第2話 岬ノ村
先の見えない急斜面を前に、鈴木は深々とため息を吐いた。
山の只中に設けられたそれは辛うじて道と呼べるだけの舗装が為されている。
うだるような暑さもあって気力を削がれるが、彼はなんとか歩みを再開させた。
「ひええ、大変だ……」
鈴木は一歩ずつ坂を進む。
夏服の制服は既に汗でびっしょりとして肌に張り付いている。
疲労のせいで背中のリュックサックがやけに重たく感じる。
鈴木は地面を見つめながらゆっくりと足を動かす。
そんな時、後方から声がした。
「おーい、こんなところで何しとるんだ」
鈴木は汗だくの顔で振り返る。
軽トラックに乗る中年男が窓から顔を出していた。
麦わら帽子を被ったその男は、軽トラックを鈴木のそばで停める。
「見ねえ顔だな。どこから来たんだ」
「東京です……夏休みの自由研究で地方の文化や伝承を調べてまして、この先の村にお邪魔するつもりでした……」
「へえ、そうかい。村に帰るところなんだが乗ってくか?」
「いいんですか! お願いしますっ!」
助手席に招かれた鈴木はいそいそと乗り込む。
すぐに軽トラックは発進した。
鈴木が苦戦した登り坂を難なく越えて山道を走る。
「お前さん、名前は?」
「鈴木です。高校二年生です」
「俺は津軽。よろしくな」
軽トラックを運転する津軽は、前を向いたまま名乗る。
鈴木はハンカチで汗を拭きながら礼を言った。
「助かりました。ここまでの道でもうヘトヘトで……」
「はっはっは、この辺はバスも通っとらんからなあ。今の時間だと駅まで戻るのは厳しいが、どこに泊まるつもりだったんだ?」
「村でお願いして泊めてもらうか、野宿の予定でした。そのためのキャンプ用品も持ってきてます」
鈴木は足元に置いたリュックサックのジッパーを開いた。
詰め込まれた中身を一瞥した後、津軽は気さくに提案する。
「俺の家でよければ貸すぞ。ちょうど話し相手が欲しかったんだ」
「えっ、ありがとうございます!」
「構わんよ。代わりに外の話を聞かせてくれ。村にはテレビも新聞も無いんでな。流行りやら何やらがちっとも分からん」
軽トラックは山道を進む。
頭上を木々の枝が覆っているせいで、辺りは昼間にも関わらず薄暗い。
たまに倒木で道が塞がれていることがあり、迂回する場面があった。
津軽は特に何も言わず、慣れた様子で運転をしている。
「それにしてもお前さん、良い時期に来たなあ」
「良い時期ですか?」
「ちょうど今夜から豊穣の儀が始まるでな。五年に一度だから滅多に体験できんぞ。自由研究にもちょうどいいだろ」
「豊穣の儀……! すごく気になります!」
鈴木が目を輝かせる。
ところが彼はすぐさま我に返り、遠慮がちに尋ねた。
「でもそういう村の催しって、よそ者の僕が見学してもいいのですか?」
「もちろん大丈夫だ。うちの村は寛容でなあ。誰でも参加していいことになっとる」
「それでしたら是非お願いします!」
村に到着したのはおよそ一時間後のことであった。
津軽が前方の家屋群を指差す。
「見えてきたぞ……あれが岬ノ村だ」
「本当に山奥にあるんですね」
「色々と不便だが、なんだかんだ住みやすくてな。気の合う奴ばかりで楽しいぞ」
村の入り口には小柄で白髪の老人が立っていた。
窓から顔を出した津軽は老人に話しかける。
「村長、東京から来た鈴木少年だ。豊穣の儀に参加したいそうだ」
「はじめまして! よ、よろしくお願いしますっ」
鈴木は窓越しに頭を下げた。
村長の老人は、柔和な笑みを浮かべて応じる。
「鈴木君。我々はお主を歓迎するぞ。ゆっくり寛ぎなさい」
「ありがとうございます!」
軽トラックは村の中をゆっくりと進む。
すれ違う男達がしきりに笑顔で手を振ってきた。
鈴木は遠慮がちに会釈する。
彼の態度を不思議に思った津軽が尋ねる。
「どうした」
「いや、皆さんが友好的で驚いているだけです。地方の調査は普段から趣味でやってるんですけど、やっぱり門前払いとかも多いんですよね。まあアポ無しでいきなり訪問する方が悪いとは思いますが……」
鈴木が言葉を濁したのは、彼が自他ともに認めるオカルトマニアだからであった。
主に田舎の神社や祠、心霊スポットを巡るのが趣味で、地元の人間から邪険にされることが多かったのである。
今回、岬の村に関する情報は出てこなかったが、山々に囲まれた閉鎖的な村という"いかにもな環境"に興味を惹かれてやってきたのだった。
そういった事情を知らない津軽は、鈴木の肩を叩いて言う。
「岬ノ村は社交的だから安心しろ。よそ者との交流も娯楽の一つになっとるからな」
「それを聞いて安心しました……ところで豊穣の儀って何を行うのですか?」
「——夜になれば分かる」
津軽は意味深に笑うだけだった。
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