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それからは相坂に連れられ様々な検査を行い、病室に戻る頃には空は茜色に染め上げられていた。検査結果で判明した打ち身による痛みと繰り返された様々な検査の疲れで、僕は倒れ込むようにベッドの上に身を投げた。白い天井に向かって、大きなため息を吐く。
検査の途中、相坂に確認をして僕は一本の電話を入れていた。幸い携帯は無事だったので、僕はアドレス帳から自分が勤める会社へと一報を入れた。
案の定、第一声は怒声だった。それもそうだ。新見刑事の言葉を信じれば、僕は二日間無断欠勤していたことになる。僕はいつもの癖で電話越しにも関わらず頭を下げていた。
僕の勤め先は平たく言えばIT企業である。響きの格好良さだけが一人歩きして、属していなければ中身など把握出来ないような業種。蓋を開けてみれば、一般のイメージ通りなのは名のある大手だけで、大抵下請けの企業はブラックである。
ブラックな事はさして問題ではない。勤務時間が長かろうと終電を逃そうと、辛いと思ったことは特にない。だから、普通に続けられてきた。そういう人間が少なからず居ることで、大手も支えられているわけだ。その歯車の一端になるのに、僕には不平不満もなかった。
ただ、今回は違う。僕が謝罪の後に現状を述べると、電話越しの上司は重く口を閉ざした。
僕の業務は主にプログラミングの作成で、何時間もパソコンに向き合いタイピングをし続けるという作業を余儀なくされる。
それを叶えるのは、両腕と、十の指と、経験があるからだ。その内のほぼ半分を、僕は今失っている。
とはいえタイピングは出来るだろう。何年も続けてきた作業だ。しかし、五本の指で動かない五本の指をカバーするなど、出来なくはないが作業効率は半分にも満たない。三割出来れば奇跡だろう。
半分を失ったから、作業効率も半分になるというわけではない。それ以下であれば、そこに、給料に見合う価値は残るのだろうか。
重苦しい沈黙の後、上司から優しい言葉と共に、遠回しな言葉を告げられる。その状況だと仕事に支障が出ないか、リハビリの間仕事を続けるのは大変ではないかなど、言葉の裏を読まなくても、声音で簡単に理解出来る。
しかし驚いたのは、能力低下によりさりげなく退職を勧められている事に、僕自身が落ち込んだり、落胆しなかった事だった。それには僕も、さすがに驚いた。
すがる事も出来ただろう。食い下がる事も出来ただろう。それでも僕はあっさりと、上司の言葉を飲み込んだ。退職願いを後日送付する約束をして、僕は静かに通話を消した。
投げ出した体を、痛みを我慢しながら起こし、僕は再び窓の外に視線を向けた。目を凝らし、茜色の空の奥を注視すると、
どうしたものかなと僕はふと考える。しかし、思考する事をすぐに放棄する。思考した所で新たな就職先が見付かるわけでもないし、何より、今出来る事は限られている。
幸い、しばらく働かなくても僕一人程度が食っていける位の貯蓄は持っていた。ならば今やらなければいけないことは、治療に専念してこの体を治すことだろう。むしろ今の僕には、それ位しか出来る事はない。
僕は窓の外から視界を外し、もう一度ベッドに寝転んだ。天井の人工的な白が、瞬時に視界を埋め尽くす。
(・・・そういえば、名前)
不意に浮かんだのは、夢での出来事だった。目を覚ます前に、確かにあの女性は名乗りを上げようとした。しかし、いくら思い出そうとしても、それらしい記憶や名前が捻り出せない。やはりあの瞬間に目覚めて、名前を聞けなかったのだろうか。
でも、
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