第13話 伯爵家の実態
「カルロのためにカルロの世話をしていた執事長をルーヴ伯爵家から引き抜こうと考えていたのです」
私が正直にそう話すと、シュライグはその目を見開き、私を凝視した。
「カルロは基本的には私といつも一緒に過ごす予定ですので王城にいますが、時にはヴィント侯爵家に戻ることもありますし、カルロが私の従者を辞めたくなった時にはヴィント侯爵家の後継者として下がらせる予定です。その際に、親しい者がヴィント侯爵家にいた方がいいだろうと考えたのです。しかし、シュライグの家門が代々ルーヴ伯爵家の執事長を務めているのならばそれは難しいでしょうから、残念ですが諦めます」
カルロの元に来るように強要するつもりはなく、希望を聞こうと思って呼んだのだ。
家門の意に背くようなことをさせるつもりはない。
これからカルロが健やかに成長できるように執事長の力を借りることができれば良かったが、それが叶わなくても私と乳母でカルロを守ってやることはできるだろう。
「せっかくだから、カルロのこれまでの様子を聞かせてもらえますか?」
今日はカルロの成長過程や教育の内容などを聞いて、足を運んでもらった謝礼を渡して終了しようと考えながら私が言うと、シュライグは「あの……」と控えめに言った。
「私をカルロ様のお側においてくださるというのは本当でしょうか?」
「……ええ。しかし、権力を使って強要しようとは考えていませんよ。シュライグの意思があればのお話です」
「それでしたら、ぜひお願いしたいです」
「家門に反しませんか?」
「長年、私たちはルーヴ伯爵家に仕えてきましたが、先代のルーヴ伯爵から怠惰になり、我々が尊敬する主ではなくなっていきました。父が早くに亡くなったのも現伯爵が実務を全て父に任せたための過労です。私も弟もルーヴ伯爵家から離れる機を伺っていたのです」
ルーヴ伯爵夫妻はカルロを蔑ろにしていただけでなく、まともな仕事もできない無能だったということだろうか?
「しかし、ルーヴ伯爵夫妻は定期的に領地を回っていましたし、領民思いではあるのですよね?」
私の言葉にシュライグは苦い表情を浮かべて首を横に振りました。
「私たちはできる限りルーヴ伯爵夫妻に実務をしていただこうと仕事を残しておくのですが、それが溜まった頃に領地視察に参られます。その資金の元は領民の税ですから、しなくてもいい視察を行い血税を無駄にしていることになります」
私は思わず顔を覆いたくなったが、グッと堪えた。
ここに乳母とグレデン卿という身内しかいなかったのなら、きっと耐え切れずに顔を覆っていただろう。
「ルーヴ伯爵に領地経営の才がないことはわかりました。それはとりあえず一旦置いておいて、つまり、シュライグは家門ごと仕える主を変えたいと考えていたということでしょうか?」
「はい」とシュライグは深く頷いた。
「シュライグの希望は分かりましたが、家門ごととなると少し難しいかもしれませんね」
乳母の言葉に私も頷いた。
「シュライグ個人ならば交渉の仕方によってはルーヴ伯爵もシュライグが退職することを許してくれたかもしれませんが、代々執事長を任されてきた家門となるとルーヴ伯爵家の内情を深く知っていることになりますからシュライグの退職を拒む可能性が高いですよね」
私の言葉に乳母は「はい」と頷いた。
「シュライグの家門がどのような契約をルーヴ伯爵家と結んでいたのかを確認できればいいのですが……」
「それは大丈夫です」とシュライグが言った。
「我が家は平民ですから、血の繋がりはあれど、その家を示す名前はありません」
つまり、苗字がないということだ。
「そのため、契約も執事長となる者の名前でその都度契約していたのですが、現ルーヴ伯爵と私は契約書を交わしておりません」
「……どういうことですか?」
平民の間でならまだしも貴族社会において雇用に関する契約書がないという状況が理解できずに私はシュライグに聞いた。
にこりとシュライグは随分とわかりやすい作り笑いをした。
「現ルーヴ伯爵は心が広く、私のことを全面的に信用して下さっていたようで、私を執事長に任じた際に契約書を用意されなかったのです」
心が広いとかポジティブな言葉を使っているけれど、要は考えなしの馬鹿ということではないだろうか?
契約も交わしていない者に邸宅の管理、さらには実務まで任せているなんて……
「そのことに気づいていながら今まで契約書を作成してこなかったということは、遅かれ早かれルーヴ伯爵家を辞めるつもりだったのですか?」
そう尋ねればシュライグは苦笑した。
「カルロ様はルーヴ伯爵夫妻の実子です。それだけでも愛される理由になるかと思いますが、カルロ様はとても聡明で、しっかりと教育すれば次期当主に相応しい大人に成長されるはずです。それなのにも関わらず、伯爵夫妻はまともな教育を受けさせる気はなさそうでした。まともな判断ができない主人に仕えていても未来がございません」
なかなかに辛辣な言葉だったが、シュライグの言葉はその通りだった。
ルーヴ伯爵夫妻は自分たちの子供であるカルロに愛情を注ぐ義務があったし、現正妻の息子で長男のカルロに次期当主としての教育を与えるべきだった。
そのような教育をするには幼すぎるとか、幼児期はもっと自由に遊ばせるべきだという考えならばそれはそれで構わないと思うが、彼らがカルロに教師をつけなかったのはそういう理由ではない。
広い屋敷に一人残して、ただ放置していただけなのだ。
「それでは、シュライグとシュライグが推薦する家門の者は必要な荷物をまとめた後、この屋敷に移動してください。空いている使用人の部屋がありますから、そこを使ってください」
シュライグたちを受け入れることを決めた乳母は早速そのように指示を出した。
「ルーヴ伯爵家には特に何を言う必要もないでしょう」
乳母の言葉に私はぎょっとした。
「乳母、流石にそれはまずいのではないですか?」
いくら社会常識のない相手だったとしても、辞任する旨は伝えるべきではないだろうか?
「なんの契約もしていないのであれば特に手続き上は問題ないでしょう」
確かに、雇用契約書がなければ雇用契約は成立してないに等しいので、無断退職したところで責められる義理はないのだが、それでも礼儀というものがあると思う。
乳母は普段はとても穏やかな女性なのだが、事務作業を行う時には本当に事務的というか機械的というか、書類上からはみ出している部分に関しては無関心というか、道徳心のようなものが欠けているように感じることがある。
「シュライグ、テーブルの上の魔導具が作動していることから理解できていると思いますが、この場での会話は録画しています」
「録音ではなく、録画ですか?」
「この魔導具は音も映像も残せるのです。ですから、あなたの言葉が虚偽で、万が一にもきちんとした契約書が残されている場合にはわたくしはこの魔導具を使ってあなたたちを見捨てます。そのことを前提に、ルーヴ伯爵に無断でこちらに移ってくるのか、許しを得てから来るのかの判断はお任せします」
「承知しました」とシュライグは随分とあっさりと返事をした。
ルーヴ伯爵のことは自分たちで十分に対処できるという自信なのだろう。
つまり、彼はそれだけ有能だということだ。
「きっとあの者はルーヴ伯爵には何も伝えずに出てくるでしょう」
シュライグが部屋を出た後に乳母がそう言った。
「なぜそう思うのですか?」
「彼は父親を過労で亡くしたと言っていました。雇い主に殺されたようなものです。自身や他の身内もそのようなことにならないように契約書を作成していないことをうやむやにしていたのでしょうし、自分たちが忽然と消えた後の実務の大変さを少しくらいは伯爵に味わってほしいと思うのは人情ではないですか?」
「……なるほど」
この世界には労基もないし、平民のために悪人を調べて捕まえてくれる警察のような組織もない。
無茶な契約や命令で死んだとしても訴える場所もないし、守ってくれる組織がない。
それならば、退職届を出すのは最低でも一ヶ月前とか、退職の時には上司や各部署に挨拶をとか、そんなルールを守る義理もないし、それが道徳的義務だとも考えないだろう。
翌週にはシュライグと弟のシュヴァイグが乳母の屋敷に来たのはいいのだが、他の執事やメイド、料理長まで来たそうだ。
私は彼らを迎え入れる場にはいなかったが、ヴィント侯爵の屋敷を管理する執事長からの話を乳母が聞かせてくれた。
その話によると、シュライグは残される他の使用人たちのことを案じて、自分たちが辞めること、そして彼らの雇用契約は結ばれていなかったり、古くから勤めている者の雇用契約はすでに期限が切れているかのように偽装したのでいつでも辞められることを伝えたそうだ。
すると、現ルーヴ伯爵に不満や不安のあった使用人たちもシュライグたちと一緒に出たいと言ったらしい。
そのため、ヴィント侯爵家でどれくらい引き受けてくれるかはわからないが、とりあえずは一緒に辞めてきたということだった。
「わたくしの屋敷はわたくしがほとんど滞在しないために使用人は最低限しか置いていませんでしたので、全員を雇用することにしました」
「そのように一気に人が辞めてはさすがにルーヴ伯爵に動きが読まれて引き止められたのではないですか?」
「ルーヴ伯爵夫妻は連日それぞれお互いの愛人の元に通っていて、屋敷にはいなかったそうです。今頃、どちらかが帰ってきて状況に気づくのではないでしょうか?」
なんて残念な人たちなのだろう……
それが我が国の貴族なのだと思うとなんとも情けない。
しかも領地の管理を任せている貴族。
この場には乳母とグレデン卿しかいないため、私は我慢することなく顔を覆った。
情けなさに頭痛がする。
おそらく近々、ルーヴ伯爵は乳母の屋敷に直接文句を言ってくるか、王に謁見しに来るだろうと考えて、私は王と王妃にルーヴ伯爵家の使用人の現状を報告した。
「よく領地視察に行く領民思いの領主なのかと思っていたが、まさか、そんな理由だったとは」
王の眉間に皺が刻まれた。
「そのような者に領地を預けておくことなどできませんね」
王妃はさすが、綺麗な笑顔を保っている。
不思議と冷気を感じるような気はするが。
「領地管理を任されている貴族がその役目を怠っているなど王として見過ごすことはできない。リヒト、ルーヴ伯爵のことは私たちに任せておきなさい」
父王の言葉に私は「はい」と頷いた。
本当は私の最推しであるカルロをこれまで蔑ろにしてきた上に、あっさりと捨てようとする者など私自ら怒りの鉄槌を下してやりたかったけれど、私はまだ貴族たちに公表されていない身なのでルーヴ伯爵に直接会うわけにはいかない。
私はルーヴ伯爵家のことは全面的に王に任せることにした。
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