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「一週間振りか?すまないね。少し依頼が立て込んでいたんだ。はぁ・・・、警察ってのは厄介だな。過程を理解していないくせに結果ばかりを求めてくる。こっちの身にもなって欲しいものだよ」


灯火は悪態を付きながら溜め息混じりにコーヒーカップをテーブルに置いた。黒い液体が、静かに湯気を立てている。


「なんか、お疲れ様。ありがと」


僕は目の前に置かれたカップに視線を移してから、灯火に労いの言葉をかけた。


テーブルには、カップが三つ。僕と、灯火と、一葉のもの。


僕はソファに腰を預けている。灯火とは対面の位置になる。一葉は車椅子のままで、位置的には上座に居た。彼女は初めて見る灯火に緊張しつつも、目の前に置かれたカップを手に取り、灯火に小さく会釈をした。


「君が春日井一葉さんか。初めまして」


『初めまして』


灯火の挨拶に、一葉はタブレットで答えた。彼女の車椅子の右には外側に向けられた自由に動かせる事が出来る機構のタブレットが取り付けられており、その後ろの右手を置く場所に端末がある。彼女は右の指でそれを操作し、タブレットに言葉を表示する。そうして、失った言葉を補っていた。


その仕草に、灯火は目を細める。見つめられている一葉は少し困惑した様子で、横目で僕に視線を送った。


「・・・灯火」


「あぁ、つい。すまない、一葉さん。悪気はないんだ。どうも初対面の人は、観察してしまう癖があるのでね」灯火は僅かに名残惜しそうに目を瞑り、一葉から視線を外した。細い指先で目の前のカップを持ち上げる。「それで、弦。何の用だい?」


「一葉が、会ってお礼がしたいって」


『色々と、ありがとうございました』


僕の言葉に続いて一葉はそう言葉にすると、灯火に小さく頭を下げた。礼を言われた灯火は豆鉄砲でも食らったかのように目を瞬かせている。


「一葉さんに礼を言われる理由はないんだが?」


『灯火さんの言葉があったから、会う事が出来たと弦さんから伺いました。だから、どうしても会ってお礼が言いたかったんです』


流暢に流れる指先が、タブレットの画面に言葉を素早く生み出す。灯火は言葉が紡がれるのを待ってから、小さく微笑んだ。


「だから礼を言われるような事はしていないよ。私が何も言わなくても、結果は変わらなかったさ」


「どうして・・・」


二人の会話に割って入るように、僕は口を挟んだ。二人の視線がすぐに注がれる。


「どうして、行けって言ったんだ?」


「一葉さんの前で話すことではないさ」


『私も聞きたいです』


今度は僕と一葉の双眸が、灯火に注がれる。注目を浴びた灯火は小さな息を吐き、組んだ足に両手を乗せてソファに深く腰掛けた。


「大したことではない。簡単なプロファイリングだよ。弦から聞いた話で人物像を分析し、続く行動パターンを導き出しただけだ。具体的に聞きたいのかい?」


『はい!是非!』


隣に視線を向けると、一葉が目を輝かせていた。当然知り合って間もないので、灯火が専門の方面に彼女が興味があることを僕は初めて知った。視線を移すと、灯火は満更でもない表情を浮かべている。


「ふふっ、面白い子だね。大した話ではないがね。


私が得た情報は、弦の夢物語と警察の事件資料だ。それらから得られたのは、明るく、人当たりの良い人物像。そんな人物であれば、空気を読む能力にも自然と長けている。


しかしあくまでこれらは長所だ。全ての事柄には二面性がある。表に、裏があるように。長所は、見方によれば短所に変わるということさ。


まぁ、この場合明るいは置いておくが、人当たりの良いというのは、逆に言えば相手を気にし過ぎてしまう、空気を読むというのは、相手の挙動に敏感ということだ。


これらは全て同居している性質なんだ。状況により、見方により、それらが変わるだけで、そのどれもが存在している。人間の多様性の一部みたいなものだね。


そう人物像を定義した時、最後の夢について考える。あぁ、内容も弦から詳しく聞いているよ。彼の言葉に、拒絶を示したと。


それは本能的な反射だったのだろう。一葉さん、君が意図してした反応ではない。しかし君にとってのそれは、自分自身、許せる行為ではなかったはずだ。


先程の逆説のように、相手を気にし過ぎ、挙動に敏感な君ならすぐに気付いたのだろう。弦が傷付いたと、自分のせいで傷付けてしまったと。


そこから生まれるのは、罪悪感と、後悔だ。生きていて君達も感じている通り、その二つは消えることが無い。心のどこかでは静かに燻っているし、思い出せば、肥大して感情を侵す。


それらを払拭するには、また弦と接触する方法以外考えられない。・・・だから、行ったのだろう?」


『はい』


「もちろん君に私のような知識はない。ただ単純に夢を見た日の行動を考えた。その中での唯一のイレギュラーが、寺の近くに来た事だった。だから同じアクションを起こせば、また夢を見られるかもしれない。そう思った。そこで改めて、・・・仕切り直して別れの挨拶をしたかったのだろう?」


『・・・そこまで、分かってたんですか?』


「可能性が非常に高い、というだけだ。君が来なければ、この今はない、というだけの話だよ」灯火は皮肉めいた笑みを浮かべる。「人はそうやって、無数の選択を選んで生きてるんだ。この今も、その選択によってここに在る。ただ、それだけだ」


僕は思わず一葉に視線を向ける。彼女も、僕に視線を移していた。


こうしてここに、共に居られる事が。


二人の、選択。


「そうだ!良いことを思い付いた!」突然目を見開いた灯火が天に指を一本向けて僕と一葉を交互に見た。「君達、私の助手をしないか?」


「『え?』」


「それが良い。君の能力は客観的に物事を見る能力が長けている所だ。自分自身も、一人の人物として無感情にね。今回はまぁ、感情が珍しく表に出ていたから主観的だったかもしれないが、一葉さんに惹かれる前はそうだったんじゃないか?自分は被害者にも関わらず、純粋な怪我の大きさで相手を心配したりしただろう?」


「いや、えっと・・・」


「一葉さんには書類の整理などを主にしてもらいたい。なに、出来る範囲で構わないさ。私はどうにも頭の中の整理にしか興味がなくてね」


「ちょ、ちょっと待って・・・」


「もちろん、君達が暮らせる給料ぐらいは払えるさ。んー、引っ越してばかりですまないが、隣の家に住むといい。大丈夫。家主には貸しがあるから、話は付けておくよ」


灯火の演説は止まらない。僕はただ、狼狽するばかり。


「だから、待ってって!」


「何を待つ?君達は仕事が貰える。広い家にも住める。私は仕事が楽になる。Win-Winって言葉を知ってるか?」


「いや、知ってるけど!・・・似合わないな」


「・・・確かに。なら利害の一致だ」


「いや、だから!」


灯火の演説に対抗しようと立ち上がって反論しようとした時、隣から忍ぶような笑い声が聞こえた。視線を送ると、一葉がくつくつと殺すように笑っている。どうやらこのやり取りを楽しんでいるようだ。僕は彼女の笑顔に興が醒めて、溜め息混じりに腰を下ろした。


「一葉さんは、どうだい?」不敵に笑う灯火が、踊るような指先を一葉に向けた。「むしろ君の場合は失礼だが、私の知的好奇心からだ。今の君の世界は、私達とは違う世界に見えているはずだ。それを観察したい。気を悪くしないでくれ。代わりに、望むなら、私の知識も教えよう。精神学、脳科学、心理学ならいくらでも」


まるで見透かしたような瞳の灯火に向かって、一葉は口を結んでいた。少し考えた後、文字を打ち込み、僕の方にタブレットを向ける。


『私は、やりたい』


タブレットから視線を外して一葉に向けると、彼女は窺うような、懇願するような眼差しを送っていた。僕は大きく溜め息を吐いて小さく頷き、灯火に向き直る。


「・・・危険は、ないよね」


「ん?あぁ、一葉さんはな」


「え?僕は?」


「基本的には、と言っておこう。さて、話は終わりだ。帰って荷物をまとめてくれ。あ、一花ちゃんも連れてきて構わないぞ?一人にするのは可哀想だ」


灯火はまるで退出を促すように、そそくさとカップを片付け始める。彼女の言動にまた声を殺して笑っている一葉は、震える指先で言葉を紡いだ。


『すごい人だね』


「あぁ、もう。・・・本当だよ」


僕は大きく溜め息を吐いてソファに体を沈ませた。淡い光の天井に視線を向ける。しかし口元には、自然と小さな笑みが零れていた。


これもまた、一つの選択なのだろうか。


そう、自分に言い聞かせるようにした。

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