第9話 水先案内人


 水先案内人の男は、私たちの前に紅茶だと思われる飲み物が入ったカップを置いて、扉の脇に立った。どうやらそこで、我々の様子を見守るようだ。


「ジムニは見回りでもしてきてよ」


 ゲーツ・グレデンが男に言った。

 水先案内人の男の名前を私は初めて知った。

 ゲームでも出てこなかった情報だ。


「お前を探していた人間が誰かわかったんだ。頻繁な見回りは必要ないだろう」


「それに」とジムニはグレデン卿に厳しい視線を向けた。


「この貧民街では俺がゲーツの保護者だ。俺にもお貴族様の言い訳を聞く権利はある」


 二人の会話から、城から逃げ出して下町に隠れたゲーツ・グレデンを保護してくれたのがジムニなのだとわかる。

 グレデン卿はこれまでのことを弟とジムニに説明した。

 小児愛者の貴族の情報を得ては弟が囚われていないか探しに行ったこと。

 私が王宮近衛騎士団を動かして調査に協力したこと。

 城の記録や箝口令のこと。

 騎士団長がかつては前王の護衛騎士で当時のことを話してくれたこと。

 そして、ようやく、下町まで捜索範囲を広げる必要があることを気づいたこと。


「本当に、迎えに来るのが遅くなってすまない」


 グレデン卿はゲーツ・グレデンに改めて謝った。

 そして、ジムニにはお礼を述べた。


「弟をこれまで保護してくれたこと、感謝する。謝礼金を渡したい」


 平民にはとりあえずお金で解決しようとするのは貴族の悪い点だと思うが、実際に大金を喜ぶ者もいるだろうから私は口を挟まずにジムニの様子を伺う。

 すると、ジムニはグレデン卿の申し出を鼻で笑った。


「一度金を払って仕舞いにするつもりか?」

「ジムニ、何を言うつもりだ?」

「ゲーツは連れていけばいい。その代わり、俺には毎年充分な金をくれ」


「ジムニ!」と、ゲーツ・グレデンはソファーから立ち上がった。


「子供たちのことを一人で背負い込むつもりだろ!」

「お前は貴族として大成して、ここに少しばかり金を落としてくれればいい」


 ジムニは笑ってゲーツ・グレデンの頭を優しく撫でた。

 ジムニにとってもゲーツ・グレデンは歳の離れた弟のような存在になっていたのだろう。

 その眼差しに利用しようという企みなどない。

 ただ、相手を包み込むような穏やかで優しい眼差しがあるだけだ。

 

「子供たちとはなんのことだ?」


 グレデン卿の言葉にゲーツ・グレデンは目を伏せて苦々しげに答えた。


「……子供を物のようにやり取りするのは貴族だけじゃないんです。家計の苦しい家庭は下級貴族や商人などに子供を売るんです」

「そんな子供達の情報を得てはゲーツは助けて面倒を見てきたんだ」


 ジムニがゲーツ・グレデンの話を補足する。

 貴族だけでなく、平民の間でもそのようなことが行われていることに衝撃を受け、そして、私がこれからやらなければいけないことにすでに取り組んでいてくれた人々がいたことに驚いた。


「兄上、私は貴族社会には戻りません。ここで、子供達を助けなければならないんです」


 グレデン卿はじっと弟の顔を凝視した。

 それから、「わかった」と頷いた。


「それなら、私も協力しよう。私はリヒト様に忠誠を誓っているからいつでも手が空いているというわけではないが、資金援助はするし、人手が欲しい時には前もって教えてくれればリヒト様の護衛を他の者に変わってもらって……」


 私はグレデン卿の言葉を遮った。


「資金援助は私が行います。人手も王宮騎士団の中から人選して専門部隊を作りましょう」


 私の言葉にゲーツ・グレデンとジムニは驚いたようだが、グレデン卿は穏やかに微笑んだだけだった。

 私の後ろに立つ乳母の表情は見えないが、口を挟まないということは反対ではないのだろう。


「ゲーツ・グレデンにこの国の王子として依頼します」


 貴族としての記憶がそうせるのか、私の言葉にゲーツ・グレデンは背筋を正した。


「苦境に立たされた子供達の情報を集め、救出し、保護する組織を作ってください。今すぐに作ることは難しいでしょうが、将来的に組織として機能するようにこれから動いていただきたいのです」

「タダ働きはごめんだぜ?」


 ゲーツ・グレデンが返答を返すに前にジムニが言った。


「これは私からゲーツ・グレデン、そしてこれからゲーツが作り上げる組織への依頼ですから、当然、依頼料を払わせていただきます」

「いくらだ?」

「いくら必要ですか?」


 質問に質問で返すとジムニはその目を何度か瞬き、私を凝視し、それから笑った。


「俺は一体何を本気にしてるんだ。王子とは言え、こんな子供の言うことを……」


 私がジムニが淹れてくれたお茶を一口飲むとジムニは再び驚いた表情で私を凝視してくる。

 ゲームの時には思わなかったが、随分と表情豊かな男のようだ。

 ちなみに、人を殺すような毒は入っていないだろうが、睡眠薬のようなものが入っている可能性を考えて、こっそりと水属性の浄化魔法を使っている。


「ジムニが考えるとおり、まだ子供の私には国家予算を振り分ける権限はありません。しかし、王子である私の生活のひと月の予算は金貨三十枚です」


 私の言葉にジムニの口角が引き攣った。


「金貨一枚で平民の家族は2ヶ月から3ヶ月は生活できると聞いています。ここ下町ならもっと……着るものや家の管理費などを考えずに純粋に食費だけのことを考えれば半年以上生きていける金額じゃないですか?」


 ごくりとジムニの喉が鳴った。


「しかし、健康を保つためには食糧だけがあってもダメです。暖かい住まいや寝床、清潔な衣服、定期的に体や頭を洗うことも大切です。食事もお腹が満たされるだけでなく、健康のことを考えてバランスのいい食事をする必要があります。子供たちがどれくらいの人数いるのかは分かりませんが、最低でも月に金貨一枚は必要でしょう」


 ジムニは真剣な眼差しで私の顔をじっと見つめる。

 ゲーツもそれに倣ったように神妙な表情をしている。


「子供たちの生活の費用だけでなく、苦境に立たされた子供達のことを調べる費用も必要ですし、調査する人間や救出する人間たちへ払う人件費も必要ですね」


 私はあれこれと頭の中で計算する。


「とりあえず、ひと月に金貨五枚でどうですか? 不足分はその都度相談してください。子供が増えたり、組織が大きくなれば資金も増やしましょう」

「き、金貨五枚……」


 提示した金額に驚いているジムニから視線を逸らして私は乳母を振り返る。


「私に当てられている月々の予算の中から金貨五枚を捻出することは可能ですよね?」

「魔塔主にお支払いしている講義代を充てれば問題ないかと」


 乳母の返答に私は苦笑した。


「私はまだ魔法を学ばねばなりませんから、衣装やお茶菓子など他のところを削ってください」


 他の魔法使いが講師になってくれればもう少し魔法の講義代は抑えられるが、魔塔主が来たがるのだから仕方ない。

 それに、毎月のように新しい衣装を作るのは本当に無駄だと思う。


「お、王子、金貨五枚は流石に多すぎる……」


 先ほどまでこちらを何も知らない世間知らずの子供と馬鹿にしたような目で見ていたジムニが動揺したようにそんなことを言う。

 しかし、そんなジムニの肩をゲーツ・グレデンは掴んでジムニの言葉を止めた。


「王子、ありがたく頂戴します」


 さすが、貴族として育てられただけあり、ゲーツ・グレデンには金額への驚きはないし、そのお金でどれくらいのことができるのかすでに計算を始めているようだった。

 ゲームの中で情報ギルドを作ってギルド長をやっていただけのことはある。

 頭の回転が早く、お金の使い方を知っているのだろう。


「グレデン卿、ゲーツ・グレデンとジムニへの連絡は卿に任せるつもりです」

「は! 承知しました!」


 グレデン卿が生真面目に背筋を正す。

 そんな卿に私は笑ってみせる。


「二人は積もる話もあるでしょうから、私と乳母は先に失礼しますね」

「リヒト様、護衛をつけないのはなりません!」

「グレデン卿、私は魔塔主も認める実力の持ち主です。転移先を間違えたりしません」


 私の言葉にその場にいた面々がポカンッと間抜けな顔をした。

 しかし、後ろに立っている乳母に動揺した気配はない。

 もしや、私が転移魔法を使えることを勘付いていたのだろうか?


「転移……リヒト様は、転移魔法が使えるのですか!?」


 常の冷静さを失い、グレデン卿が驚いている。

 転移魔法を使える魔法使いは魔塔にいる魔法使いくらいのものだと思われている。

 しかし、こんなに便利な魔法ならぜひ修得したいと思い、私は夜中に一人で練習していたのだ。


「秘密ですよ」


 そう微笑めば、間抜けな表情で私を凝視していた三人はそれぞれに真面目な顔を取り繕って返事をしてくれた。

 私がソファーから降りて乳母に向き直ると、やはり乳母は落ち着いたままだった。

 私が転移魔法を使えることをいつ知られてしまったのかはわからないけれど、乳母ならば秘密にしておいてくれるだろう。

 私は乳母の手を握り、それからゲーツ・グレデンとジムニを振り返った。


「ゲーツもジムニも、私の存在についてはくれぐれも内密にお願いしますね」


 グレデン卿、ゲーツ、ジムニの三人に手を振って、私は城の自室へと転移した。

 部屋の掃除をしていたメイドたちを驚かせてしまったが、私の部屋に自由に出入りできるメイドたちは乳母が厳選した優秀で口の硬い者たちばかりなので、すぐにいつもの笑顔で「おかえりなさいませ」と迎え入れてくれた。

 魔法に詳しくない彼女たちは魔法使いはなんでもできると思っているようで、その分、動揺もなく、受け入れも早い。




 グレデン卿はやっと再会できた弟と離れていた間の話を語り明かしてくるだろうと思ったのだけれど、私がこの国の法律をおさらいして夕食に向かう時には城に戻ってきた。

 もっとゆっくりしてきてもよかったのに、なんなら休暇をとってもよかったと伝えると話したいことは全て話してきたとグレデン卿は答えた。


 どのような話をしてきたのかグレデン卿に聞くと、本当に貴族社会には戻る気がないのかという確認をして、それから今後の仕事の話をしてきたという。

 ゲーツ・グレデンからも今までどうやって生きてきたのかとか辛かった経験の話などは特になく、私がどのような人間でどのような社会を作ろうとしているのかを聞かれたそうだ。


「ルーヴ伯爵夫妻の身をリヒト王子が案じていることも話しておきました」


 私がルーヴ伯爵夫妻の予定を把握して危険がありそうな日には騎士団を密かに護衛につけていることもゲーツ・グレデンに伝えると一緒に話を聞いていたジムニが協力を申し出たそうだ。

 貴族は中心街には来ても、下町には滅多に近寄らない。

 そんな貴族の中に、最近、頻繁に下町の職人が集まる区域に出入りする貴族がおり、それがルーヴ伯爵の弟なのだそうだ。

 その人物こそ、ルーヴ伯爵夫妻の死後、伯爵家を乗っ取り、カルロにいかがわしいことをしてカルロのトラウマとなる叔父のドレック・ルーヴだ。

 ジムニがドレック・ルーヴの情報を得た時には連絡をくれるそうだ。


「ドレック・ルーヴはルーヴ伯爵領に屋敷をもらって暮らしているはずなのに、一体何をしに王都に……それも、下町に来ているのでしょうね?」


 ゲームではドレック・ルーヴはカルロの子供の頃の話として語られた場面とカルロのバッドエンドでその姿を少し表すだけで、そこそこのイケメンだが気に入った相手を無理矢理に手に入れる変態という情報しかなかった。

 ルーヴ伯爵領から王都まで馬車で三日ほどかかる。

 それほど近いわけでもないのに頻繁に来るということはそれなりに目的というか用事があるはずだ。


「ジムニからドレック・ルーヴの情報を聞いてきてもらえますか? これからの動向だけでなく、これまでジムニが得てきた情報を全て」


 私の命を受けてグレデン卿は翌日にはジムニに話を聞きにいってくれた。

 若くしてゲーツ・グレデンを匿い、彼の提案を受け入れて他の子供達も助けて匿ってきたジムニは思っていた以上に仕事のできる人物だったようで、ドレック・ルーヴの情報を全て書面にまとめてくれた。

 ゲームの中では情報ギルドまでの水先案内人としての役割しか見えなかったが、おそらくギルド長の片腕的存在だったのだろう。



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