第12話 初めての添い寝


 その夜、夕食の後で王妃である私の母上から聞かされたことだが、ルーヴ伯爵夫妻から離婚を希望しているという話があったあの日、私の落ち込んだ様子を見た乳母からカルロを自分の養子にして私の従者にしたいという話があったそうだ。

 王と王妃で話し合い、カルロを私の従者として召し抱えようと決めたそうだ。


 母上は結婚をせずに自分の息子のそばにずっといてくれる乳母のことが気になっていたと打ち明けた。

 王子である私のことを可愛がり、私のために誠心誠意働いてくれる親友に感謝しつつも、彼女自身の家族を得る機会を奪ってしまっているようで申し訳なく感じていたそうだ。

 それは、私も乳母に感じていた気持ちだったから理解できた。

 乳母は私に対して献身的すぎるのだ。

 それが今回、自分から子供を欲してくれて嬉しかったと王妃は語ったが、私はその逆に感謝と同時にそれまで以上に申し訳なく感じた。


 カルロを養子にするという決断の根底にもおそらく私への献身があるからだ。

 これはおそらく自惚れではないはずだ。

 カルロのことが心配で眠ることができない私の身を案じた結果の判断だろう。

 私の従者になればカルロは将来もそれなりの地位につけるはずだ。

 しかし、ヴィント侯爵の後ろ盾があればそれは確実なものとなり、私が安心できると考えたのではないだろうか?


 急に決まったカルロが従者になる経緯を王妃から聞いた私は王妃の執務室から出て、席を外してもらっていた乳母とカルロと共に寝室に向かった。

 湯浴みの際に乳母はカルロに私の湯浴みの仕方を教えた。

 正直、同い年の少年に湯浴みを手伝ってもらうのは、乳母に体を洗われるのよりもずっと恥ずかしかった。


「乳母、カルロは私と同じ年齢です。その小さな体で私の湯浴みを手伝うのは難しいでしょうから、もっと後になってからでもいいと思います」

「ですが、これからリヒト様はますます体が成長します。思春期の頃には異性であるわたくしがお手伝いするわけにはいきませんので、従者がお手伝いすることになります。カルロはこれまで自分のお屋敷でされていたことを主人に行わなければいけませんし、リヒト様も同性に体を洗われることに慣れなければなりません。もっと成長してから始めても良いですが、今のうちに慣れておいた方がリヒト様にとってもカルロにとっても良いと思います」

「た、確かに……」


 一理あるというか、全面的にその通りだなと思った。


「しかし、やはり、カルロには荷が重いのでは……」

「それでは、リヒト様は来年、再来年ならば羞恥心が無くなるのですか? リヒト様はこれからますます成長するのですよ? その羞恥心も大きくなりませんか?」


 やはり推しに体を洗われるのが恥ずかしい私の本音の部分を乳母は容赦無く指摘する。


「……なると思います。し、しかし、そもそもこの年齢の従者の役割は一緒に学び、一緒に遊ぶことでは? 労働は含まれていないように思われるのですが……」


 従者とは、王宮から自由に出歩くことのできない王子の友達作りの一貫だ。

 父王の幼少期の従者は現在の宰相と第一補佐官であり、一緒に学び、成長したことによって信頼が生まれ、現在も一緒に仕事をしているのだ。


「わたくしもそのように考えていたのですが」


 そう乳母が言った。

「それならば……」と私が口を開いたところで、乳母の横で私の背中を洗う乳母の仕事をじっと見ていたカルロが言った。


「ヴィント侯爵はリヒト様が湯浴みをしている間は休んでなさいって言ってくださいましたが、僕がリヒト様の湯浴みのお手伝いができるようになりたいって言ったんです!」


 まさかのカルロからの提案だったらしい。


「……なぜ? カルロはまだ小さいのだから、仕事のようなことはしなくてもいいのだぞ?」

「僕もリヒト様とずっと一緒にいたいんです!」


 つまり、まだ一人にされるのは不安ということだろうか?


「乳母、今度から湯浴みはメイドに手伝ってもらうから、私が湯浴みをしている時間はカルロと一緒に過ごす時間にしてはどうだろうか?」

「僕はリヒト様と一緒にいたいんです!」


 つまり、同年代の子供と一緒の方が気が楽ということか。

 確かに、まだ養子縁組の契約書には署名していないから二人はまだ親子とは言えない。


「それなら、私と一緒に湯浴みをすればいいのではないか?」

「「それは不敬です!!」」


 カルロと乳母が同時に答えた。

 まだ親子ではないけれど、すでに息ぴったりだ。




 湯浴みの後は就寝だ。

 私はベッドに上がり、乳母とカルロが下がるのを見つめる。

 しかし、二人は私の部屋の中にある小部屋へと向かった。

 そこは私がまだ赤ん坊の頃、乳母がいつでも私の様子を見れるように寝泊まりしていた部屋だ。


「ちょ、二人ともどうしてその部屋に行くのですか!?」

「カルロはリヒト様の従者ですから、今日からこの部屋を使います」


 乳母が当然のように言った。

 確かに、言われてみればカルロがその部屋を使うことは当然のことで、逆に私がそのことに思い至らなかった方がどうかしている。


「乳母もその部屋で寝るのか?」


 ベッドは一つしかないが、カルロはまだ小さいから一緒に寝ることは可能だろう。

 しかし、乳母に不可解そうな表情をされた。


「わたくしはリヒト様が与えてくださったお部屋がありますので、そちらで寝ますよ」

「しかし、カルロは急に一人になって寂しいのではないか?」


 私の心配にカルロは「大丈夫です」と微笑んだ。

 確かに、貴族の子供たちは親と離れて寝るものだから、それほど気にしなくても大丈夫なのかもしれない。

 私がそう納得しようとした時、カルロが微笑んだまま言った。


「ずっと一人でしたから」


 それは、寝る時のことだけを言っているのではないと私はすぐに察することができた。

 大きな屋敷の中で、カルロはずっと一人だったのだ。

 なんだかとても寂しくなって、私はトントンッと自分のベッドを叩いた。


「カルロ、一緒に寝よう」


 乳母もカルロも、そしてずっと扉の横で控えていたメイドまで驚いた表情になった。


「それはいけません。リヒト様」


 一瞬、嬉しそうな表情を見せたカルロは、乳母の言葉にすぐにその表情を引っ込めた。


「今日だけだ。カルロにとっては初めて来た場所での初めての夜だ。緊張して眠れないかもしれない。明日から本格的に一緒に勉強してもらうことになる。寝不足の状態では辛いだろう」


 乳母は少し考える素振りを見せて、カルロに視線を合わせるようにしゃがんで言った。


「カルロ、寝相は悪くないですか? リヒト様を蹴ったりしてはダメですよ?」

「ヴィント侯爵、大丈夫です! 僕、寝相がいいと執事長に褒められましたから!」


 カルロの返答に安心した乳母は私とカルロが今夜だけ一緒に寝ることを了承した。

 そして、早速カルロに湯浴みをさせて、就寝の準備をした後は、寝ずの番のメイドに私たちのことを頼んで私の寝室を後にした。


「カルロ、ベッドに上がって一緒に寝よう」


 カルロは少し緊張した面持ちでベッドに上がった。

 それから少し恥ずかしそうに「えへへ」とはにかんだ笑顔を見せた。


 永遠に守りたい。

 この笑顔。

 私は改めて心に誓った。


 しかし、カルロの寝相がいいという返答は嘘だった。

 ベッドに上がってしばらくすると寝息を立て始めたカルロは不意に私に抱きついた。

 腕だけでなく、両足も絡めてきて、私は完全にカルロの抱き枕になった。

 メイドが慌てて寄ってきて、引き剥がしてくれようとしたが、私は「大丈夫だ」とそれを制した。

 明日から抱き枕はないのだから、今日ぐらい私が抱き枕になってやってもいいだろう。

 私もカルロの子供体温に瞼が重くなってすぐに眠りに落ちた。




 翌朝、目覚めるとすでにカーテンは開いていて、窓から入る日の光で部屋の中は明るかった。

 私はまだ少し寝ぼけている状態で視線を巡らしてサイドテーブルに置かれた置き時計を見た。

 そして、驚きにその目を見開いた。

 時計は9時を指していた。

 私は毎朝7時には起きていたのに、それを2時間も過ぎていた。

 慌てて飛び起きようとしたが、腰に何かが巻き付いて起き上がることができなかった。

 見れば、カルロの腕がしっかりと腰に巻き付いていた。


「おはようございます。リヒト様。今朝はよくお休みでしたので、お声がけするのは控えておりました」

「おはようございます。乳母。今度からは起こしてください」

「最近、寝不足でしたので、お身体には休息が必要だったと思います」


 乳母の言葉にそれもそうかと思った。

 中身は52歳だが、体はやっと5歳になろうというところだ。


「起きるので、カルロの腕を外してください」


 乳母がカルロに声をかけて起こそうとするので、身動きが取れないので腕は外して欲しいがカルロを起こす必要はないと伝えたのだが、乳母には「主人が起きているのに従者が寝ているなんてダメです」と強めの口調で言われた。

 それならと私はカルロの体を優しく揺らして声をかけた。


「カルロ、起きよう」


 カルロの瞼がゆっくりと持ち上がり、美しいアメジストの瞳が現れた。

 カルロは私の顔を見て、頬を緩ませた。


「神様、おはようございます」


 カルロはどうしても私を神様にしたいようだ。


「おはよう。カルロ。でも、それは秘密だろう?」


 そうカルロに返すと、カルロの瞳が大きく見開き、私の顔を凝視した。


「あれ……夢じゃ……」


 どうやらカルロはまだ寝ぼけていたようだ。


「夢ではありませんよ。早くリヒト様のお体を離してあげてください」


 乳母の言葉に今度こそ目を覚ましたカルロは慌てて私の腰から手を引いた。

 私はいつも通り乳母に着替えを手伝ってもらい、カルロは従者の部屋でメイドに着替えを手伝ってもらって出てきた。


「リヒト様、申し訳ございませんでした」


 私よりも遅く起きたことや私を抱き枕にしたこと、その結果、私が体を起こすことができなかったことなど、いろいろなことに対する謝罪なのだろう。

 情けなさそうな様子のカルロの姿に私は笑った。


「気にしなくていいよ。カルロはこれから私と一緒に学んで、一緒に成長していくんだから、朝寝坊も一緒にすればいい」


 そう頭を撫でれば、カルロはまたはにかんだ笑顔を見せた。

 本当に可愛い。

 朝から心が浄化されるようだ。


「そうだ、カルロ。ルーヴ伯爵の屋敷から連れてきたい使用人はいるか?」


 ゲームでカルロをドレック・ルーヴから守ってくれた執事長は、現実のこの世界でもきっとカルロを支えてくれるはずだ。

 そう思って聞いたのだが、カルロは首を横に振った。


「おりません」

「そうか……?」


 遠慮をしているのか、シナリオが変わってしまったために執事長が自分の味方だと気づけなかったのだろうか?

 それなら私が乳母と相談の上、ルーヴ伯爵家の執事長に希望を聞いてみるのもいいかもしれない。


 それにゲームではその姿は描かれていなかったし、名前などの情報もなかったけれど、他の執事やメイドを束ねる執事長ということはそれなりの年齢のはず!




 現王は若くして前王から地位を受け継いだからまだ若いし、現王と同年代の宰相も第一補佐官も前世の私より若い。

 大臣などの中には老齢の者もいるだろうが、彼らに会えるのは私の存在が公にされてからのことになる。

 魔塔主は実年齢はわからないものの見た目は若いし……私はもう少し中身の私と年齢の近い者と話してみたい。


 そんな打算もあり、ルーヴ伯爵に知られないように密かに使者の者を送って乳母の屋敷、ヴィント侯爵家で面会をした。

 ルーヴ伯爵家の執事長の名前はシュライグ。

 彼は私の想定していた姿よりも遥かに若かった。

 美しい黒髪を長く伸ばして後ろで一つにまとめ、銀縁のメガネをかけ、知的な切長の目。

 攻略対象じゃないのが不思議なくらいに整った容姿で、年齢は二十代半ばといったところだろうか。


 おかしい。

 私の予想では白髪をオールバックにしたいかにも執事長らしい見た目の老人が来ると思っていたのだが……


「リヒト様、どうされましたか?」


 シュライグを目の前にして固まった私を気遣うように乳母は声をかけた。

 乳母の屋敷であり、私は身分を隠してシュライグと面会しているため、乳母はいつもの定位置である私の後ろではなく、今日は隣に座っている。

 グレデン卿が護衛として私のすぐ後ろに立ち、カルロは城で第一補佐官に従者としての教育を受けているはずだ。


「すみません。シュライグは執事長だと聞いていたのですが、随分と若いのですね」

「我が家は代々ルーヴ伯爵家に使え、執事長を任されております。父が早くに亡くなったので、父の補佐として働いていた私が父の跡を継いで執事長になったのです」


 なるほど。

 となると、シュライグを引き抜くのは難しいかもしれない。

 見た限り非常に真面目そうな青年だ。

 きっと、家門の仕事を自分の代で急に投げ出すことには抵抗があるだろう。


「本日お呼び出しがあったのはカルロ坊ちゃまのことでしょうか? 王子」

「どうして私のことを……」

「屋敷を出る前にカルロ坊ちゃまが執事の仕事を教えて欲しいと言ったので少しだけお話ししました。存在がまだ公表されていない王子のご事情はきちんと理解されていたようで、王子のことはお話しされませんでしたが、自分はこの世で最も尊い神様の元で働くのだと嬉しそうに話しておられました」


 神様のことは王子のこと以上に秘密にした方がいいような気がするが、カルロもまだ子供だ。

 特別な存在に会ったのだと、誰かに話したかったのかもしれない。


「そうして、お呼び出しのあったヴィント侯爵家でお会いしたのがカルロ様と同年代の方ですから察することは可能です。ヴィント侯爵様は王妃様と一番親しいご友人ですし、王室にはお子様がおられるとの噂はありましたから」

「シュライグは聡明ですね」


 シュライグは「恐れ入ります」と、にこやかに微笑んだ。


「従者になられるカルロ坊ちゃまのことでお知りになりたいことがおありなのですよね? 何なりとお聞きください」


 優秀な執事の言葉を私は「違います」と否定した。





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