regret and again...

四季

後悔をもう一度・・・

第1話

たまたま通りかかった喫茶店が目新しく、僕は足を止めた。扉を開けると、そこに備え付けられたカウベルが心地好く乾いた音色を奏でる。麻のコートの中で肩を震わせていた僕は、夜のとばりを縫う空っ風から逃げるように店内に足を踏み入れた。


サックスが奏でる軽快な旋律が耳を掠める。九十年代のジャズだろうか。僕は耳を傾けながら、窓際のカウンター席に腰を下ろした。


駆けつけたウエイトレスに目配せもせずコーヒーを注文して、洒落た椅子にコートを掛けて椅子に深く腰を下ろした。ポケットからスマホを取り出し、経済のニュースに目を落とす。


転職したのは、最近の事だった。今はそれが一種のステータスとしてメディアや広告でうたわれているけれど、僕が転職した理由は、別のものだった。


突然の君との別れ。それがきっかけだった。


ちまたでいう社畜に当てはまるだろう僕は、ただただ仕事に追われていた。ブラックとまでは言わないけれど、それに近い状況に身を置いていた。


それ自体は決して珍しくもない、広い社会でよく見ればどこにでもあるものだろう。でも、それがいけなかった。


付き合いたての頃は、お互いが社会人で適度な節度を保ちつつ、それでも少しでも距離を縮めたくて、相手が喜ぶことを考えたり、相手の笑顔を見たかったりと、色々と思考を巡らせていた。


しかし、付き合いも長くなりそろそろ同棲しようとなってその生活を始めてから、僕は徐々に変わってしまった。君が側に居ることを、「当たり前」と、思うようになってしまった。


だから僕は、仕事に没頭ぼっとうしてしまった。君が「当たり前」のように側に居ることに甘えて、付き合いたての気持ちを忘れて、君との関係を、おざなりにしてしまった。君を笑顔にしよう、君に喜んでもらおう。あの時の君に対する純粋な感情が、君が側に居ることにあぐらをかいて、薄れてしまった。


そして君は、たった四文字の手紙を残し、僕の元を去ってしまった。


そうして失って気付く、「当たり前」の本当の意味。


「当たり前」というものが、どれほど奇跡的で、尊いものか、どれだけの人が知っているのだろう。


今、「当たり前」に隣に居る人が、「当たり前」に隣に居る確率など、天文学的に近い数字に他ならない。


職場で言えば、生まれが近くなければ、同じ職場を選んでいなければ、同じ職場に受かっていなければ、同じ部門や部署に居なければ。一生、出逢う事すら無かっただろう。


それでも、毎日、隣に居る事が「当たり前」で、その「当たり前」に何も感じずに、日々を過ごしているのだろう。


そうして「当たり前」に別れが生まれて、もっとこうすれば良かった、もっとああすれば良かったと、後悔が生まれる。


しかし、次の「当たり前」に出逢った時には、その後悔も忘れていて、同じ事を繰り返す。それは忘却という、人の長所にして短所。


そうして学ばず、忘れ、人は日々を繰り返す。


それがある意味、人生というものなのだろう。そうして美化して、忘れた事に蓋をして、出逢いと別れを繰り返し、思い出として、仕舞いこむのだろう。


それは僕だって例外じゃない。誰だって、例外じゃない。


それでも今、僕を後悔がさいなめる。君と過ごした日々を、君と居た時間を、振り返り、さいなめる。


仕事に没頭していれば、考えなくて済む。与えられた事をこなして、日々を消化する事が出来る。今思えばそれは放棄と惰性。考えたくがない故に、選ぶ事を、捨てるという選択。


あの時、こう言えば良かったのだろう、あの時、こうすれば良かったのだろう。何度も繰り返し思い出し、自分の愚かさを自覚する。


あんなに側に居たのに、僕は何も気付けずに、居なくなってから、瞼の裏に焼き付いた君のことに、ようやく気付く。


困ったようなはにかんだ笑顔。


目を凝らすと目付きが悪くなる所。


そんな些細な事を繰り返し思い出しては、どれだけ好きかを思い知る。焼き付いた些細な仕草や表情が、何度も胸に爪を突き立てる。




失ったことで選ぶ事を思い出した僕の生活は一変した。転職をして、おざなりだった交遊も仕切り直して、生活は今、充実している。


君が居た時にそれが出来たなら。それもまた、一つの後悔。


今はこれほどに鮮明でもいつかは色褪せていくのだろうか。僕も誰も例外じゃないように、この後悔を忘れて新しい後悔で上書きするのだろうか。


消極的な思考が堂々巡りの中、僕は窓の外の雑踏に視線を移しながら、少し冷めたコーヒーを一気に飲み干す。


考えていても仕方がない。選んで、悩んで、今日を生きた。明日も同じように、選んで、悩んで、生きていこう。


コートを手に立ち上がった僕はレジへと向かい、ポケットから財布を取り出した。先ほどまでの思考を一瞬でシャットアウトし、コーヒー一杯の値段に思考を巡らす。


「・・・元気?」


懐かしい声に、顔を上げる。


レジカウンターの奥には、少し髪の伸びた君が、あの頃と変わらない、困ったような、はにかんだ笑顔を浮かべていた。




押し寄せる後悔が、胸を掴む。




許してもらえる、わけがない。




それでも。




ダサくても、いい。




情けなくても、いい。




君がくれた後悔を抱き締めて。




君ともう一度、「恋」がしたい。




そうして失った「当たり前」を、




もう一度、大切に、抱き締めたい。




「・・・僕と、付き合ってください」




僕の言葉に君は少し驚きながら、




見慣れた笑顔で、頷いた。

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