第16話 親心


 翌朝目を覚ませば、またしてもカルロは私のことを抱き枕にして眠っており、それをまた乳母に叱られた。

 私は別に推しの枕になることは全く構わない。

 だから、問題ないと伝えたのだが、「ご自身の立場をお考えください!」とカルロと一緒に怒られた。


 その日、乳母はシュライグを連れてきていた。

 理由を聞くと、ヴィント侯爵家での仕事は一通り覚えたため、今度はシュライグをカルロの補佐兼教育係にするために連れてきたそうだ。

 シュライグは平民なので表立ってカルロの教育係とすることはできないが、補佐という立場をとりながら、私の身の回りの世話ができるようにカルロに教えていくという。

 これまで平民を執事として王宮に入れた例はないのだが、位ではなく能力を見て人材を配置する乳母のこうした考え方が私はとても好きだし、能力無視で貴族ばかりを取り立てたがる無能が多い中でこのような姿勢を保てる乳母のことを心から尊敬している。


「シュライグ、よろしくお願いしますね」


 シュライグは私の前に片膝をつくと、私の右手を取って額をつけた。

 昨日、マルクがやった忠誠の誓いと同じだ。


「リヒト様、誠心誠意お仕えいたします」


 シュライグが仕えるのはカルロでは? と思ったが、シュライグはカルロの補佐役だと乳母から紹介されたのだから、シュライグの主はカルロが仕えている私ということになるのかと考えを改めた。

 しかし、どういうわけか、シュライグの姿を見たカルロの反応がイマイチだ。

 これまで自分を守ってくれた執事なのだからもっと喜ぶかと思ったが、どういうわけか警戒するような様子を見せている。


「カルロ? どうした?」


 そう聞くと、カルロはまだ寝ぼけているのか、また私を抱き枕にするように抱きついた。


「シュライグがいくら優秀でも負けませんからね! リヒト様のお世話は僕の仕事です!!」


 どうやらカルロはシュライグにライバル意識を持ったようだ。その感情は親しいゆえにだろう。

 よかった。カルロが警戒するものだから、実はシュライグも悪いやつでカルロのことをいじめていたとかだったらどうしようかと心配してしまった。


「カルロ様は本当にリヒト様がお好きなのですね」


 身支度をするために従者の部屋へと向かったカルロの背中にシュライグが優しい眼差しを向ける。

 最初に面会した時には冷静沈着なデキる男って感じの姿しか見れなかったが、シュライグの優しい眼差しに私はほっとした。


「弟さんも元気にしていますか?」

「はい。ルーヴ伯爵家にいた頃よりもイキイキと仕事をしています」

「それはよかったです」

「お会いしたこともないのに弟のことにまで気を遣っていただいてありがとうございます」

「シュライグの弟さんですからね。シュライグがここで元気に仕事をするためには重要な人物でしょう? 家族に心配事があっては集中してお仕事できませんから。だから、何かあれば相談してくださいね」


 私の言葉に少し驚いたような表情を見せたシュライグだったが、それからすぐにやわらかく微笑んだ。


「ありがとうございます」


 シュライグと私が微笑みあっていると、従者の部屋で着替えてきたカルロが私たちの間に入ってきた。


「リヒト様! お着替えしましょう!」


 私の腕にしがみついたカルロが私を引っ張り、カルロは再び乳母に注意された。

 私を引っ張ったことだけではなく、急いだあまりに身支度が不完全で髪に寝癖が残っていたからだ。


「シュライグ、リヒト様の着替えをお願いします」

「かしこまりました」


 その日は結局、シュライグが着替えさせてくれ、私が着替えている間、カルロは乳母にお説教されていた。




 この国に新しい法を制定したり、既存の法律を改善したりするために、私はまず最初に独学で進めていた法律の学習を第一補佐官や第一補佐官推薦の学者に教わることにしたのだが、解釈違いしていた法律なんかもあったりして、誤解されやすい文章で書かれた法律書は改善の余地を大いに感じた。

 あとで父王に見てもらおうと思って書き留めていたら、学者に見られ、学者と解釈の仕方について議論することもあった。


「5歳にしてこの叡智! この国は安泰ですな!」


 そう満足げに学者は頷いているが、この国の法律を学べば学ぶほど子供達への配慮が足りなくて不安になる。

 子供達は国の財産であり、未来を作るのは子供達なのにこれはひどい。

 もう一つ気になったのは貴族優位の法律が多すぎる。

 平民は貴族に暴力を振るわれようが財産を奪われようが文句の一つも言えないような法律ばかりだ。


 子供たちを王族や上位貴族の貢物にしたり金銭を得るための手段にすることをやめさせる法律の制定が必要だが、その法律ができた結果、貴族たちが平民の子供たちを代替品とするようなことが起こる事態は避けなければならない。

 平民であっても貴族と同等に尊重されるべき人間であり、法律とは身分差によって変わるものではないことを周知徹底する必要があるのだ。


「カルロ、疲れただろう? おやつにしよう」


 従者は常に王子と一緒に生活をするため、講義も一緒に受けている。

 私が先生との議論に夢中になってしまうと講義が一時中断したような状況になるのでカルロには申し訳ないことをしている。

 今日も話が長引いて休憩の時間が遅くなってしまった。


「リヒト様は新しい法律を作りたいのですよね?」

「そうだよ」

「それなら、このように周りくどいことをしなくても作ってしまえばいいではないですか?」


 なぜそうしないのかとカルロが不思議そうな顔で聞いてくる。

 カルロは私のことを神様だと思っていたから、法律を作ったり、世界を変えたりすることなど簡単だと思っているのかもしれない。

 すでに私が神様だという幻影から覚めていても、王子という立場ならば難しくないと考えているのかもしれない。


「カルロはお菓子の作り方を学んだことがない者が作ったお菓子を食べられる?」

「リヒト様が作ってくださったものなら何でも食べます!」


 私が差し出すものならたとえそれが毒でもカルロは食べかねない。


「私以外で考えてくれるかな?」


「食べません」とカルロは即答した。

 育った環境のためなのか、カルロは少し人嫌いな面がある。

 私のことは好いてくれているようだが、乳母にさえ甘える様子がない。

 まだ慣れていないだけならいいのだが。


「そうだろう? 私は7歳になって初めてこの国の者たちに公表される身だ。そのような得体の知れない者が、さらに法律も学んだことがないのに法律を作ってもみんな納得できないだろ?」


 独学で学んだだけではなく、さらに王宮内部でよく知る第一補佐官に学ぶだけでとどめずにわざわざ外部の学者を呼んだのはそのためだ。

 私がすでに法律を学んでいることを証明する人物が必要だったのだ。

 私の存在が公表された時には、先生方には私の講師だったと大いに言いふらしてもらいたい。


「お茶の準備が整いました」


 シュライグが呼びに来てくれたから私は席を立ち、テラスへと向かう。

 春の日差しが心地よく、庭に咲く花々も美しい。

 赤ん坊の頃からほぼ毎日見ている庭だが、庭師たちの工夫と努力で季節ごとに姿を変えて、見飽きることのない素晴らしい庭だ。

 カルロに視線をやれば、その目を細めて見入っていた。


「カルロと初めて会ったのはこの庭だったね」


 あの頃はこのようにカルロを従者とするなど思ってもみなかった。

 カルロの両親の命さえ守れば、カルロの幸せは継続すると思っていた。

 まさか、その前からネグレクトにあっているなんて思いもしなかった。

 早く気づくことができていたのなら、すぐにでも迎えに行ったのに。

 しかし、後悔ばかりしていても何も進展しないから、これからカルロのことを全力で幸せにしていこう。


「前いた屋敷からはあまり太陽が見えなくて……」


 カルロが庭を見渡して、あの日を思い出したのかその目を細めた。


「枯れ果てた庭に出れば流石に見えますが、でも、僕が庭に出るためには使用人の誰かの仕事の手を止めることになりますから我儘も言えなくて……」


 お茶をカップに注いでいたシュライグが何かを言いたげに口を開こうとしたが、私とカルロの会話に割って入ることをためらったのかそのまま口をつぐんだ。


「でも、王宮に来たら、あの人たちは庭を見て待っていろって……こんなに美しい庭を自由に歩いていいと言われて嬉しくて、太陽を探して庭を歩いていたらいつの間にかこの美しい庭に入ってしまっていました」


 シュライグはお茶の入ったカップを私の席においてくれたので、私はテラスの柵から離れて椅子に座った。

 続いてカルロも私の向かいの椅子に座り、シュライグはその前にカップをおいた。


「私はまだ公表されていない存在だから、この庭にくらいしか出ることができないけれど、7歳になって公表されたら、もっといろんな場所に一緒に行こう」


 私の言葉にカルロは瞳を輝かせた。


「リヒト様と一緒ならどこでも楽しいです! きっと!」


 それまで空気に徹していたシュライグが「申し訳ございませんでした」と口を挟んだ。


「カルロ様のお気持ちに気づくことができませんでした」


 その瞬間、カルロの瞳が冷たいものに変わった気がした。

 それはまるでゲームで見ていた眼差しのようにも思えた。

 しかし、そんなは本当に一瞬で、カルロは困ったように眉尻を下げた。


「シュライグが忙しいことはわかっていたし、僕を家から出さないようにあの人たちから言われていたのでしょう? それなら仕方ないです。リヒト様と一緒に勉強をしていてわかったんです。平民であるシュライグたちが僕のことを守りながら育ててくれるのは大変なことだったんだって」

「私たちがカルロ様に尽くすことは当然のことです」

「シュライグは僕に何も知らずに感謝もできないバカなままでいろと言うのですか?」

「滅相もございません。そのような意味ではなかったのですが」

「わかってる。でも、僕はリヒト様の従者で、この先も隣に立つ存在を目指しているんだ。だから、無知な子供のままではいられないよ」


 シュライグは少しだけ驚いたような表情を見せたが、すぐに優しく微笑んだ。


「あの日、お帰りになったカルロ様が嬉しそうにされていたのはリヒト様にお会いしたからだったのですね」

「星が重なった運命の日だ」


 この国の人は親しい人と初めて会った日のことを星が重なった日と言う。


「新しくヴィント公爵領になった元ルーヴ伯爵領には美しい花畑があるのです。いつか、お二人で見に行ってみてください」

「リヒト様と出会ったこの庭園より美しい場所など、この世界にはありません」


 カルロの言葉にシュライグは苦笑しながらも肯定した。


「きっとそうですね。しかし、その花畑は一面に青い花が咲いているのですが、その花の青色はまるでリヒト様の瞳の色のようなのです」


 シュライグの言葉にカルロの瞳が期待に輝いた。


「リヒト様! ぜひ、一緒に行きましょう!」

「そうだね。今度、一緒に見に行ってみよう」


 カルロが興味を持つ場所ならば、7歳になる前にお忍びで行くのもいいかもしれない。


「花の名前はなんて言うのですか?」

「ヴェアトブラウです。元ルーヴ伯爵領のその花畑でしか咲かない不思議な花なのです」


 一箇所でしか咲かないとは随分と変わった花のようだ。


「種や苗を他のところに移して育てることはできないのですか?」

「美しい花ですので、元ルーヴ伯爵夫人が領地の屋敷の庭に植え替えさせたのですが、すぐに枯れてしまいました」

「環境の変化に敏感な花なのでしょうか……」

「私も詳しいことは分かりませんが、その美しさは一見の価値があると思います」


 いつ行けるかはわからないが、私もカルロもヴェアトブラウを見に行くのが楽しみになった。


 メイドが運んできてくれたケーキを取り分けようとしたシュライグに私は「大丈夫だ」と伝えて、私はすでに切り分けてあるケーキをお皿に移してカルロの前に置いた。


「いっぱいお食べ」

「はい!」


 カルロは嬉しそうに笑った。


「リヒト様はカルロに甘すぎます。リヒト様自らケーキを取ってあげるなんて」


 乳母にそう嗜められたがカルロが可愛いのだから仕方ないと思う。

 可愛い子には美味しいものをいっぱい食べさせてあげたくなるのが親心というものではないだろうか?




 今日は魔法の講義がある。

 貴族の子供が魔法を学ぶのは一般的には10歳以降だ。

 私はカルロのことを守りたい一心で独学して早めに使えるようになってしまったが、本来は魔法の基礎を学んでから魔法適性があるかを判断し、属性は何かを見極め、それから魔法陣を覚え、実際に使い始めることができるのは魔法の講義を受け始めてから二年以降で、早いものでも一年ちょっとはかかる。


 カルロは攻略対象なので魔法の適性があるのはわかっている。

 カルロの本格的な魔法の講義は7歳くらいから始めればいいと考えていたのだが、私の講義を見学しているうちに魔法に興味を持ったようで、早めに学習を始めたいと申し出があったので今日は魔塔主に相談することにしていた。


「魔法を使えない者への教育など、本来は私の仕事ではありませんが、リヒト王子のご希望ならやってみましょう」


 魔塔主は今日の主役であるカルロには視線を向けずに私に言った。


「……今度はどんな実験がしたいのですか?」

「さすが、リヒト王子は理解が早いですね」


 魔塔主はにこりと微笑んだ。


「今度、闇属性の魔法使いを連れてくるので、魔法の威力が増大するか試させてください」

「闇属性は魔法の威力を増大させることができるのですか?」

「かなり古い報告書にその可能性があると書かれていまして、興味を持ったのです」


 それが本当ならばカルロがそばにいれば私の魔法の威力は増すことになるだろう。

 ゲームではカルロは闇属性だった。


「それでは、属性の確認からいたしましょう」


 私は基本の手順をすっ飛ばそうとしている魔塔主の言葉に驚いて口を挟もうとしたが、カルロの言葉の方が早かった。


「闇属性です!」


 やけにはっきりとカルロが言った。





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