第11話 出会い


「それでは、お茶会を開く必要がありますね」


 思わぬ第一補佐官の助言に私はその目を瞬いたが、私のすぐ後ろに立つ乳母の反応は早かった。


「すぐに準備に取り掛かり、近日中に招待状を送らせていただきます」

「では、私は予定を調整しておきます」


 乳母と第一補佐官はそのように言葉を交わした。


「お茶会って誰とですか!? 私は存在を公表されていないのですよ!?」


 慌てる私に第一補佐官は微笑んで言った。


「もちろん、両陛下とですよ」

「え? 父上と母上とですか?」

「はい。立法にあたってリヒト様が一番協力を必要とする人物は両陛下ですよね?」


 確かに、私は子供たちを守る法律の成立にあたって、親バカすぎる両親を利用するつもりでいた。

 そんな私の心を見透かしているように第一補佐官は微笑みの目をさらに細めた。


「確かに、両陛下はリヒト様に非常に甘いです。ですから、リヒト様にちょっとお願いされただけで頑張るでしょう。しかし、お二人も忙しい身です。ちょっと突かれた程度では、頑張りはしても全力は出してくれないかもしれません。全力を出してもらうためには、説明と説得、そして接待が必要だと思いませんか?」


 つまり、お茶会でもてなしつつもプレゼンテーションをすれということだろうか。

 私は少し思案し、「わかりました」と頷いた。

 両親に息子の接待が効果的なのかどうかはともかくとして、第一補佐官の助言に従うことによって、第一補佐官に努力を認めてもらうことは有用だろう。


「私はこれにて失礼いたします」


 第一補佐官は教材として持ってきていた本を両手に抱えた。

 それからふと窓の外へと視線を移した。


「今日は誰にも許可を与えていないはずですが、子犬が庭園に入り込んでしまったようですね」


 私の勉強部屋から見える庭は王や王妃の執務室からも見え、高貴な者の目に入る場所のため、他の貴族は立ち入り禁止の区域だ。

 自由に出入りできるのは王家の者以外には庭師くらいのものである。

 そのため、この庭を見ることが非常に名誉なことだと考える貴族もおり、老齢の貴族などは褒美として夫婦で庭を鑑賞したいなどと言う者もいる。

 王にとっての真の忠臣であれば、王が許可を与えて庭に入ることが許されることもあるのだが、どうやら今日はそのような予定はないようだ。


 もちろん、子犬というのは比喩だろうと思いながら、私も庭を見た。

 そこには私と同じ年頃の子供がいた。


「まだ小さいですから、見回りの騎士に言うまでもないでしょう。メイドに行かせます」


 幼子の姿に目を奪われていた私は思わず乳母の手を握り、その動きを止めました。


「リヒト様?」

「見知らぬところで怯えているかもしれません。私が行きます」


 私の言葉に少し驚いた様子だった乳母はすぐに優しく微笑み、「ではお供します」と返してくれた。

 私は急ぎ足にならないように気をつけつつ乳母とともに庭へと向かった。


「確かに、リヒト様にも同じ年頃のお友達が必要ですね」

「私は7歳まで公表されないのだから無理ですよね?」

「わたくしに子供がいたらよかったのですけどね。わたくしがリヒト様の乳母になったのは王妃様の幼馴染だったからなので」


 同じ頃に子供が生まれた夫人を乳母として私を育てるという案もあったが、王妃である母上は幸いとても健康で、母乳の出が悪いとか母乳が出なくなるなどというトラブルもなく私を育ててくれた。

 そのため、王妃の代わりに母乳を飲ませる乳母は必要なく、王妃の補助として子育てを行ってくれる女性を乳母とすることにしたそうだ。

 そうして選ばれたのが王妃が最も信頼している親友だったということだ。


「宰相や第一補佐官にもお子様はおられませんので、信頼できる貴族の子供を従者としてつけるのはいいかもしれません」


 窓から見えた人物が私が思っている人物ならそういうわけにはいかないだろう。

 せっかく両親を助けたのだから、両親の元でのびのびと幸せに育って欲しい。




 庭園に出ると、窓から見えた少年は先ほどの場所から動かずにただただ庭を見つめているようだった。


「わたくしが近づいては驚かせてしまうかもしれません。わたくしはここで見ておりますから声をかけて差し上げてください」


 いつも私の背後にピッタリくっついている乳母が珍しくそう言った。

 大人の介入なしに私と少年が知り合う機会を作ってくれたのだろう。

 これまで幾人もの大人たちと対等に話してきた私だったが、少年に近づくのはとても緊張した。

 それは子供慣れしていない中身52歳のおじさんだからというのもあるが、やはり最大の理由は相手が前世からずっと応援してきた推しだからだ。


 私の近づく気配に気づいて少年は振り返った。

 柔らかい金糸のような髪が太陽の陽を受けてキラキラと輝いていた。

 私も金色の髪ではあるが、色味の強い金色で髪は癖が強くて巻いてしまっている。

 乳母をはじめとした次女やメイドたちは美しい髪だと褒めてくれるが、私はカルロの柔らかい色合いでサラサラの髪の方がずっと綺麗だと思う。


 どう声をかけようとかと思っていると、彼の唇が動いた。


「天使様ですか?」

「……え?」


 私が?

 天使のように愛らしいのはカルロの方だと思うのだが?


「あ、ごめんなさい」


 どうやら違うと気づいたようだ。


「妖精さんでしたか?」


 ん?


「精霊さんですか?」

「いや、ちが……」

「妖精王ですか? 大精霊?」

「いや、違うから……」


 私の否定の言葉を聞いたカルロがハッとその瞳を見開いた。


「もしかして、神様ですか!?」

「違うよ! 私は君と同じ4歳のただの子供だから!!」


 彼はその目を見開いたままぱちぱちと瞬きをした。

 その可愛さといったら、本当に天使のようだ。


「あ……ごめんなさい。僕になんか正体を明かしてくださるわけないですよね」


 なんてネガティブなんだ!!!

 ゲームでもとてもネガティブなキャラだったけれど、それは子供の頃のひどい経験のせいだと思っていたのだが、もともとがネガティブな性格だったのだろうか?


「そうじゃなくて、本当に私はただの子供なんだ」

「はい……」


 カルロは項垂れるように俯いた。

 どうやら、まだ信じてはくれていないようだ。


「ご両親は?」

「王様に謁見中です」


 一人で王宮前の庭を歩いていて、ここに迷い込んでしまったというところか。


「ここは本来、王族しか自由に出入りできない庭なんだ。他の者に見つかると面倒だから行こう」

「王族の庭……だから、こんなに美しいんですね」

「……気に入った?」

「はい! とても綺麗です」


 綺麗なのは君だけどね。

 笑った顔が日の光に照らされてあまりにも美しくて、私は素直にそう思った。


「それなら、もう少し見ていく?」

「でも、僕がここにいたら怒られるんじゃ……」

「本当は前もって許可が必要だけど、私が一緒なら大目に見てもらえるだろうから」

「僕と一緒にいてくださるんですか?」


 アメジストの瞳が嬉しそうに煌めいた。


「私は君が困らないように迎えにきたんだ。だから、ここの庭園にいる限りは一緒にいるよ」


 まだ公表されていない存在の私はカルロと一緒に他の貴族が出入りしている王宮の正面まで行くことはできないから、せめてこの場だけは一緒にいよう。


「ありがとうございます」


 カルロははにかむように笑った。


 私はカルロはすごいと思った。

 実物を見たらゲームとの比較で多少なりとも気持ちが変化すると思っていた。

 画面の向こう側ではないカルロに対して、実在しているのだと冷静になったり、勝手な妄想が現実を前に落ち着いたり。

 でも、カルロと実際に出会ったら、思った以上に可愛かった。

 そして、その可愛いという気持ちをこの短時間で何度も更新していく。


 こんなに可愛く思うのは、カルロがまだ4歳という子供だからだろうか?

 庇護欲をそそる顔立ちというか眼差しだからだろうか?

 とにかく可愛い。

 可愛すぎて心が一杯一杯になる。

 こんな可愛い子を変態の毒牙に晒すわけにはいかない。

 絶対に守ってあげなくては!!




 私はカルロとしばらく庭で過ごした。

 自分の素性は明かさなかったし、カルロに名前を聞いたりもしなかった。

 第一補佐官の使いの者がカルロの両親の謁見が終わったことを乳母に伝えに来て、私は乳母の視線でカルロに声をかけて王宮前の庭の手前まで送った。


「もう迷い込んじゃだめだよ」


 そう伝えるとカルロは少し寂しそうな表情を見せた。


「また、会ってくださいますか?」


 きっと私のお披露目の時にはカルロも来てくれるだろう。

「もちろん」と、私はカルロの頭を撫でた。

 カルロがあまりに可愛くて、うっかり撫でてしまった。

 4歳児が4歳児の頭を撫でるのはおかしいだろう……

 しかし、撫でてしまったものは仕方ない。

 嫌がられていないかと恐る恐るカルロを見ると、カルロは嬉しそうにはにかんでいた。

 その姿がまた可愛くて、私はしばしカルロの頭を撫でてからカルロを解放した。


「乳母……」


 カルロと別れて王宮内に戻った私は乳母に言った。


「私は親心を知ってしまいました」

「……リヒト様、僭越ながら、それは友情ではないでしょうか?」


 いや、この感情は友情ではない。

 リヒトの中身の52歳がその心を震わせて訴えてくるのだ。

 あのか弱い子供を守り通さなければならないと!

 この感情はまさしく父性だろう!




 私が父性に目覚めた数時間後、夕食の席で私は信じられない話を父王から聞くこととなった。


「ルーヴ伯爵夫妻が離婚の許可を求めてきた」

「……え?」


 王は王妃に貴族間の出来事として話したのだろうが、思わず私は声を上げてしまった。


「ん? リヒトはルーヴ伯爵夫妻のことを知っているのか?」


 王も王妃も私がルーヴ伯爵夫妻を王宮近衛騎士団を使って守ったことは知っている。

 しかし、ここは多くの使用人の出入りがある食堂だ。

 王や王妃の執務室でもなければ、私の勉強部屋でもないため、忠臣だけがいる空間ではない。

 そのため、私がルーヴ伯爵のことを知っていることは秘密なのだ。


「いえ。離婚という言葉に驚いたのです。領地を持つ貴族の離婚は珍しいと講義で習いましたから」

「ああ、そうだな。リヒトはよく勉強しているな」


 食堂ではこれ以上、私はこの問題について質問することも意見を言うこともできない。

 王も王妃も私を気遣ってその話題は一旦そこで終わりにしてくれた。


 夕食後、私は密かに王の執務室へと呼ばれた。


「あの場であのように反応してしまい、すみませんでした」

「いや、リヒトの心情も考えずに話題を出してしまった私が悪い」

「ええ。あれはあなたが悪かったわ」


 父王は謝罪し、そして王妃が王を詰るように言った。


「ルーヴ伯爵夫妻はどうして離婚したいのでしょうか?」

「盗賊に襲撃され、人生は儚いものだと気づいたとかなんとか言っていたな……」


 何を言っているんだ?


「本当に愛する人と一緒になりたいと言っていた」


 ますます何を言っているんだ?


「それでは、ルーヴ伯爵夫妻の一人息子はどうなるのですか?」

「それがだな……ルーヴ伯爵は愛人の間に子供がおり、その子を当主にする予定だと話していた」

「……は?」

「それではあまりにもカルロ・ルーヴが不憫なため、カルロ・ルーヴを後継者にしてはどうかと勧めてみたが、伯爵の意思は硬いようだった。実際のところ、貴族たちには報告義務があっても、王には謀反でも企てているような気配がない限り、彼らに後継者について強制はできない。私にできるのは、せいぜい離婚時期を先延ばしにすることくらいだ」


 私はあまりの衝撃に眩暈がした。

 これではなんのためにルーヴ伯爵夫妻を助けたのかわからない。

 私はカルロを幸せにしたかったのに、実の両親から捨てられるという過酷な状況に追いやってしまった。


「わかりました……」


 私は力無く言った。


「ルーヴ伯爵家のことはもう少し調査してみます」


 私は立ち上がり、乳母と一緒に寝室へと向かった。

 早くベッドに横になりたかった。

 私は、今日見たカルロのはにかんだ笑顔を守ってあげたかった。

 それなのに、どうしてこのようなことになってしまったのだろうか……


「リヒト様、すぐに湯浴みができますが……」

「ごめんなさい。今日はもう横になりたいです」

「……承知いたしました」


 乳母は私の着替えを手伝って、それから扉の横の椅子に座った。


「……乳母が寝ずの番をするのですか?」

「はい。乳母がそばにいますから、安心して眠ってください」

「……ありがとう」


 私はベッドに上がり、布団を頭からかぶって身を丸めた。

 考えなければいけない。

 どうしたら、カルロのことを救えるのかを。

 あの子が傷つかないように守ってあげられるのかを。

 考えなければいけない。




 翌朝、私はグレデン卿に頼み、ゲーツ・グレデンを中心に順調に組織されつつある情報ギルドにルーヴ伯爵夫妻についての情報を集めさせた。

 ルーヴ伯爵家でカルロがどのような扱いを受けているのかも含めてだ。

 私はルーヴ伯爵夫妻が盗賊に襲われて亡くなったのがカルロの不幸の始まりだと思っていた。

 けれど、違ったのかもしれない。

 昨日のカルロには貴族の子供たちによく見られる傲慢さもなく、自信に満ちた様子もなかった。

 傲慢さがないことはいいことだが、自信のなさはもしかすると愛情不足からくるものなのかもしれない。

 それがただの杞憂であり、盗賊に襲われるような命の危険を感じるような事件を経験するまではルーヴ伯爵夫妻は仲が良く、カルロのことも可愛がっていてくれたらと願った。


 一週間ほどでルーヴ伯爵夫妻やカルロの情報が届いた。

 ルーヴ伯爵夫妻はありふれた政略結婚で、事務的な夫婦生活を送り、カルロに対して虐待のようなものはなかったものの、父親も母親もカルロのために時間を作って一緒に過ごすというようなことはなかったそうだ。

 むしろ、二人とも仕事以外の空いた時間は愛人と過ごすことに使っていたそうだ。

 両親が二人とも愛人の元へと行ってしまい、カルロだけが屋敷に使用人とともに残されていたことがよくあったそうだ。


 カルロの父親であるルーヴ伯爵は夫人と離婚した後は愛人を後妻に迎え入れるつもりのようだ。

 カルロの母親の方は実家へは戻らずに自分が屋敷を買い与えた若い男の元へ身を寄せる予定のようだ。

 しかし、その男の目当ては夫人の財産らしく、お金がつき、宝石など売るものがなくなれば追い出されるだろうという予想まで報告書にはあった。


 ルーヴ伯爵と愛人との間には生まれたばかりの男児がおり、ルーヴ伯爵はすでに後継者をその男児にすると公言しているそうだ。

 ゲームの中のカルロは執事がカルロの身を守るために領地へと送ったが、このままでは実の父親によって領地へと送られてしまうことだろう。


「……どうすれば……」


 頭が痛い。

 眩暈がする。

 自分が無力すぎて、情けなさに押し潰されそうだ。

 報告書を読みながら、何かいい策はないかと必死に考える。


 勉強部屋の扉が叩かれ、メイドが扉を開いて外の人物を確認してそれから私に声がかけられるはずだ。

 しかし、メイドから私に声がかかることなく扉は開かれて入室した者がいた。


「リヒト様、戻りました」


 扉をノックしたのはしばらく席を外していた乳母だったようだ。

 私は報告書から視線を外さないまま「お疲れ様です」と乳母を労った。

 席を外していた理由はわからないけれど、乳母のことだから仕事だろう。


「リヒト様、ご紹介したい者がおります。入室させてもよろしいでしょうか?」


 私の部屋に入れるのは乳母が信用をおいたメイドだけだ。

 見知らぬメイドが部屋に入ったらすぐにわかるように人数はそれほど多くなく、一人一人紹介されて私もメイドの顔も名前も覚えている。

 だから、また新しいメイドを私の専属にするのかと思って私は「かまいませんよ」と返事をして顔を上げた。

 私の返事を聞いた乳母は扉を少しだけ開いて、外で待たせていた者に「入室なさい」と声をかけた。

 「失礼します」と部屋の中に入ってきた者の姿に私は驚いた。


「本日よりリヒト様の従者となるカルロ・ルーヴです」


 乳母の紹介にカルロは胸に右手を当てて上半身を少し前に倒す礼をした。

 金糸のような美しい髪がその動きに合わせて揺れた。





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