46

 

翌日、僕は噛みしめるように石段を一歩一歩登っていた。辺りを見渡して、見慣れた風景を再び目に焼き付ける。枝葉は僅かな風で揺らぎ、微かな葉擦れの音がそっと耳を撫でた。


『明日は、何があっても必ず行くんだ』


それは昨日の灯火の言葉。一晩考えても、その言葉の意味を僕が知ることは出来なかった。もともと彼女の思考に僕の思考が追いつけるわけではないが、やはり気になったからだ。


とはいえ、答えも出ぬまま、僕はこうして最後の道のりを歩んでいた。それはまるで、一種の儀式のように。


今までのそれはまるで、お百度参りにどこか似ていた。何度も足を運ぶ事で、願いが叶えられるのではという神頼み。しかし、その一縷いちるの望みすら、今の僕は持ち合わせていない。


だからこれは、決別の儀式。今日、ここを訪れる事によって、彼女にまつわる全てと、決別する為の。


いつかこの胸にくすぶる感情も、あの時はと遠い記憶として笑い飛ばせるだろう。


そうして忘れて、忘れたことすら思い出せなくて、生きていくのだろう。


その為の、道のり。


登りきって視界に広がった景色に、僕は落とすように微笑んだ。夢の中で初めて訪れた時の感情を、僕はもう思い出せない。


小さな溜め息を吐き、辺りを見渡す。変わらない風景を、何度も目にした風景を、二度と目にすることはないと、僕は何度も目に焼き付ける。そうする事で、渦巻く感情に蓋をする。


大きな石に腰を落ち着けて、僕は小さく息を吐いた。鬱蒼うっそうと茂る木々が、静かに揺らいでいる。


何度も経験した、あの音のない世界。今、それに近い場所に僕は居る。ただ、一人で。



どれほどそうしていただろうか。太陽が位置を変え枝葉の隙間から燦々さんさんと僕の瞼に光を落とす。目を細めながら、僕はゆっくりと腰を上げた。最後に眼下の風景を見下ろせる柵に肘を置き、手を陽光にかざしながら眼下に広がる風景に目を落とした。


道路には、日中のためか行き交う人はまばらだった。いつもの光景だ。スーツに身を包んだサラリーマン。買い物袋を乗せた自転車を押している主婦。制服を身に纏った高校生。車椅子の女性。


僕は、駆け出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る