重いまぶたを開いて、僕は寝転がったまま大きなあくびをする。痛む体を誤魔化ごまかしながら伸ばして、静かに体を覚醒させていく。


いつの間に寝てしまったのだろうか。体を起こすと、打ち身ではない関節痛が体を襲う。ベッドの上には携帯が転がっていて、数人の友人に現状を伝えていた事を思い出す。おそらくそのまま寝落ちしてしまったのだろう。


携帯を手にして返事があるか確認しようとしたその時、不意に狭い病室にノックの音が響き渡った。僕はその音に、短い返事を返す。


「おっ、一ノ瀬。元気か?」


扉を開けて顔を覗かせたのは、大学からの友人である平井雄介ひらいゆうすけだった。彼はビニール袋を片手に提げていて、僕と目が合うとそれを掲げた。


「車に轢かれたっていうからビビったけど、大事に至らなくて良かったよ」雄介はパイプ椅子を視界の端に捉えると、僕の了承もなくそれを広げて座り、僕にビニール袋を差し出した。「ほら、お見舞い」


「あぁ。ありがとう」僕は右手で袋を受け取り、そっとベッドの脇に置いた。中から覗いたのは、飲み物やゼリーといったものだ。まるで風邪の時のお見舞い品だなと、僕は思わずほころんだ。


灯火とうかには連絡したのか?」雄介は怪我の具合を確認したいのか僕の体を隅々まで眺めながら言葉を続けた。「あいつ連絡しとかないと、後から知ったらうるさいだろ?」


「あぁ、一応連絡は入れといたよ」僕は一度携帯に目を落としてその顛末てんまつを確認した後、それを置いた右手で左腕を指差した。「こっちの腕が、ちょっとヤバい。日常生活の筋力が戻るか、分からないって」


会話で上がった人物のフルネームは明里灯火あかりとうか。大学時代に僕と雄介とよくつるんでいた友人であり、変人であり、奇人である。おそらくメッセージを確認するだけで彼女は理解し納得し、返事も返さず雄介のようにここには来ないだろう。彼女はそういう性格なのだ。


「・・・そっか」雄介は僕の代わりに沈痛な面持ちを浮かべ、小さく溜め息を吐いた。「まぁ、車に轢かれて命があるだけ有り難いとは思うけどさ。仕事は大丈夫なのか?IT系なら、PC操作がメインだろ?」


「あぁ。辞めることにした」


心配そうな雄介を眺めながら、僕は口を開いた。その淡白さに、自分自身驚いてしまう。言葉にしてみても、それに対して何も思わなかったからだ。僕にとって仕事とは、こんなにも、当たり前で、大切で、どうでもいいものだったのかと気付いてしまう。


「辞めるったって・・・、生活は大丈夫なのか?入院費だって、大分かかるだろ?」


「まぁ、貯蓄はある程度はあるから、しばらくは治療に専念するよ」僕は苦笑いを浮かべながら、左腕を指差した。「こんなんじゃ、仕事も探せないしな」


「ま、それもそうだな」雄介は先程までの表情が嘘のような笑顔を浮かべて、自分自身の胸に指を差した。「ま、困ったことがあったら言ってくれよ。大したこと出来ないかもしれないけど、力にはなるからさ」


「あぁ。ありがとう」


そして僕達は、簡単に近況を語り合った。といっても友好関係も狭く仕事漬けの僕に話せるような近況などはなく、大体が雄介の話に合いの手を入れたりする一方的なキャッチボールになった。それでも充分楽しかったし、友好関係の広い彼の情報は知らない事ばかりなので少しは役に立つ。付き合いはないが同級生だった知人の情報が自然と得られるからだ。


「じゃ、そろそろ行くよ」小一時間ほど話した後、雄介はパイプ椅子から立ち上がり、振り向き様僕に手を振った。「とりあえず、しっかり安静にしてろよ?」


僕は変わらない友人の優しさに笑顔で手を振り返し、彼の背中が消えるまで見送った。少しの静寂の後、タイミングを見計らったように病室に顔を出した相坂が、消えた雄介の名残なごりを追うように廊下に視線を向ける。


「一ノ瀬さん。優しい友達が居るんですね」相坂は穏やかな笑顔でそう呟くと、残されたパイプ椅子に座り聴診器を取り出した。「体調は、どうですか?」


相坂の言葉に、僕はどちらともつかない曖昧あいまいな返事を返しながら、診療のためにボタンに手をかけた。

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