第2話 夜のお茶会


 宵の時刻、首都歓楽街にあるサロン〈ブルーヘブン〉に乙女達は集った。

 所謂はお茶会と呼ばれるオフイベントで、銘々めいめいは愛する服に身を包み同好の士と時間を楽しむ。


 本日は夜会なこともあり、ゴシックロリィタや黒ロリィタといった暗い色調が目立ったが、それでも華々しい空間には様々な色や花が芽吹く。


 ピンクで全身を可愛らしく表現するロリィタ、和装にロリィタの要素をふんだんに落とし込んだロリィタ、アンティークドールのように落ち着いた空気を醸すロリィタ、ボーイッシュに全身をまとめた王子スタイルのロリィタと十人十色だった。


「うわぁ、今日も凄く可愛いね、白雪ちゃん!」

「本当だよねぇ、これ既製品じゃなく手作りなんでしょう? 作り込みがヤバイよー!」


 華やぐ景色の中、一角には一つのグループが出来上がっていた。

 その内には白雪の姿があり、彼女はカップの内容を口に含みつつ、寄せられた賛辞に微笑んだ。


「ありがとう、皆様。ええ、これは私の友人が仕立ててくれたものなの」

「白雪ちゃんのお洋服を見る度に思うけど、製作者の魂をひしひしと感じるよ!」

「そうだよねー、生地にせよ厳選しまくった感じで、このオフホワイトの色味も白雪ちゃんの肌色にマッチしてるし、愛が伝わってくるよぉー」

「なんだか照れるわね……でもありがとう。本人にも伝えておくわ」


 席に腰かける白雪は、先の本家で蜜月から手渡されたワンピースに身を包み、それを完全に己の物として着こなしていた。


 あしらわれた花や蝶を模した刺繍にフリルをふんだんに施された装飾は、一見して派手に思われるが色味はオフホワイトと落ち着きを持たせ、軽くくすんだようなスモーキーな印象がエレガントロリィタの王道を思わせた。


 それでもミドルよりも少々高い丈に二枚のパニエを着込んだことにより裾の広がりは僅かに大きい。

 少女の〈らしさ〉を思わせる意図こそは甘ロリの要素で、幾分大人びて見える白雪のあどけなさを表現するかのようだった。


「それにパゴダ傘も抜かりなく常に手元に。流石というか徹底しているというか……」


 白雪の傍らにはレースで豪華絢爛に装飾された日傘があった。

 ロリィタを愛する人々にとってこの日傘――パゴダ傘はなくてはならない要素でもある。


 実際問題、それがなくてもファッションとして成立はする。

 それでもロリィタをよく知る人も知らない人も、恐らくロリィタを想像した際に日傘を差し優雅に歩く姿が思い浮かぶだろう。


 それというのは一つの象徴性であって、如何に姿が完成された物だとしてもイメージに起因するアイテムというのはなくてはならない物だったりもする。


「とはいえ場所によっては邪魔になったり危険であったりとするから、全てはTPOだけれどもね。このサロンはその点、寛大で、傘の持ち込みも許してくれるから有難いのだわ」

「まあ間違って傘が人を差すだとか、それが起因して怪我や事故になったら困るからねぇー。それでも私達を信用して自由性を許してくれる〈ブルーヘブン〉は本当に有難いよねぇー」


 席に集う人物は全員が深く頷き、白雪も共感するように頷いた。


「そう仰っていただけると有難い限りです、皆様」

「あら、これはオーナー様。ごきげんよう」

「ええ、白雪様。ごきげんよう」


 そんな最中に姿を見せたのはこのサロンを運営しているオーナーだった。

 歳は未だ若い風の女性だったが、どうやら給仕のヘルプとしてオーナー自らが汗水を流している様子で、その健気な姿に白雪は感心し目尻を下げる。


「ポットの中身は足りていますでしょうか、皆様方?」

「ええ、十分ですわよ、オーナー様。しかしオーナー自ら現場に出て給仕を手伝うというのは実に素晴らしいのだわ」

「あはは、有難う御座います。しかし実態というのは、私自らが動かねばならんような物だ、ということですよ」


 それは愚痴のようなものではないし厭味や自己嫌悪の台詞でもない。

 ふいに零れた本音のようなもので、白雪は何をいうべきかと少々の迷いを抱いたが、彼女は思ったままを口にした。


「けれども私達は嬉しいのだわ、オーナー様。あなたのような人物がいるから私達は私達の思う喜びや楽しみというのを存分に堪能出来るし、こうして共有することも出来る」

「事実、ロリィタというファッションジャンルは未だに理解されないこともありますし、それをコスプレと勘違いする……どころか揶揄やゆするような人々もいますから、やはり肩身は狭いと私も思います」

「だからこそよ。私達はオーナー様のような人々がいるからこそに心底に有難いのよ。それというのは羽を休める為の止まり木であると同時、皆の思う〈好き〉を自由に表現することを許された場所でもあるのだから、私達はいくらでも尽力しましてよ、オーナー様」


 ロリィタファッションは日本が発祥であり、その歴史は七十年代からスタートした。


 元来はヨーロッパの女学生をモチーフとしたが次第にバロック調やロココ調、ヴィクトリア調といったヨーロッパ各国に代表される荘厳な様式からエッセンスを取り入れ、二千年代に入りロリィタファッションは円熟したと語られる。


 しかしファッションは確立されても大衆の理解は未だ遠い。

 その最たる理由こそは、やはり華美な装飾だとか大袈裟にも思える格好――〈普通ではない〉格好だからだろう。


 ストリートファッションとして時代に咲き誇ったロリィタというジャンル。

 そこには他のジャンルや一般的に普及されるような服飾とは異なる要素が多い。


 フリルやレース、可愛らしい少女然とした色使い、または刺繍や他装飾類。

 ヘッドドレスやリボンを日常使いする人は少ないだろうし、やはり大きくふんわりと広がったスカートやワンピースは単純に目立つし、日傘を差せばいよいよ誰もが懐疑かいぎの目で見る。


 時代錯誤か、人種を違えたか、少女気取りの現実逃避か――様々な讒謗ざんぼうがある。

 それらは呪詛じゅそのようについて回る。


 多くのロリィタが傷ついてきた。

 愛するファッションをコスプレと馬鹿にされ「それは服装ではない」と烙印を押された人だっている。

 自分の愛する物を誰に馬鹿にされる謂われもないのに、それでも心無い人々は平気で「普通じゃない」と口々にした。


「そんな糞垂れた文句を断ち切ることの出来る場所を、私達は心底に愛し、大切に思っているのよ、オーナー様」

「白雪様……」


 誰もが強い訳じゃない。

 例えば寄せられる罵詈雑言を耳にしても気にもせず歩き続ける人もいる。

 後ろ指をさされようが視界に入らないくらいに前だけを見つめ続ける人もいる。


 だがその強さだって永劫に続く訳がない。

 心の弱まる時もある。涙を流す夜だってある。

 だから強かろうと弱かろうと、ロリィタを愛する人々は誰もがその心に傷を持ち、或いは忘れられない程の憎しみや怒りを持つ人だっている。


 だからこそに彼女、彼等は団結する。

 己と同じように、世間がいうところの〈普通〉とやらと違う、己の思う〈好き〉を信じ、驀進ばくしんするからこそに彼女、彼等は互いを尊重し、例え同ジャンルのうちで他派であっても理解を示すし許容の心を広く持つ。


 そしてそんなコミュニティを迎え入れ、楽しみの場を与えてくれるサロンやカフェ、他、イベントの主催者等に彼女、彼等は全幅の信頼を寄せる。


「オーナー自らが給仕を買って出る……裏の事情を勘繰るつもりはないわ。けれども、私達はいつだってオーナー様の味方だし、幾らでも力を貸すのだわ」


 白雪の言葉には、いつの間にかサロンにいるロリィタの全員が耳を傾け、彼女の力強い言葉に皆が頷いた。

 その光景にオーナーは目元に涙を溜め、深く頭を下げて感謝を口にする。


「……なんとも心強いお言葉に感無量です、白雪様、そして皆様も。こうも愛して頂けて……しかし私達は皆様の笑顔と、華やいだ空気にこそ喜びを覚えます。皆様の優しいお気持ちだけで、我々は十分に満たされるのです」


 彼女の返礼にも等しいお辞儀と台詞にサロンに集った人物の全員が拍手を贈った。

 その内には当然に白雪も含まれるが、ふと、彼女はその変化に気がついた。


(……? 一瞬だけ、瞳に不安そうな色が浮かんだわね……)


 その変化に気がついたのは白雪だけだった。

 オーナーの言葉と笑顔に嘘偽りは感じなかったが、一瞬だけ瞳の中に暗く、後ろめたいような闇が差した。


 白雪は疑問符を浮かべども追及はせずに、兎角として一層に深まった皆の団結の気持ちだとか温かな空気に、頬が緩み――


「いやいや十分に盛り上がってるよねぇ、マジで……やっぱりさぁ、固定客が強い店ってのはいいもんだよねぇ」


――かけた所でその言葉に彼女の瞳が鋭くなった。

 唐突に生まれた台詞にオーナーの顔は強張り、彼女は怖気たように数歩、後退った。


 皆は「一体誰の台詞だったか」と首を傾げつつ、静かに響く足音から、その台詞の主は今し方このサロンに踏み入ったのだと悟った。

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