2
気が付くと、僕は森の中に居た。
辺りを見渡すと、
(・・・夢、か?)
そう思い至った僕は、ゆっくりともう一度辺りを見渡した。視界から、記憶の感覚から、いくつもの違和感にたどり着く。
目の前に広がる森は、色を失っていた。無彩色の木々が、枝葉が、視界を
そして、この瞬間より前の記憶がない。どうして僕が今ここにいるのか、経緯がまったく存在しない。それらが、初めに気付いた二つの違和感だった。
しかし、夢だと断言出来ない理由が一つある。それは夢だからこその特徴だと言えるものだろう。
不連続性。それを享受出来るほどの思考のない意思決定。
誰でも夢の中では体験したことがあるだろう。夢の中で突然場面が変わっても、それに違和感を抱くことなく、自らが流れに任せて行動をしているような出来事を。夢が覚めてから、なぜ突然場面が変わったのだろう。なぜそれを意に介さずに行動していたのだろうという違和感を。
前者は、まず否定出来ない。それは記憶の中に前の場面というものが存在しないからだ。実際に夢だとして前の場面が存在していたとしても、今の僕の記憶の中に存在しない。だからこそ、現状僕がこれを否定する要素を持ち合わせていない。
しかし、後者はどうだろうか。不連続性に対する享受は説明出来ないとしても、思考のない意思決定は、容易に否定することが出来る。それは、今、僕が、まさしく置かれている現状を把握しようと思考しているからだ。
結果として、僕は夢だと思っているのに、夢だと断言出来ないでいる。
とはいえ、このままというわけにもいかない。そう思った僕は、もう一度辺りを見渡した。今度は現状の把握ではなく、進むべき道を探して。
道は、一つだった。横を向いても、振り返っても、視界が映すのはモノクロの木々ばかり。前方にだけ、ようやく人一人が歩ける程の獣道にも似た道が続いていた。
僕は小さく深呼吸をして、足を軽く上げたり、拳を握る事で体の感覚を確認する。思考と脳の命令で体が細かく動く事を実感し、これはやはり現実なのではないかという疑惑が顔を覗かせる。
それでもやることは変わらない。開いた掌を見つめていた僕は顔を上げて、前方に伸びる道の先を見つめる。一歩一歩足を踏み出し、細い道をどんどん進んでいく。変わらない風景の中、踏みしめる草の音すら、やはり耳には届かなかった。それはまるで、古い白黒の写真の中に迷いこんだような不思議な感覚だった。
しばらく進むと、少し歪な石段が現れた。顔を上げると、それはどこまでも続いているようにも見える。振り返ると、僕が進んできた道がどこまでも続いていた。随分と歩いたはずなのに、体や足には疲れがまったく見られない。そんな不思議な状況に、僕は眉を上げて首を傾げるしかなかった。
僕は再び前を向いて足元を注意しながら、一歩一歩石段を登り始めた。何か変化はないかと辺りを見渡しながら登ってみたけれど、やはり風景に変化は感じられない。異様なほどの無音が、体にまとわりつく気がした。
息を切らすこともなく、僕は階段を登り終えた。その瞬間、息を呑んだ。その行為で、僕は呼吸をしていた事を思い出す。
開けた視界。そこは広場のような空間。正面の離れた位置には大きな鳥居が居を構えていて、その近くに座るには丁度よさそうないくつかの大きな石が点在している。それらは間違いなく、僕の知らない光景だった。僕の記憶にはない、景色だった。
ただ、僕が息を呑んだのは、視界を襲った突然の風景ではなかった。鳥居の麓にある大きな石の一つに、人が腰掛けていたからだ。風景の変化より他人の存在に、僕は目を見開いたのだ。
遠目からしか判断出来ないが、その人は僕に背中を向けて腰掛けていた。少し長い髪が首元まで隠していて、シルエットの細さから女性だと
夢とはいえようやく進んだ展開に、わずかな期待を抱えて足を踏み出した。しかし、女性は振り向くことがなかった。そこで再び、この世界に音がないことを僕は思い出す。
急に声を掛けたり、姿を現すのは驚くのではないだろうか。そんな事を夢の中で冷静に考えている自分が少し
「・・・あの」
意を決して僕は口を開いた。なるほど。声は音として存在することがこれで証明された。
突然の声に、女性は勢いよく振り返った。おそらく自分以外の存在が想定外だったのだろう、驚いた素振りで大きく目を見開いている。
「・・・誰?」
驚きのせいもあるかもしれないが、微かにつり上がった目を真っ直ぐに僕に向け、彼女は声を上げた。その声音から、表情から警戒が窺える。
「・・・君は?」
僕も同じように問い返す。見つめあったまま、沈黙が僕と彼女の間を漂う。こんな初対面の挨拶など、さすがに経験はない。
その沈黙を破ったのは、彼女だった。
「・・・ごめんなさい。状況がよく飲み込めなくて。突然こんな所にいたから。これって、夢よね?」
体を反転させて僕の方に向き直った彼女は、少し緊張が溶けた表情で首を傾げた。僕に害がないと気付いてくれたのだろう。
「・・・多分、ね。さすがに現実じゃない。妙に現実感は、あるけどさ」
僕は辺りを見渡しながらそう答えた。広場に出たというのに、見上げるとやはり木々がどこまでも天高く伸びていて、空間を覆い尽くして空が窺えない。まるで木々で作られたドームのようにも見える。
「名前、聞いていい?」
先ほどと同じ言葉なのに、その声音は随分と穏やかになっていた。彼女の言葉に、天を仰いでいた僕は彼女に向き直る。
警戒心を解いた彼女の表情に、僕は小さく息を吐いた。どうやら僕も、突然の進展に動揺や緊張をしていたのかもしれない。だから、質問を質問で返してしまったのだ。僕は小さな息を吐き終えて口を開く。
「一ノ
「私はー」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます