2日目①
翌日、灯火と弦は新見にメールで指定された場所へ向かった。そこは件の自殺現場の駅の一駅隣で、一駅違うだけでこれほどに景観が失われるかと言った侘しさを纏う所だった。しかし言い換えれば、人工の景観が減ったのだから風景としては自然を内包していると言えるかもしれない。要は暮らしている環境に対してのギャップが、その見方を変質させるのだろう。
「灯火。こっち」
電車を降りてすぐ、弦が携帯を取り出してナビのアプリを立ち上げる。掌にそれを載せて方向を確認してから、灯火に声を掛けた。
「随分と、まぁ・・・。しかし、現場付近というわけにはいかないか」
灯火はそう零すと、弦の後に続いた。
駅構内を抜けてすぐ左の路地に入る。駅前で昼間とはいえ、人は疎らだ。路地に入ってしまえば、視界に入るのは寂れた風景だけだった。人影は一つも見られない。弦は携帯に何度か視線を落としながら、ゆっくりな速度で道を進む。
「灯火さん。一ノ瀬さん」
声のする方に灯火と弦が同時に視線を向けると、煤けた看板の下で直立している新見を見掛けた。彼女は場所を示すかのように手を挙げる。
「やぁ。ここは・・・バーか?」
新見の元まで近付いた灯火は同じように手を上げて看板を見上げた。その看板は煤けているのではなく、光沢のない黒で塗られた木目調の看板だった。そこには筆記体で店名が書かれている。
「はい。オーナーが藤堂さんと知り合いなので一時的に店内をお借りする事になりました。・・・上を、通していないので」
新見の苦笑に、反応を示さない灯火の代わりに追い付いた弦が軽く頭を下げた。公的手続きをしていないという暗にオフレコという意味である。
「灯火さん。一ノ瀬さん。藤堂さんから伝言です。・・・刺激するような発言は、控えるようにと」
「分かっているさ。彼を刺激しないよう、発言には気を付けよう」新見の言葉に、灯火は不敵な笑みを浮かべた。その横顔を見つめながら、弦は一抹の不安を覚えつつも小さく頷く。目の前の新見も、疑いの眼差しを隠さずにいた。「まったく・・・、信用されていないね」
新見は周囲を一瞥してから、背後の黒い扉を開けた。その動作に応じて、扉の上部に取り付けられたカウベルが心地良い音色を奏でる。二人は彼女に示されるように、店内へと足を踏み入れた。
シックな空間。適度に落とされた照明の中で、窓から入る斜陽だけが外界の存在を証明していた。流れているのはジャズだろうか、静かでクラシカルな音が響いている。見渡すと、奥のテーブル席に二人の姿が見えた。店内の客席にはその二人しか見当たらない。その内の一人が、二人に向かって手を上げている。
「失礼する」
灯火は二人の元まで歩み寄り、その向かいに腰を下ろした。弦も二人に向けて軽く会釈した後、灯火の隣に腰を下ろす。続いて後に付いてきた新見が、二人の向かいに腰を下ろした。
灯火と弦の向かいには、通路から新見、藤堂、青年という並びで座っている。その奥の人物こそが、沖野秋奈の恋人、糸田瞬だった。彼は二人を一瞥しただけで、顔を下げてしまう。
外見は、二十代前半。髪は茶色に染め上げられていて、今風の出で立ちだ。その外見から若く見えるためか、年齢はもう少し上の可能性がある。弦が観察しながら思案に更けていると、微かな沈黙を灯火が破った。
「今日は呼び出してすまない。糸田瞬君。少し君に、聞きたい事があるんだ」
「・・・はい」
灯火の質問に、呼びかけられた青年は顔を上げずにぼそぼそと口を開いた。その消沈ぶりは重く、いまだに例の件から立ち直れていないのだろう。痛々しさが、体全体から滲み出ている。先程の新見の言葉が、瞬時に弦の頭を掠めた。
「では、まず、単刀直入に聞こうか」
灯火はその場に居る全員に一瞬だけ目配せしてから、首を少しだけ傾げて、僅かに目を見開いた。
「・・・あの時、君は、どんな気持ちだったんだい?」
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