2日目④

 

「携帯の場所、分かったの?」


電車を降りた弦の問いに、灯火は何も答えずに歩を進め続けた。対話の意志のないその素振りに、弦は小さな溜め息を漏らして後に続く。


目に映る風景は、すぐに見慣れたものとなった。眼下には蹄鉄のようなバスターミナルが広がり、橋の中腹で灯火は立ち止まり、そっと眼下に視線を移す。


そこは昨日、四人で訪れた自殺の現場だった。昨日もそうだったが、既に時が経っているせいで眼下には現場保存のテープなどは貼られていない。まるで何事もなかったかのように、そこを様々な人間が行き交う。


「・・・自分を殺す、とは。・・・どういう感情なんだろうな」


無表情に、目を細めて灯火は呟いた。その視線の先には、僅かに残されたコンクリートの染みがあった。


「・・・分からない。想像も、出来ないよ」


不意の問いかけに、弦は返す。それほどに追い詰められた経験など、今までないからだ。しかし、逃げ場が無いほど追い詰められたとして、それを選択する事が出来るだろうかと、考えても答えが出ない疑問が脳裏を過る。自分の中では考えても、同じ結論にしか至らない。


自分を殺してでも現実から逃げる勇気があるなら。


その勇気で、耐え難い現実と向き合えるのではないか。


「・・・まぁ、考えても仕方ない。話を変えよう」灯火は振り返り、弦に視線を向けて親指と小指を立てた左手を、耳の横にかざした。「携帯が、どこにあるか、だな」


「情報とは、常に、無数に、存在している。そして、それを処理するのが、人間だ。分かるか?大事なのは情報の質じゃない。処理する側の人間の視野や思考なんだ。人によっては意に介さない情報でも、他の人には重要な意味を持ったり、人によっては何も気付かなくても、他の人にとっては情報足り得る。すなわち情報の質は、捉えた人間の能力によって左右されるんだ」


「・・・つまり、同じ情報でも、警察が気付かなくて、灯火が気付いている事が、ある?」


「そういうことさ」灯火は口元を上げて、小さく微笑んだ。「まず、一つずつ解釈をしてみようか」


「まずは、時間だ。沖野秋奈が恋人に連絡した時間、これが12時51分だ。そして救急隊に一報が入った時間が13時2分。この約10分間の間に、彼女の携帯は、消失している。


つまり、徒歩で5分圏内に彼女の携帯がある、という裏付けになっている。


次に、ポケットに入っていたメモに書かれていたもの、覚えてるかい?」


灯火の質問に、弦は携帯を取り出してメモ帳のアプリを起動させ、記憶を頼りに画面をタップする。近付いてきた灯火が、その画面を覗き込んだ。


【611西←】


「そう。これだ。この情報に意味があると仮定して、これに関連した情報を、この場所から探してみる。弦、何か気付くかい?」


「・・・関連?ちょっと、待って」


弦は思考を研ぎ澄まし、視覚から、記憶から、情報を探す。与えられたもの、そもそも在るもの。様々な情報から、関連する物を探し出す。


「・・・あっ!ここって、西口?」


「そう。つまりメモに関連するのはそこだ。数字は関連性が多すぎて選別に時間がかかるから、まずはそこから紐解こう。そしてこの矢印は、何を意味するのか」灯火は弦から携帯を取り出して、それを逆さまにする。「一番簡単な解釈は、読む向きではないか?」


「逆さになった西に、119?」


「そう。西の反対は、東だ。つまり東口を指す。そして、次の数字だが、違う情報を引き出して考えてみるとしよう。徒歩5分圏内。であれば、行ける範囲はかなり絞られる。そして、何かを保管する場所。そして、その保管場所の番号だと仮定したら、その保管場所は百以上もある場所、という意味だ」


東口。百以上もある、保管場所。与えられた情報が結び付き、弦は目を見開いて視線を向けた。今自分達が歩いてきた、構内へと向かう道。その先の、東口側の壁に、設置されている物に。


「・・・ロッカーか」


電車を降りた時と同じように、灯火は弦を置き去りに歩き出した。慌てて弦も後に続く。


「ロッカーとは面白いものでね。その存在そのものにセキュリティ効果があるんだよ。意味が分かるかい?鍵をかけなくても、人間の先入観にはロッカーには鍵がかかっているという前提が、誰に教えられるまでもなく染み付いているんだ。だから、そこに入れるだけで、鍵をかけなくてもその物に対してのセキュリティ効果は跳ね上がる。誰だって、物が入っているロッカーに鍵がかかっていないなんて、思わないからね」


ロッカーの前に辿り着いた灯火は、そっと指を羅列されている番号をなぞるように動かした。


「まぁ、実際、鍵が掛かっていたらお手上げだが、メモがここを指しているなら、それは彼女の意思だ。メモを残すということは、見付けてもらうという事態を望んでいる。それを望んでいるという事は、そこには何かがあるということだ。望んでいないなら、メモは残さず、鍵を掛ければ、当面は発見されないからな。だからこそ、鍵がかかっていない可能性が、非常に高い」


「じゃあ、そこには、何かしらのメッセージがあるってこと?」


灯火の細い指先が、止まる。その小さな扉には【119】という三桁の数字が刻まれていた。灯火は振り向いて、上機嫌そうに口を歪める。


「さぁ、どうだろうね」


その細い指先が、扉の取っ手をそっと掴む。


小さな扉は、何の抵抗もなく、その細い指先によって、開かれた。

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