第1話 ロリィタお嬢様


「そりゃな、白雪よ……お前は女の子なんだから、当然に着飾ることを好むだろうけどな……」


 角刈りに灰をまぶした老爺ろうやは呆れたように嘆息たんそくした。

 理由は視線の先にある少女に由来される。


 少女は和室の大広間に洋服を並べ先から唸っていた。

 畳の上に広がるのはどれもこれも華やかな装飾を施されたスカートやワンピース、整列されたトルソーにはこれまた華々しさを醸すドレス類が丁寧に着せられていた。


 一見して服飾専門店のような光景で、老爺は先の溜息から変わらずに呆れの視線で少女を見つめる。


「だからっつってもなぁ……少し派手な物が多くないか?」


 少女は老爺の言葉に振り返る。

 両手には複数のパニエがあって、少女は老爺の言葉を気にもせず、どころか聞いていなかったかのように老爺へ問いかけた。


「ねえお爺ちゃん。今夜はパニエ、何枚がいいかしら? 結構お菓子の美味しいお店なのよね。気合いを入れたいところなんだけど、お茶を楽しむよりもお菓子ばかり口にしていたらお腹が苦しくなりそうで」

「何枚って……何が変わるんだ? つーかそんなに下に着る物なのか?」

「何もかも変わるわよ。それこそスカートの膨らみはイコール気合いの表れなんだから。お爺ちゃんったら何も分かっていないわねぇ」

「いや分からんて……」


 少女の苦悩する理由が理解できない老爺は、少女――白雪の呼ぶ通りに彼女の祖父だった。


 着流しの姿で袖からは当然に腕が覗く。歩けば裾から足が見える。

 その露出された肌には色褪せた彫物が刻まれていて、全身を覆う彫物と鋭い相貌、または全身を走る傷の数々が彼の真実が渡世人とせいにんであることを明らかにする。


 普通ならばそういった、所謂ヤクザと呼ばれる人種を前にすれば誰もが恐れ慄くのに、白雪はそんな存在が普段の生活において当たり前になっているから、それも自身の祖父であるから、やはり手慣れたような風だった。


 ところがその様子を遠間から見る家人の反応は違う。

 白雪が言葉を口にする度に冷や汗を垂らし、僅かに身体は震え、口の中が急速に乾いていく。


「失礼いたします、銀治ぎんじ組長」

「おう、蜜月。入んな」


 家人達の反応も当然のことだった。

 何せ白雪の祖父、奈落淵銀治こそが当代の組長、奈落淵一家五代目組長の肩書を持つ恐怖の大権現だいごんげんだからだ。


 閉ざされた襖からホトホトとソプラノが届く。

 声の主は蜜月と呼ばれた女性で、メイド服を着る彼女は静かに襖を開けると頭を下げて大広間に入室した。


 一度伏せた頭をあげた時、そこには悩む顔をする白雪と、その様子に呆れている銀治の姿があって、蜜月は毎度の光景だと思うと同時、微かに笑みを浮かべた。


「お嬢様。こちら、本日のワンピースです」

「ありがとう、蜜月。毎度丁寧な仕上がりね……うん、手触りも素晴らしい……!」


 蜜月の手にはオフホワイトの、花や蝶をあしらった装飾を持つワンピースがあった。フリルやレースもふんだんに取り入れられ、手渡された白雪は感動の表情でそれを見つめている。


「これならヘッドドレスの装飾は少々抑えても宜しいかと。パニエも二枚程度で……」

「ミドルより僅かに高い丈……甘めなワンピース、好きよ。それでもエレロリの要素は前面に、ロココ調を強く押し出すスタイル……なんてパーフェクトな戦闘服かしら……!」

「……一体全体、何が違うんだ、お前達。白雪の手にしてる服と、今、床に敷き詰められてる服やマネキンに着せられてる服とよぉ……」

「あらまぁお爺ちゃん、何もかもが違うわよ! 一言にロリィタといってもスタイルは多岐にわたるのだわ。私はエレロリや懐古スタイルだけどもね、甘ロリも当然に好きなのよ」

「か、懐古、甘ロリ……?」

「広く認知されているのはゴシックアンドロリィタとかね。姫ロリは私も時々するわね。和ロリや華ロリ、軍ロリとか、ロリィタというのは単純なものじゃあないのよ」

「……いやまったく分からん! 頭が痛くなってきたぞ……兎に角、可愛らしい服装を好むってことだろう、お前は?」

「……乱暴な纏め方だけども、まあその考えも間違っちゃいないわよ」


 ロリィタ――それはファッションのジャンルをいう。

 往々の認識というのはフリルやレースでフワフワしていて華やかに着飾るファッションスタイルが共通するものと思われる。


 しかしその世界はとても奥深い。

 彼女、彼等のロリィタ魂というのは単一のスタイルに特化する人物もいれば多くの要素を取り入れ、それを楽しむ人物もいる。

 派手で浮世離れした格好をコスプレと勘違いする人々もいるが、それはまったく以て見当違いだし酷い侮辱に値する。


 何せロリィタとはファッションであり、精神性でもあるからだ。


 ファッションには歴史があるし、それを大切にする人々もいる。

 だからこそ拘るし色味の一つ、装飾の一つ取ってしても譲れない想いや気持ちがありもする。


 けれども誰しもに理解される訳ではないし、それはロリィタに限った話でもない。

 白雪は銀治の言葉に数度口をまごつかせたが、嘆息と共に「その捉え方も間違いではない」と呟いた。


「何にせよな、白雪。お前が服を趣味にするとか、可愛らしい格好をするのはよーく分かる。元よりお前は美人で可愛らしいからな」

「あらま、見る目があるわね」

「はいどうも……そんでもな、いいかげん、真面目に考えてみてくれねーかい?」


 一度言葉を切った銀治は鋭い双眸そうぼうで白雪を見つめると続きを口にする。


「六代目の座布団……そろそろお前に譲りてえんだ、俺ぁ」


 その台詞と共に場は静寂に満ちた。

 遠巻きで微かに聞こえる会話を聞いていた家人達は面を伏せ、白雪と銀治に挟まれる位置に正座する蜜月は口をつぐみ瞼を閉じる。


 遠くで鳥のさえずりがして、緊張した空気は羽ばたきにより途切れた。

 見つめ合っていた白雪と銀治だが、まるで思い出したような素振りで白雪は手元にあるパニエを見て笑みを零した。


「そうね、やっぱりパニエは二枚がいいかしらね。流石は蜜月、よい判断なのだわ」

「……お嬢様。その……」

「うん? 何よ、蜜月。そうも難しい顔をして」


 よもや先の言葉を聞いていなかった訳もないだろうに「まさか惚けるような真似をするのか」と先の緊張を体験した全ての人物が同じ気持ちを抱く。

 それというのは銀治組長の顔に泥を塗りたくったようなもので、彼の決意や気持ちを無碍むげにするようなものだった。


 ところが当の本人――銀治といえば普通の様子だった。

 てっきり怒り狂うかと誰もが思ったがそんな素振りはなく、ただただ寡言かげんになって白雪を見つめていた。


 そんな視線を無視していた白雪。

 幾ら誤魔化そうと、場の状況を無視しようともまかりならぬと祖父が無言で圧力をかけるものだから、彼女は一度溜息を吐くとやおら立ち上がり、己の祖父と真正面から見つめ合った。


「くどいわね、お爺ちゃん。その話しなら何度も断ったじゃあないのよ。私は未だ十五歳なのよ、今年高校に繰り上がったばかりの幼い歳なのだわ」

「歳は関係ねえさ。それこそお前は組を背負って立つに足る存在だろうに」

「こんな子供に誰が付き従うのよ? そもそも、お爺ちゃんは未だ生きているじゃないの」

「そりゃ未だ生きてるさ。けど先のことは分からねえだろ? いつくたばるかなんてのは」

「その見た目で何いってんのよ……お爺ちゃんを相手にしたら病魔も裸足で逃げ出すわよ」


 銀治組長――齢九十の老齢だった。

 そんな老爺だが二メートルに迫る背丈に瑞々しい肌を持ち、大山を思わせるような筋肉をよろい、色褪せようとも己の武力、または矜持きょうじを誇示するかの如く派手に豪快に刻まれた阿修羅の彫物が誰しもに恐怖の感情を与える。


 対して恐怖の大権現を見上げる少女といえば、帰宅したままの姿――ロココ調のロリィタドレスに身を包み、華やかな空気を醸す彼女の背丈は百六十センチと祖父とは大きな開きがある。


 腕も足も細く、華奢の言葉通りに儚い印象を受けるような見てくれ。

 それでも彼女に慄く様子はなく、大きな瞳は銀治を真っ直ぐに射抜き、互いは対峙するかのように見合っていた。


「そうはいっても近頃は腰も痛くてな、あまり運動もしなくなったし」

「電柱を素手で殴り倒すような化け物が何をいってんのよ……」

「けれどもよ、最近じゃあな、軽自動車すら蹴り飛ばせなくなってだな」

「だからお爺ちゃんは化け物なのよ。本当に人間なの?」

「おう、人間だぞ。まぁなんだ、組織を背負って立つ人間ってのはそういう風でなきゃいかん」

「化け物足れ、と?」

「いいや、違う」

「なら何よ?」


 奈落淵銀治は古くから多くの伝説を持ち、その全てがにわかには信じ難い内容ばかりだった。

 だがその全ての内で、暴力に関する事柄のほとんどは事実だった。


 生まれ持った怪力は彼の怪物然とした容貌に相応しく、圧倒する程の破壊と暴力を以ってして首都の闇を支配していた。


 そんな伝説的な渡世人ヤクザも歳を召した。

 後のことばかりが気がかりで、彼は己の血を継ぐ正当な嫡女、白雪に今の段階から組長の座を明け渡そうと考えていた。


 最強にして化け物な銀治。

 彼は己の辿った道を振り返りつつ白雪を見つめて言葉を紡いだ。


「他者に有無をいわせねえような、そういった姿でなきゃいけねえのさ」

「……それこそお爺ちゃんだから成し得ることじゃない。こちとらは人間なのよ」

「だから俺だって人間だぞ。つまりはな、分かり易い暴力だとか破壊の様々がありゃいいってんじゃねえのさ。それこそは説得力や〈華〉と呼べるようなものだ」


 そして、と銀治は言葉を続ける。


「それはお前にもある」

「そうかしらね。単なる小娘だと思うわよ?」

「ははは、そりゃ見た程度の感想はそれに尽きるだろうがよ。お前に限っちゃそれは上辺のみさ。そもそも……〈誰もお前に敵わねえ〉しな」

「何をいうやらね、馬鹿馬鹿しい……兎にも角にも、私は組を継ぐつもりなんてないわ。そんなのはお爺ちゃんのお気に入りの人にやらせればいいのよ」


 最早会話は意味をなさんとばかりに白雪はそっぽをむいて「着替えるから出ていけ」と祖父を睨んだ。

 にべもない態度だが、しかし銀治は頭を掻く程度で文句を口にもせず、それでも不愉快そうに顔を顰める白雪を見て面白そうに笑った。


「何にせよ、もう少し考えてくれよ。ある意味は収まるべくして収まる席だろうぜ」

「座んないわよ。誰も納得しない席になんてね」

「お前だけだ、頷かないのは……〈他の全ての人間は即座に頷いた〉のに。頑なにも程があるぜ、まったく……誰に似たんだかな」

「そりゃお爺ちゃんによ。ほらもう出ていってってば、乙女の着替えを見るもんじゃないわよ!」

「へいへい、失礼しやした……」


 適当な返事をしつつ大広間を後にした銀治。

 その背を見つめつつ、白雪は何度目かも分からない溜息を吐き、かぶりを振るが、彼女の様子を黙して見ていた蜜月が声をかける。


「そう険しい顔をなさらないで下さい、お嬢様。組長も無理強いしてる訳ではないのですから」

「そりゃそうかもしれないけどね、誰も彼も私の意思を無視しようってのが気に食わないのよ」


 第一、と愚痴を零す。


「何で家長を血族が継ぐ必要があるのやら。そんなの因習じゃない。なんなら組の為にと尽くしてきた有望な梟雄きょうゆう達だって納得しないんじゃないの?」

「確かに、それというのは古いしきたりに思えますが……何もそれを絶対の戒律としている訳ではないと思いますよ、お嬢様」

「……なら何で私に席が廻ってくるのよ」

「それこそは組長も仰っていたではありませんか」


 朗らかに笑う蜜月は立ち上がると白雪の傍に立ち、彼女を見つめる。


「あなた様こそは奈落淵一家の家長を名乗るに相応しい〈華〉の持ち主だからですよ、お嬢様」

「……まったくもって下らないわ。もういいから、着替えを手伝って頂戴な、蜜月……」

「ええ、畏まりました、お嬢様」


 言葉と共にロリィタドレスを脱ぎ、パニエを脱ぎ、ドロワーズまでをも脱ぐと残るは下着だけの姿となる。

 その白磁はくじの肌と華奢でありつつも乙女を如実に語る薫香をいて、蜜月は「やはり麗しい花だ」と心のうちで呟いた。

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