第15話 5歳の誕生日 後編


 その結果、ものすごく恥ずかしかった。


 乳母やメイドたちは、子供とはいえ王族の身である私の体に直接触れないようにスポンジやタオルなどを上手く使いこなしていた。

 しかし、その点、カルロはまだまだ子供で、しかもつい数ヶ月前までは他者に湯浴みを手伝ってもらっていた側の立場なので、スポンジやタオルを使いこなすどころか、ほぼ素手だった。


 一応、片手にスポンジは持っているものの、スポンジを動かす右手とただ私の体に添えられているだけのはずの左手が同時に動いてしまうので、カルロの滑らかな子供肌の素手が背中や腕やお腹に触ってきて、くすぐったいし、恥ずかしいしで大変だった。


 足の方も洗おうとしてくれたが、カルロの洋服が濡れちゃうからしなくてもいいと頑張って拒否した。

 本人は湯浴みのお手伝いがもっと上手にできるようになったら足も洗うと張り切っているが、あのすべすべの小さな指で足の裏なんて洗われたら絶対に笑ってしまうと思う。


「あの……リヒト様」


 湯浴みを終えて体を拭き、乳母にパジャマを着させてもらっているとカルロが小さな声で言った。


「ん? どうした?」


 問い返すと、カルロは少し覚悟を決めたようにカルロよりも頭ひとつ分身長の高い私を見上げた。


「リヒト様には素敵なプレゼントをいただきましたが、僕、もう一つ欲しいものがあって……」

「私があげたものは手元に残るものじゃなかったし、何かほしいものがあるなら言って」


 手元に残る誕生日プレゼントの方がよかったかなと思ってそう言ったが、別にそういう意味ではなかったようだ。


「今日もリヒト様と一緒に寝たいです!」


 初めて城に来た時に一緒に寝たが、その後はカルロは従者の部屋で一人で寝ていた。

 カルロの表情は緊張し、その目には少し不安が見える。

 私が拒否したり、怒ったりするかもしれないと不安なのかもしれない。

 私は先ほどできなかった頭なでなでをしてあげた。


「城に来た初日以降は頑張って一人で寝てたから、今日はご褒美に一緒に寝よう」


 やはり一人では寂しかったのだろう。

 今日は特別な日だから我慢をさせる必要はないだろう。

 カルロはその表情を明るくして私に抱きつこうとして、ぐっと堪えた。


「どうした? 抱きついてもいいぞ?」

「僕、今、お洋服が濡れっちゃってるので、ちゃんと着替えてからにします」


「そうか」と私はまたカルロの頭を撫でる。


「そんな気遣いまでできるなんて、カルロは立派な従者だな」

「本当ですか!?」


 カルロが瞳を輝かせる。

 最初の頃よりも明るい表情が増えてカルロはどんどん可愛くなっていく。

 このまま成長すればきっと誰もが惹かれる魅力的な青年になるはずだ。


 そうすれば、きっとヒロインだってカルロを選び、カルロは幸せな未来を勝ち取ることができるだろう。

 前世の私はゲームの中で彼を幸せにしてあげることはできなかったけれど、この世界でならきっと彼にとって最良の未来を掴む手伝いができるだろう。


 カルロが私のベッドで眠ることを乳母は反対すると思ったが、前もってカルロにねだられていたそうだ。


「わたくしからのプレゼントはいらないから、リヒト様がお許しになったら一緒に寝ることを許してほしいと言われたのです」


 乳母は困ったように言った。


「リヒト様はカルロに甘いですから、一緒に寝ることをお許しになると思っておりました。ですから、わたくしからのプレゼントは新しいパジャマですよ。食堂で渡した包みを見てみなさい」


 カルロは急いで従者の部屋に向かい、乳母からもらったプレゼントを持ってきて包み紙をビリビリに裂いた。

 やはり、この世界ではこの開け方が正解のようだ。

 乳母も不快そうな顔どころか嬉しそうにカルロの様子を見つめている。

 包みの中から出てきたシルクのパジャマにカルロは喜び、乳母に抱きついた。


「カルロ! 今抱きついては乳母が濡れてしまうぞ!」


 私の言葉にカルロは慌てて離れたが乳母がすぐにカルロを抱きしめた。


「部屋に戻ったらすぐに湯浴みをしますから大丈夫です。カルロも早く湯浴みを済ませて、リヒト様と一緒に寝なさい」


「はい!」と明るい声で答えて、カルロはパジャマを持って浴室に向かった。


「カルロ! まだメイドたちがお湯を入れなおしているところじゃないか?」

「自分でします!」


 カルロは浴室でカルロの湯浴みの準備をしていたメイドたちを追い出して扉を閉めた。

 優しい苦笑を浮かべながら乳母はカルロの湯浴みを手伝うために浴室に入って行った。


「皆さん、ありがとうございます。寝ずの番を残してもう下がっていただいて結構ですよ。今日は私たちの誕生日の準備などで本当に忙しかったでしょう? 皆さんには本当に感謝しています」


 私の労いの言葉にメイドの一人が「リヒト様……」と控えめに言った。


「よろしければ、わたくしたちにもカルロ様に使われるような言葉遣いで接していただけないでしょうか?」


 カルロにだけ敬語を使っていないのが気になるのだろうか?


「皆さんは私より年上で人生の先人です。カルロは同い年の友達なので敬語を使ってないのですが」

「リヒト様のお心遣いは理解しておりますが、わたくしたちはメイドで、ただの平民です」

「貴族か平民かということは関係ないと思いますが……カルロが貴族だから、私のカルロへの言葉遣いが気になるのでしょうか? それなら、カルロにも敬語を使った方がいいですかね……」

「そ、それはおやめください! 怒られてしまいますから!」


 一人のメイドがとても慌てた。

 怒るって誰が? カルロが?


「カルロはそんなことで皆さんのことを怒ったりしませんよ」


 私の言葉にメイドの皆さんが微妙な表情になった。

 私は何かおかしなことを言っただろうか?


「皆さん、リヒト様を困らせるのはやめて、それぞれ就寝の準備に入ってください」


 浴室から出てきた乳母が私たちの様子を見て言った。


「乳母、別に私は困ってはいませんよ」


 不思議には思っていますが。

 メイドたちはどことなく肩を落として寝室から出ていった。

 寝ずの番で一人残ったメイドも肩を落としている。

 乳母は新しいタオルを持って再び浴室に入って行った。


「そんなにカルロへの言葉遣いが気になりますか?」


 部屋に残ったメイドにそう尋ねるとメイドはふるふると首を横に振った。


「そうではないんです。わたくしたちはただ、カルロ様が羨ましくて……」

「羨ましい?」

「はい。リヒト様は話せるようになってからずっと敬語でした」


 それはまぁ、前世の52歳社畜の記憶があったから……

 ちなみに、私の一人称が「私」なのも、王侯貴族だからではない。

 社畜に染みついた一人称を今世でも使っているだけだ。


「わたくしたちメイドや他の使用人に対しても敬語でしたので、リヒト様は誰に対してもそのようにお話しされるものだと思っていたのですが、カルロ様に対してはお言葉を崩されたので、本当に気を許した相手にはそのようにお話しされるのだと思うと、カルロ様のことが羨ましくて」


 一方的にではあるが、前世から知っているカルロに対しては確かに一番親近感があるかもしれない。

 だからと言って、乳母やメイドたちを信頼していないわけではない。


「先ほども言いましたが、メイドたちや使用人への敬語は先人への敬意の表れであって、あなたたちに気を許していないとかそういうことではないのですが」

「はい。メイドであっても尊重してくださっていることがわかってとても嬉しかったです」


 それならこの問題はもう解決でいいかな?


「ですが、わたくしたちは敬語でなくても嬉しいので、いつかはメイドにも崩された話し方をしていただけると嬉しいです!」


 全然解決してなかった。


「うん……いつか……」


 私から社畜の性が抜けることが、もし、あれば……


「ダメです!」


 いつの間に浴室から出てきたのか、ぽかぽかのカルロが抱きついてきた。


「カルロ?」

「リヒト様が敬語を使わずにお話をされるのは従者である僕の特権です!」


 それ、特権だと思ってたのか。


「カルロ様ばかりずるいです」

「僕はリヒト様の従者なので、ずるくてもいいんです!」


『ずるくない!』って言わずに、ずるくてもいいのだと答えるカルロが可愛くて私はふふふっと笑ってしまった。

 私は中身52歳だし、王族として声を出して笑うことはひかえるように教育されてきたから声を出して笑ったことなど……記憶している限りこれまでなかった。

 そして、私は赤ん坊の頃から自我があり、記憶がある。

 つまり、本当に初めて声を出して笑ったのだろう。

 そのために、乳母とメイドがポカンッとしている。

 彼女たちに見られていることが少し恥ずかしくて、私は二人から顔を逸らして、私を見上げているカルロに微笑んだ。

 湯上がりだから、その頬はほのかに赤い。


「そうだね。カルロはすごく可愛いくて神様から愛されてるから、ずるくてもしょうがない」


 抱きついているカルロを抱きしめ返して、その背中をぽんぽんっと叩いてやった。

 どういうわけかカルロはその小さな体を子犬みたいにプルプルと震わせて、私の肩のあたりに頭をぐりぐりと擦り付けた。


「カルロ? どうした? のぼせたのか? 水を飲むか?」


 メイドは水差しが置いてある台へと向かう。

 カルロの謎行動はのぼせて体調でも悪いのかと思ったら、そうではなかったようだ。


「か、神様から……愛されてるって……」

「え……?」


 一体何のことかと思ったが、それは先ほど私が言った言葉だった。

 そして、その言葉の意味が私の思っている意味とは違う理解をされたのだと気づいた。

 そう、カルロは私のことを神様だと思っているのだった。


 もしかして、愛の告白だとでも思われてしまったのだろうか?

 中身52歳のおじさんがこんな小さな子供に愛の告白だなんて気持ち悪すぎる。

 カルロに引かれたかもしれない。


「か、神様って私のことじゃないからね? 私は神様じゃないし、カルロを愛してるのはきっと全知全能のすごい神様だよ!」

「はい! わかっています!」


 わかってもらえてよかったと私はほっと息を吐いたが、カルロはグラスに水を注いでいるメイドをチラリと見て、小声で言った。


「秘密、ですもんね!」


 違う! そうじゃない!!


 そうじゃないけれども、ひとまず、カルロは私のことを気持ち悪いとは思っていないようだった。

 やはり、見た目が美少年だからだろうか?


 今よりもっと小さい頃は周囲が見た目を褒めてくれても、正直、自分ではよくわからなかった。

 だって、赤ちゃんって可愛いものだろ?

 しかし、4歳頃から顔立ちが整っていることがわかってきた。


 冷静に考えれば当たり前だ。

 イケメンの王と美人な王妃を両親に持っているわけだからな。

 前王も見た目だけは素晴らしくイケおじだと聞いている。

 中身は変態クズ野郎だけど。


 メイドからグラスを受け取ったカルロが水を一気に飲み干す。

 やはり少しのぼせてしまっていたのだろう。

 カルロがメイドに髪を乾かしてもらうのを待ってから私たちはベッドに上がった。

 横になった私たちにメイドが布団をかけてくれる。


 布団の中でカルロは私の手を握ってきた。

 指と指が交互に組み合わさるような恋人繋ぎというやつだ。

 カルロを見ると随分と緊張した顔をしていた。

 もしかすると私に怒られるかもしれないと思っているのだろうか?

 こんなに可愛いことをされて怒るわけがない。


 明日からはまた従者の部屋で一人で寝なければいけないのだ。

 少しでも寂しさが紛れればいい。

 私はそう願ってカルロの手を握り返した。

 握り返すとカルロの手が本当に小さいことがわかる。


 子供の頃の成長はほんの数ヶ月で随分と違う。

 私と同じ誕生日に変更をしたからと急に成長が進むわけもなく、カルロは本来は私よりも半年ほど遅い秋生まれなのだ。

 だから、私よりも体が小さくて、手が小さいのは当然のことなのだが、改めてその小ささを感じて、私はとてもカルロが愛しくなった。


 私に手を握り返されてはにかんだ笑みを見せるカルロの頭を私は撫でる。

 左手はカルロと手を繋ぎ、右手はカルロの頭をなでなで。


 なんだこの高揚感は。

 こんなに推しを間近で愛でられるなんて、なんて私は幸せなのだろう。

 もっともっとなでなでしたかったが、中身は52歳のおじさんでも、体は5歳になったばかりの子供だ。

 一日の疲れで私はすぐに深い眠りについた。





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