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来客を拒むかのような高い本棚を抜け広間に足を踏み入れた僕を出迎えたのは、いつも通り黒いシャツに黒いパンツ姿の灯火だった。両手にカップを携えた彼女は顎でソファを示し、僕は従うようにそれに腰を下ろした。
「こうも毎日顔を合わせるのは、大学以来じゃないか?」
「・・・そうだね」
灯火の言葉に、僕は相槌を返す。その様子を見て、ソファに腰を下ろしてカップに口を付けていた彼女は眉を
「浮かない顔だ。何があった?」
ストレートな質問に、僕は自分を落ち着かせるようにカップのコーヒーで喉を潤わせてから、小さな吐息と共に口を開いた。
「・・・拒絶、された」
「拒絶?」
灯火の問いに、僕は順を追って説明した。彼女も僕の正体を知ってしまった事。その罪悪感に押しつぶされそうになっていた事。彼女を宥め、灯火の推測を聞かせた事。僕が自分の感情に気付いた事。そして、拒絶された事。あれほど目まぐるしく動いた感情の中での出来事でも、言葉にしてしまえばすぐ説明が終わってしまうほどのものだった。今はもう感情の起伏はうっすらとしか思い出せない。鮮明に残っているのは、悲鳴にも似た声と、表情だけだった。
「・・・なるほど、な」
僕の話を聞き終えた灯火は、少し考える素振りで目を泳がせている。話し終えた僕は、思い出した彼女の声と表情に、力なく笑って項垂れるしかなかった。
「・・・悪くない関係だと、思ってた。だから、・・・正直、参ってる」
そう零して顔を上げると、灯火の姿勢は変わらず、拒絶する理由、拒絶しなければいけない理由など、いくつかの言葉をかすかに聞こえるほどの呟きで繰り返していた。どうやら僕が零した言葉は届いていないようだった。しかしそれは、今の僕には丁度良かった。下手な慰めも同情も、変わらない現実の前では虚しく聞こえてしまうだろう。そんな言葉が、欲しい訳ではない。その点、聞いてくれるだけの灯火の姿勢
に、僕は少しほっとした。
「・・・弦。そういえば、春日井一葉について、私はあまり聞いていなかったな」何らかの思考を一段落させたであろう灯火が、カップに口を付けてから僕に視線を向けた。「一つ可能性が浮かんだんだが、私の質問に、答えてくれるか?」
「・・・あぁ。分かる範囲なら」
灯火の突然の鋭い眼差しに、僕は僅かに姿勢を正す。可能性とは、そもそも何の可能性なのだろうか。そんな疑問が、脳裏を過ぎる。
「春日井一葉さん。彼女の外見について、明らかに特徴的なものはあるかい?」
「・・・明らかな、特徴?」
灯火の質問の意味が分からず、僕は
「・・・多分、無いと思う」
「やはり、そうか」僕の言葉に、灯火は満足気に頷いた。「外見に大きな特徴を感じないという事は、夢の中の春日井一葉は、五体満足という事だな?」
「・・・どういう、事?」
「言葉のままだ。そしてそれが、拒絶しなければいけない理由だ。彼女、足元を見たり、喉に触れたりしていなかったか?」
灯火はそう言って、自分の細い指で喉をさすった。その光景に、僕は思わず目を見開く。見覚えが、あったからだ。その認識に合わせるように、脳が記憶を呼び覚ます。
初めて会った時、石から腰を上げた彼女は、足元に視線を向けていた。そして同じように、掌で喉をさすっていた。それ以外にも、同じような光景がいくつか思い出せる。しかしその動作に意味があるなど、僕は微塵も感じていなかった。
「どうして、・・・それを?」
「知っているんじゃない。可能性からの推測だ。おそらく、無意識にそういった仕草が出るのではないかとね。そうか・・・。君は、知らないのか」
「知らないって、・・・何を?」
「彼女の、状態だ。昨日、言っただろう?反射的な行動とはいえ、君を救った事で、彼女は大きな代償を払ったと。てっきり事故の詳細を、新見刑事あたりから聞いていると思ったんだが・・・」
突然出てきた新見という言葉で、僕は必死に記憶を辿る。彼女とはそこまで多くは話していない。その中での会話を、必死に思い出す。病室。車の中。事故現場。部屋の前。
『軽自動車の運転手は、早々に転院しました。かなり重い症状だったらしく、その後の話を聞いた所、もう、歩けないと・・・』
『事故の際、潰れた車体に両足を挟まれてしまったみたいです。それ以外にもあるのですが・・・』
「・・・うそ、だろ?」
「やはり、どこかのタイミングで聞いていたんだな。それが、理由だ。春日井一葉。彼女は現実ではもう、歩けないし、喋れない。事故で、下半身と声帯をやってしまったからな。だから、拒絶した。現実で、そんな姿を君に見せたくないからだ」
呼び起こされた記憶と、突き付けられた現実に、僕はただ言葉を失った。彼女の気持ちなど、想像すら出来ない。どんな気持ちで、謝っていたのだろう。どんな気持ちで、拒絶したのだろう。考えれば考えるほど、それらが喉を押し潰す。
「さて、次の質問だ」灯火はそう言って、カップに残っていたコーヒーを一気に飲み干した。小さく息を吐き、真っ直ぐに僕の瞳に視線を向ける。
「君は、どうする?」
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