16

 

それからしばらくは、他愛もない毎日を漫然と過ごす日々と、通院が続いた。


とはいえ何もしないわけにはいかないと、僕は身辺の整理を始めた。会社へ退社願を提出すること。身の回りの整理整頓。何度も続くリハビリに、紹介された病院への通院。仕事がなくなっててっきり暇を持て余すかなと思ったが、意外とそうでもなかった。


通院を繰り返す内に、少しずつだが左腕の状況は光明が見えてきた。とはいえ、それでも指先が自分の意思で動かせるようになっただけだけれども、ピクリとしか動かせなかった入院当時から見れば、劇的な進捗ではある。


それよりも問題なのは、紹介された病院への通院である。相坂が人脈を駆使して様々な病院を紹介してくれたが(脳外科、精神科、カウンセリング科など)、繰り返す問診や様々な検査を行っても、医師達は例外なく首を傾げるのだった。前例は聞いた事がない、こんな事例は初めてだ。繰り返される同じ様な言葉の数々に、僕は病院を後にする度に溜め息を吐いた。


異常が見付からなければ、正常な証明。しかし、確実に僕の中で異変は起きている。だが、その異変の原因が特定出来ない。専門家が手を上げるならば、他に手の打ちようがない。僕は逡巡しながら、何度も肩を落として家路を辿った。




何日にも分けて続いた紹介された四棟もの病院が全て空振りに終わり、部屋に辿り着いた僕は疲れた体をベッドに投げ出した。大きな溜め息を吐いて天井を見つめ、ふと思案に耽る。


あの二度以来、夢を見ていない。鮮明に思い出す事は今でも出来るが、時が経つにつれその記憶を疑ってしまう。本当に僕はあの夢を見たのだろうか。無意識に僕が作り出した想像ではないだろうか。そんな感覚が、咎めるようにじわじわと侵食していく。水面に落とした墨汁のように広がっていく。


しかし、それが想像ではなく本当に見た夢だと、証明するものはない。証明が出来ない事を、専門家に証明されてしまったからだ。


僕は眉間に皺を寄せたまま瞳を閉じて、視界を閉ざす。意識を内側に向けて思考を研ぎ澄ます。


現状、打つ手はない。ならば考えたって意味のない事だ。出来るなら、他の事に意識を向けないと。そう思いつつも、瞼の裏にちらついてしまう。


白と黒の世界。


不意に広がる視界。


眼前に佇む大きな鳥居。


腰掛けるには丁度良い、大きな石。


(・・・そうか)


目を開けた僕は勢いよく体を起こしてポケットに入れっぱなしの携帯を取り出した。アドレス帳を開き、平井祐介の番号を呼び出す。


夢そのもののアプローチに対して解決の糸口が見付からなければ、ベクトルを変えればいい。夢の原因を探って真相を突き詰めるのではなく、夢で見たものから追えばいい。あの風景が、現実に存在するかどうかだ。


幸運にも友人の平井は観光業界勤務だと記憶しているので、土地勘は一般人より遥かにあるはずだ。とはいえ国内から夢の風景を探すなんてそんな可能性はゼロに近いものだが、何も手を打たないよりはましだ。


どう説明しようかと思考を整理しながら、僕は受話器から奏でられる無機質な電子音に耳を済ました。

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