2日目②

 

それは、一瞬。


灯火の言葉に目を見開いたのは新見で、彼女は刹那テーブルに身を乗り出して灯火に向けて手を伸ばした。その動作を視界の端に捉えていた弦は反射的にその伸びた手を遮ろうと手を伸ばす。しかしその弦の手を制したのは藤堂の手だった。遮ろうとした新見の手に触れることなく弦の手はテーブルに叩きつけられ、遮られることのなかった新見の手は、目的通り灯火の襟首を掴み引き寄せている。新見は間近の灯火を睨み、弦と藤堂は睨み合っている。渦中の灯火は、素知らぬ顔だ。


それはまるで、喉に刃の切っ先を突き立てるような、そんな静寂だった。張り詰めすぎて、破れないほどの、緊張感。


「・・・は、話します。だから、落ち着いて、下さい」


誰も破ろうとしない沈黙を破ったのは、糸田だった。彼は困惑を隠せず、それでも場を繕おうと、困ったような表情で全員を見渡した。


一進一退の状況を、先に脱したのは新見だった。彼女は大きな息を吐いてから、灯火の襟首から手を離し、ソファへと座り直す。しかし鋭い眼光は、変わらず灯火に注がれていた。その行動を見た藤堂が弦の手を解放し、弦もまた、状況を観察しながら手を引いた。緊張感は残るが、確かにそれは薄らいでいる。


襟元を正した灯火は注がれる新見の視線も気にせず、まるで何もなかったかのように口を開いた。


「君には済まないと思っている。しかし、彼女の死には不可解な点が多くてね。少しでも情報が欲しいんだ。真実が分かれば、それもまた彼女の供養にもなる」


「・・・分かりました」


そうして、糸田はぽつりぽつりと語り始めた、あの時の出来事を。その前後を。


呼び出された経緯は、概ね新見から聞いていた話と誤差はなかった。そして、当時の心情を、途切れ途切れながらも口にする。


落ちてきたものが、はじめは何か分からなかった事。それが人だと理解した瞬間、足が動かなくなった事。僅かに髪から覗く彼女の顔をようやく判別して、叫びながら駆け寄った事。その時点でもう駄目そうだと気付いた時、涙が溢れてきた事。俯きながら苦しそうに話す糸田の言葉を、その空気を、遮る者は誰も居なかった。


「・・・辛い事を思い出させて、済まないな」灯火はそっとテーブルの上、糸田の前にハンカチを置く。「彼女に何か、変わった様子はなかったか?自殺に関係のない、些細な事でも構わない。君達は幼馴染と聞いているから、変化は人より、分かるんじゃないか?」


「か、変わったこと・・・」糸田は涙を拭いながら、灯火に視線を向けた。その眼差しに、灯火は小さく頷く。「・・・あ、あいつ」


「あるんだな?」


「付き合い始めたのは、三週間ぐらい前からでした。でも、付き合いだしてから、あいつ、日に日に元気を無くしてって・・・」糸田の喉が、震えだした。


「・・・それで?」


「そ、それで、お、俺何か、したんじゃないかもって、思ってて・・・。そしたら、あ、あんなことに!」糸田は顔を上げた。しかし涙に濡れた瞳はどこか焦点が合っておらず、唇はわなわなと震えている。「俺が・・・、もしかしたら、俺のせいで秋奈はぁ!!」


「おい落ち着け」藤堂は糸田の肩に手を伸ばす。「新見、場所変われ。灯火もストップだ」


「・・・分かった」


藤堂に制された灯火は身を引いてソファに深く腰掛け、糸田の隣へと場所を移した新見が彼を必死に宥めている。糸田は何とか平静を保とうと肩を震わせながら涙を拭い、深く何度も深呼吸を繰り返していた。その憔悴ぶりに、弦は目を背ける。


「・・・今日は、これで終わりだ。いいな?」


溜め息混じりに藤堂が灯火に向けてそう告げると、灯火はすぐに頷く。


「あぁ。構わない。そうだ、糸田君」灯火はポケットから一枚の名刺を取り出し、それをテーブルに置いた。「もし、その現実と向き合う事が出来ず、立ち直れなければ、連絡してくるといい。私ではないが、カウンセリングを生業としている者が知人で居る。紹介しよう。少しは、君のためになるはずだ。・・・では、失礼する」


言いたい事だけ言い残して、灯火はソファから腰を上げた。弦も後に続くように腰を上げる。その場の見送りは藤堂だけが、また連絡すると言って手を上げただけだった。


「・・・何か、分かった?」


カウベルの音を鳴らして店内を後にした弦は、灯火に問いかけた。彼女は店先を眺めた後、弦に向き直り口の端を上げた。


「少し、な」


短い会話を交わした後、歩き出そうとした二人の足を止めたのは、三度のカウベルの音だった。


「灯火さん!」


店から出てきたのは、新見だった。彼女は少しバツの悪そうな表情で灯火を見つめている。


「どうした?」


灯火の問いに、新見は意を決した表情を覗かせた後、深々と彼女に向かって頭を下げた。突然の行動に、灯火と弦は目を丸くして見つめ合う。


「感情に任せて、手を出してしまい、・・・すいませんでした」


「なぜ、君が、謝る?」


「・・・え?」


想定していない質問に、新見は顔を上げた。眉を落として、僅かに首を傾げている。それとまったく同じ表情を、灯火は浮かべていた。


「君は、望み通りに行動してくれたじゃないか。何を謝る必要がある?」


「・・・望み、通りに?・・・何を、言って」


「簡単だよ。あの場で彼が話しやすい状況、話さなければいけない状況が欲しかっただけだ。だから、君が怒るように仕向けた。案の定、君は望み通りの反応を見せてくれた。まぁ、その後の弦と藤堂の反応の速さは予想外だったがな。結果として彼は、知らない人間の中、極度の緊張を与えられて、話さなければいけなくなった。逆に言えば、彼しかあの沈黙を、破る事が出来なくなった、という事だ」灯火はもう一度、首を傾げる。微かな笑みを浮かべて。「だから、君が謝る必要は、何もないんだが?」


「・・・最低」灯火の解答に、新見は腕を組んで暴言と共に困ったような笑みを零した。「・・・本当、あなたって人は」


「また連絡する。弦、行こうか」


灯火は別れの挨拶もほどほどに、踵を返して歩き出した。弦もそれに続く。


残された新見はその後ろ姿を眺めながら、呆れるような小さな溜め息を吐いた。

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