38

 

「先に伝えておこう。私が追求しているのはいわゆる人間の内側。脳科学や精神学、心理学だ。それらは当然、統計学を主に用いた確率論が主流だ。これだけの人数が同じ事を思うのならば、この可能性は高いのではないか。こういう事態の場合、人間の心理ではこう働くのではないか。という、あくまで可能性を提示するだけだ。

 当然私も、それらの前提で物事を考えていき、与えられた情報と調べ上げた情報で可能性の高いものを提示する。

 だが、あくまで私が考えたいくつかの考察こうさつの中で最も可能性が高いというだけで、それが事実かどうかという可能性は、確定出来ない。あくまでも生まれた可能性の中でこれが一番高いのではないかと示唆しさするだけだ。それを念頭に、聞いて欲しい。


 君に夢の話を初めて聞いた時、私は前提条件の確立の話をしただろう?あれは考えるきっかけの一つとして、内的要因か外的要因かを定める為に行ったものだ。


 その前提条件が整った時、私は外的要因から思考のアプローチを最初に行うことにしたんだ。要は君の内側から発生し影響を及ぼしたものではなく、外側からの影響で発生したものだと考える事にした。まぁ、これは話したことかな?


 そう定義した段階で、君自身の情報ではなく、君以外の情報が必要になった。君が見たもの、聞いた音、感じたものが何よりの情報になりえるわけだ。


 そして、君は私と共に件の寺に赴き、その場所が記憶と間違いない事を私に示唆した。この時点で、外的要因の一つは身近な物、または人だと定義する事が出来る。


 当然、君の今までの行動範囲、また君の交友関係など、私は全てを把握しているわけではない。だが、見たこともない風景が現実に身近にあったのならば、君が会ったという人物もその寺の身近に居るという可能性は否定出来ない。


 だからまずは直接、事故について調べる事にした。調査の手法については割愛する。あまり好まれた方法ではないし、君も新見さんから聞いているだろう?そこで、必要な情報が揃ったわけだ。


 事故に関係した人の中で、君と共に行った寺の近くに住んでいる人が居る事が判明した。


 ここまでで、何か質問はあるかい?二人共。


 ・・・なければ、話を続けよう


 次のアプローチに関しては、脳のシステムに関する問題だ。


 まぁ、始めに話す事は脳科学では当たり前の事で、その分野に触れていなくともメディアやネットの各方面に触れていれば、知識としては一般でも用いている可能性が充分に高いものだ。知っていたら、聞き流してくれて構わない。


 まず、脳の機能だ。そもそも脳とは、その全てが解明されているわけではないが、人間の体内の中でどういう活動をしているかというのは、既に説明され、確立されている。それは人体のあらゆる面に対してインプット、アウトプットを瞬時に行うというものだ。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。これらの五感から情報をインプットして、それらに対して反射、反応を蓄積された記憶情報に基づいてアウトプットする。それが、脳が主とする活動だ。


 では、その活動の為のエネルギーは何か。それは微弱な電気信号。空気中を漂う電磁波や電波とは比べ物にならないほど、微弱なものだ。それが脳から瞬時に体内に発せられ、反射と反応をアウトプット出来る。そうして私達は、様々な感覚に対して、感情を持つ事が出来るんだ。明度の高いものを明るい、香りがキツイものを臭い、温度が低い物に触れると冷たい、などだね。そうやって蓄積された記憶情報と電気信号の反射反応に応じて、私達は感じる事が出来るんだ。


 ここで、今まで話した外的要因と脳の機能を踏まえた上で、私はある仮説に辿り着いた。・・・弦、雄介。ついてきてるかい?なら結構。


 火事場の馬鹿力、という言葉は聞いた事があるかい?ま、さすがに知らない訳がないか。危機的状況において、本来の性能を上回る程の力を発揮するという、典型的な例だ。


 これを脳科学の分野で解説すると、危機的状況において人体の副腎髄質ふくじんずいしつからアドレナリンが分泌される。これらが神経質や脳新神経に伝達し、興奮状態に陥る。それによって、痛覚麻痺や心筋収縮力の拡大を引き起こす訳だ。だから今まで出した事のない力が引き出されるわけだ。それが先程説明したものだよ。


しかし、それだけではない。アドレナリンには感覚器官の感度を上げるという効果も実証されている。これらを踏まえて説明すると、興奮状態というのは脳のリミッターを外す役目も果たしているんだ。


そう考えると、君が事故に遭った瞬間、その状況はまさしく危機的な状況だっただろう。当然、説明した通り、君の体内にはアドレナリンが分泌されて肉体や精神は興奮状態に陥る。しかし、車に轢かれた君には当然意識などない。五感の殆どが意味をなさない。感覚が、閉ざされている状況と言える。


そうなると、分泌されたアドレナリンはどこへ集中する?そう、脳だ。意識のない中、脳だけが興奮状態に陥りそのリミッターを外した。そうして本来神経に流される微弱な電気信号は肥大化し、無意識の内に、僅かではあるが外へと放出されたんだ。


この理論は正直自分でも半信半疑だが、そう説明すると無理にでも納得する事が出来る。


外部へと放たれた脳から発せられる電気信号が、どれほどの距離まで届くのかはさすがに分からない。数センチなのか、数メートルなのか、もっと遠くなのか。しかし元々が非常に微弱な電気信号だ。リミッターが外れたとしても限度がある。そこまで広範囲には発せられないだろう。


そこで次のような仮説を思い付いた。これは事故から思い付いた仮説だ。同じような状況に陥った人物がいるならば、君と同じような状態に陥っている可能性は否定出来ない。そして、君と同じ事故に遭っている人物ならば、同じ病院に運ばれていても不思議ではない。


であれば、君と、同じ交通事故に遭った人物が、同じ病院で施術を受けるのは可能性が高い。そして、君と、その人物が同じ状態であれば、お互いが、逃げ場のないアドレナリンを脳に集中させ、電気信号を体外へとアウトプットするだろう。


そうして、お互いの電気信号が、交信したわけだ。要領はトランシーバみたいなものだろう。同じ境遇で、同じ状態で、偶然にも混線したわけだ。


それが無意識下に影響を及ぼし、件の夢を発現させたのではないかと、私は思った。ここまでで何か質問は?・・・無いなら続けよう。


これまでの仮説でかなり絞られてきたが、どうしても今までの仮説では説明出来ないものがある。


・・・そう。事故現場に残った、タイヤ痕だ。


なぜ、運転手はハンドルを切らなければいけなかったのか。その疑問だけが、唯一残っている。


しかし、与えられた情報に基づいた仮説だけでは、どうしてもこの行動には説明をする事が出来ない。


それで今朝、私は思考のシフトを試みた。考え方を変えてみたという事だ。


前提条件を元に組み上げた今までの推測や仮説は、確実に意味があるだろう。だから手法を変えて、思考する事にしてみたんだ。


今まで説明してきた推測や仮説はそのままに、前提条件を取り払った場合、新たな可能性が生まれるのではないか、とね。


前提条件を取り払った場合、すなわち、君が夢の場所を知らない、夢で会った春日井一葉を知らないといった前提条件だね。


これらを取り払おうとした時、当然、夢の場所を知らないと言うのは、今までの仮説上棚上げにする事にした。仮説の上では、知らなくても外部要因から補填される事が推測されるからだ。


では、彼女を知らないという前提条件を外すとしよう。


まず、知っているという定義を限界まで広義に捉えた場合、極論は何を指すかという点に注目してみた。


そこで私が導き出したのは、存在を、認識しているかどうかだ。話を聞いているだけでも、一瞬顔を見ただけでも、存在の認識は可能と言える。


そしてそれは、相手にも言える事だ。そして、その存在の認識こそが、夢の誘因となる大きな要素で、タイヤ痕の理由にも繋がるのではないか。


そう。あの瞬間、恐らくはブレーキの音か何かに反応したんだろう。君は、反射的に、見たんだ。音の方向を。そして、同じように、運転手も、反射的に君を見たんだ。


おそらく運転手は視界に入る情報で、反射して動いたのだろう。運転手は横断歩道を渡る君を見て、同時にその視界に映るバックミラーを見た。視界の端に映るそれには、迫りくるトラックの光景が映ったのだろう。


そこで運転手は、反射的にハンドルを切った。これは正直、凄いとしか言い表せない。おそらく情報が脳に辿り着く前に、脊髄反射のごとく体が動いたのだろう。この状態では、いけないと。


なぜその状況ではいけないかと考えたか。これも推測の域を出ないが、おそらく運転手が情報を視覚に捉えた時、瞬間的な導線が見えていたんだろう。このままでは、視界に映った君がトラックに轢かれるのではないかと。


だから、運転手はハンドルを切った。そうして自身の車がトラックに弾かれる事によって、前へ向けて弾かれるはずだった軽自動車は君を轢いたんだ。


・・・これも新見さんから聞いた話だ。たらればの話にはなるが、もし、運転手がハンドルを切っていなかった場合、導線上、君は間違いなくトラックに轢かれて、死んでいた。


咄嗟とっさの判断とはいえ、君は命を救われたんだ。そのために運転手が払った代償は、・・・大きいがね。


さて、この三つ目の仮説は、二つ目の仮説を自然と補強する。先程言った、肥大した電気信号の混線の仮説だ。アドレナリンが放出され外部に漏れたお互いの電気信号。そのどちらも、意識を失う前、お互いの存在を認識している。だからこそ混線したのではないか。出来たのではないか、と推測出来る。


そして一度でも混線した電気信号は、非常に繋がりやすいと推測する。まぁ、前例が無いから比較しようがないがね。そう定義した時、なぜ時間を空けて再び夢を見るのかという謎も、自然と解けていく。


君が夢を見た日、君の近くに運転手は居たんだ。だから再び混線して、君は夢を見る事になった。


そこで、このタブレットだ。その時は外的要因は何かを探るために君に無作為むさくいに書かせたつもりだったが、用途は違えど結果として役に立った。


君が書いた無数の言葉の中に、イレギュラーなものがいくつか見付かった。その中で、人物に関わるものは、一つだった。


そう。車椅子だ。事故現場で、どういった経緯で君が車椅子を見たかの詳細は分からないが、おそらく記憶に残っているということは遠くではないだろう。だからこそ再び脳の電気信号が混線した。興奮状態ではないから何とも言えないが、やはり一度繋がった以上、繋がりやすくなっているのかもしれない。あくまで推測だがな。だから再び、君は夢を見たんだ。


これらが、私が得た情報で導き出した推測、仮説だ。・・・弦、その表情、もう、気付いたのだろう?




そうだ。これらの仮説は、




全てが、繋がる。




繋がってしまうんだ。




君を轢いた、運転手。




君の前に現れた、車椅子の人物。




それらは、どちらも。




君が出逢った、




春日井一葉だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る