、噂や都市伝説が独り歩きするだけの小娘を祀り上げるような奈落淵一家も、所詮は古い時代の組織でしかない……過去の遺物だ」


 もう結構だと香川は呟き、その台詞を聞いて精鋭二名が白雪へと迫る。


 先から喧々と文句を寄越されていた白雪といえば、何一つとして反論はしなかったし、彼女は香川の言葉を黙って聞くだけで、沈黙した様子に「やはり噂程度の小娘か」と香川は思う。

 精鋭二名も息巻いたガキが反論も出来ず論破されて意気消沈しているものだと思った。


 故に、もう、白雪という少女に恐怖を抱く人物はいなかった。

 超絶の勢いを誇る天下の〈エクスタシー〉――彼等は手元に噂の少女が転がり込んできた事態を好機だと考えを改めた。


「殺すなよ。手足の一本くらいは残せ」


 白雪が真実、奈落淵一家の嫡女であるならばこれ程に都合のよい人質もいない。

 香川はこれを使って件の組織を脅迫しようかと思案する。


 完全に背を向けた香川は今一度、先の店で何があったかを確認する為にも、そして本当に奈落淵一家が関与した事態なのかを確かめる為にも、この場を精鋭二名に任せ立ち去ろうとした。


「――渡世とせいも知らぬ小娘が何を口にするかと思えば、阿呆らしい……」


 だが、それは叶わなかった。


 香川が扉を開くよりも早く、精鋭二名が手を出すよりも早く、その言葉は響いた。

 それは耳に心地のよいソプラノ。誰もがその声を聞けば至福に顔を綻ばせるものだった。


 けれども、その声の調子に、何か、途方もない深みと、重みがあった。


 まるで景色に染みだすだとか、或いは空間をも切り裂いたかのように、それを口にした少女の存在感が一気に膨れ上がった。

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