31

 

目の前の光景に唖然とした僕の意識を現実に引き戻したのは、灯火だった。彼女は夢と現実の風景に差異はないかと問いかけた。放心していた僕はその言葉で我に返り、注意深く辺りを観察する。


「弦、君の認識は正しいと私も判断する。まぁ、君の言葉以外、判断材料が存在しないのが事実だからだ。だが、それは完全な一致か?」灯火は登り終えた階段の前で辺りを見渡す僕を置き去りに、そう呟きながら周囲を観察していた。「得た情報で既に一つ、私の中で仮説が浮かんでいる。まだ言うほどのものではないがな。だから、些細な事でも構わない。違いがあるなら教えてくれ。僅かな情報でも、時には大きな意味を持つ」


まるで違いを見付けろとばかりの灯火の口振りに、僕は観察を続ける。周囲を見渡し、天を仰ぐ。


確かに、灯火の言う通り、夢の風景とはいくつかの相違点がある。気付けた点は多くはないが、僕はその事を彼女に告げた。


一つ目は、空だ。見上げれば上方には青く澄み切った空が視界に映る。しかし夢の風景ではどこまでも伸びた草木が覆い尽くして、それを見ることは叶わなかった。


二つ目は、広場の左方向には一部草木が生い茂っていない部分があり、そこには柵が設けられていた。傍に行って覗き込むと、眼下には町並みが広がっている。視界の端には僕達が登ってきた道とは違うコンクリートに舗装された道がどこかに続いていた。しかし寺に続く林道は一本しかなく、ここではない。


「・・・なるほど」


灯火は小さく呟き、大きな石に腰掛けた。偶然にもそこは、夢の中の春日井一葉が腰掛けていた石だった。


「・・・記憶の齟齬なら、有り得るか。後は、要因の裏付け次第か」


「何か分かったのか?」


静謐に包まれているこの場所は、小さな呟きですら風に乗って耳を撫でる。僕は灯火の傍に立ち、顔色を窺った。しかし彼女は顔を上げると小さく鼻で笑う。


「ふん。そもそもが仮説の話だ。一歩逸れればそれらはただの机上の空論に過ぎない。だから、分かる分からないの話ではないのさ」灯火は立ち上がり、運転の疲れのためか大きく伸びをした。「しかし、まぁ、充分だ」


「・・・充分?」


「君を送った後、少し寄る場所がある。そこで得られる情報によっては、・・・うん。明日の夜にでも考えを纏めて君に話せるだろう」


「本当か!?」


「あぁ。ただ、もう一度言っておく。あくまで仮説だ。可能性の話だ。事実ではない。たとえ事実だとしても、真実ではない。だから、それを信じるかどうかは、君が決める事だ」


「真実では、ない?」


「そうだ。そこに複数の観測、あるいは視点、感情が生じた瞬間、真実というのはそこには存在しないんだ。君から見て、私の視界が分からないように、君が、私の感情を正確に理解出来ないようにね。だから、私が得た情報によって立てた仮説が事実に即していたとしても、それは可能性が当たっただけ。本当の所は、誰にも分からない。だから、君が決めるんだ。理解出来ない今君に起こっている現象に、私の仮説で自分を納得させるかどうか」


少し冷徹にも似た眼差しが、灯火から注がれた。言葉の意味は難しく、全てを理解出来たわけではなかったが、一つの指標が、そこにはあった。原因も分からず、匙も投げられ、それでもようやく、掴めた答えらしき一端。僕は真っ直ぐ注がれた眼差しに強い視線を返し、小さく頷いた。

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