23
「とはいえまだ雄介が来るまで時間がある」灯火は左手に巻いた腕時計に視線を落として時刻を確認し、軽く伸びをした。「んー・・・。まぁ、先程の話の中で、いくつか前提条件を確立させておこうか」
「前提条件?」
「そうだ。何事も考えるにはまず前提条件が必要となる。分かるかい?建築で例えるなら土台だよ。土台があるから、建てられる建物の面積が決まり、土台の耐久によって、高さ、重量が決まる。そうしてその土台の元で出来上がった建物が、いわゆる解答だ」
「・・・まぁ、何となくは」微かな肯定の言葉を吐きながらも、僕は首を少し傾げた。さすがに建築学には精通がない。完全な理解を示していない様子の僕に、灯火は眉を寄せて言葉を探す。
「・・・もう少し噛み砕いてみよう。んー、考える上での前提条件に、だろう、かもしれない、という曖昧なものが含まれていたら、それらのせいで思考するにあたり否定を説く事も出来てしまうだろう?だろうがそうじゃないかもしれない。かもしれないが違うかもしれない。そうなってしまっては、思考のベクトルに制限が無くなり、あり得ない可能性も推論の上では可能にしてしまっている。それでは与えられた疑問も意味がなくなるだろう?」
「あぁ。そういう事か」僕はようやく心から頷く事が出来た。語学ならまだ先述より得意だからだ。「条件がなければ、考えようがないって事か」
「まぁ、ざっくり言えばそういう事だね。経過で不確定要素が入る事はあるけれど、前提に不確定要素があるのはなるべく避けたい」灯火は再び足を組み直し、真摯な双眸を僕に向ける。「だから君の思考に準ずる形で、いくつかの条件を確定要素にしたいんだ」
「・・・分かった」僕は少し緊張して姿勢を正した。これから投げかけられる灯火の質問に対する僕の返答は、彼女が僕が経験した経緯を考える上で重要な意味を持つ。もし、僕の返答により間違えた前提条件を確立してしまった場合、その前提条件のせいで彼女の思考では解答に辿り着かないという裏付けになってしまう。しかし、夢の話に対して何一つ断定的に言えない僕は、どうしても二の足を踏んでしまう。「・・・分からない事は、分からないでいいんだな?」
「もちろんさ。はっきりと言えるところだけでいい。慎重に答えてくれ」灯火は少し首を傾げながら、明後日の方に視線を向ける。頭の中で何かを探しているような仕草だった。「森の中の寺、今まで一度でも行った事は?」
僕は質問に対して口を結ぶ。出来る限り自分自身の記憶を呼び起こし、白黒の風景を照らし合わせる。過去を時系列に並べ、イレギュラーで行った場所などを思い出す作業を繰り返した。
「・・・ない」
「では、女性を、見た覚えは?」
「・・・ない」僕はもう一度、同じ答えを返した。芸能人は、雑誌のグラビアは、すれ違った人は。可能性を列挙すればキリがないが、ここは初めて夢で女性に出会った時の感情を思い出す。景色同様、記憶にないと思った事を。
「・・・分かった。充分だ」
「え?・・・それだけ?」
質問がたった二つで終わり、僕は目を丸くして首を傾げた。瞳に映る灯火も僕に倣うように首を傾げる。
「そうだが?君の話を聞いた上で前提条件を確立出来るのはこの二つぐらいだろう?」灯火は左手の指を二本立てた。言葉に合わせて、一本ずつ折り曲げていく。「要約すれば、君の話はこうだ。夢の中、知らない場所で、知らない女性に出会った。ただそれだけだ」
「・・・まぁ、たったそれだけになるな」
「だろう?であればその二つしか前提条件は作れない。もっとも、その二つだけでも出だしの考え方として方向性は決める事が出来た。だから充分と言ったんだ」灯火は少し眉を寄せ、口元に手を当てる。「アプローチとしては、外的要因を念頭に考えてみよう。前提条件としては、その方が現実的だ。まぁ、これから可能性を生み出していくことを現実的と言うかは知らないがな」
灯火が自分の言葉に小さな笑みを浮かべると同時に、電子音が部屋に響き渡った。それは、誰かの来訪を告げる音色だった。
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