20

 

遅めの昼食を軽く終えた僕は、しばしの間電車に揺られて目的地を目指した。小一時間ほど揺られて陽が傾き始めた頃、目的の駅に着いて電車から降りる。構内を抜けてすぐに広がる商店街に足を運んだ。その商店街を抜けて住宅街に入ってすぐ、それは目の前に現れた。


一目で言うなら、それはコンクリートの塊だった。民家の中に突如現れたそれは、打ちっぱなしのコンクリート造で窓は一つもない。異様なほどの重厚感が、夕陽に照らされた住宅街の景観を壊している。表札もなく、その塊には玄関へ続く扉しかなかった。


灯火に聞いた話では、元は小さな製鉄工場だったらしい。それを彼女が格安で買い取り、内装を改築したのだった。異様な出で立ちは、昔から住宅街の景観に存在していたものだった。


僕はドアの隣に備え付けられているインターフォンを押す。高い電子音の後に声が続いた。


「どうぞ」


ハスキーな声がスピーカーから放たれた。誰かと尋ねなかったのは、カメラで見ているからだろう。声の後にガチャリとドアのロックが解除された音が響いた。僕は控えめにドアを開く。


異様な光景は、外観だけではない。ドアを開けて入ったそこは、部屋と呼ぶにはふさわしくない構造になっていた。


入った瞬間、そこは唯一の大きな書斎だった。壁一面、全ての面を本棚が覆い尽くしていた。左右どちらに視線を向けても、僕の身長より高いそれがどこまでも伸びて続いている。そして壁以外にも、二列の本棚が部屋を分断するように設置されていて、僕はいつものごとく呆気に取られながら、靴を脱いでスリッパを履いた。


元が製鉄工場なのも頷ける。この広い唯一の部屋が作業スペースになっていて様々な用途に使われていたのだろう。本棚の隙間を縫って歩を進めると、部屋の奥に応接用のソファとテーブルが置いてある。辺りを見渡してみると、灯火は更に奥の本棚で手に持った本に視線を落としていて僕に背中を向けていた。


「久しぶり」


僕がそう言って手を上げると、ようやく灯火は振り返った。後ろで一つに結われた茶色の髪。黒いワイシャツとパンツを身に纏った彼女は、僕の事を視界に入れると口元だけで小さく微笑んだ。


「久しぶり。怪我の具合は?」


「まぁ、何とかね」


僕の言葉で、彼女は視線を左腕に向けた。


「左手か?」


彼女の問いに、僕は首を傾げた。


「あれ?言ったっけ?」


「私の問いに対して、君はわずかに左手を動かした。こういった質問に対しては、ほとんどが二通りの行動だ。怪我の箇所に視線を向けるか、その箇所を動かすか」灯火は静かに本を閉じ、僕にソファへ腰を下ろすよう促した。「コーヒーで構わない?」


「あ、あぁ。ありがとう」


僕は小さく頷いて黒い革張りのソファに腰を下ろした。僕の返事を確認した灯火は先程佇んでいた奥の本棚の横に備え付けられているキッチンの元まで行き、飲み物の支度を始める。コーヒーの僅かな香りが漂ってきた。


この部屋は二段構造になっている。ちょうど今灯火が立つキッチンの横の壁にはハシゴが備え付けられていて、それが中二階とでも言うべきか彼女の真上の上層のスペースへと続いている。斜め上を見上げると目算で八畳ほどの天井があり、登った事はないがそこが彼女の居住スペースになっているのだろう。


カップを二つ手にした灯火は、テーブルにそれらを置き僕の向かいに腰を下ろした。組んだ足に肘を乗せ、拳で顎を支えて静かに僕を観察している。いつもの事なので、僕は礼を言ってコーヒーに口を付けた。


「・・・厄介事か」


灯火の小さな呟きに、僕は顔を上げた。彼女は無表情で口元だけを歪ませた。


「図星、か」

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