第7話 裏設定?


 実際に城の外、王都へと出てみれば商家の子供の服装でもそれほど目立つことはなかった。

 とは言っても、ここはまだ王都の中心地、栄えているところだ。

 それに、大袈裟なジャケットを着ることを拒み、グレデン卿にもジャケットは小脇に抱えてもらう程度にしてもらったからかもしれない。

 ちなみにお忍びなので普通の長さの剣を持つわけにもいかず、小脇に抱えたジャケットの中に短剣を忍ばせていたりする。


 私は大通りを歩きながら周りを注意深く見回した。

 王都の中心にあるこの大通りには城にも品物を納めるような力のある商会が並んでいる。

 こうしたところは騎士団員がすでに回って話を聞いており、このあたりからの情報にはあまり違和感がなかった。

 ゲーツ・グレデンに関する正しい情報は得られなかったものの人違いの情報はあったからだ。

 わざと間違った情報を流すようにしている可能性もないわけではなかったけれど、私たちがこれから行こうとしている下町では情報がゼロだった。

 間違った情報さえも得られなかったのだ。


「リヒト様、こちらです」


 グレデン卿が下町までの道のりを案内してくれる。

 下町で目立たないために私たちは中心地で馬車から降りたのだが、敬称をつけた呼び方ではあまり意味がないだろう。


「グレデン卿……いや、ゾネさん」


 私はグレデン卿の家名ではなく、名前を呼んだ。


「私のことはリヒトと呼んでください」


 私の存在はまだ一般的には公にされておらず、名前も広がっていない。

 7歳の歳で盛大な宴を開いて貴族たちにお披露目し、国民たちにもその存在を知らせる予定だという。


「フリューリンもそうしてください」


 私の言葉に乳母はその目を何度か瞬いて、そして嬉しそうに微笑んだ。


「リヒト様に名前を呼んでいただくのは初めてですね」


 言われてみればそうかもしれない。

 そのように嬉しそうな顔をされるとこちらも少し照れてしまう。


「フリューリン、母親のことは一般的には名前では呼ばないものですよ」


 乳母は私にとってもう一人の母親だ。

 母上よりもずっと長く一緒にいるし、私のことを常に守ってくれているのだ。

 とてもとても大切な存在だ。


「リヒト様……」と乳母がさらに感動してしまったようだ。

「フリューリン、敬称はいりません」

「しかし、お名前を呼び捨てにするなど不敬です……」


 生真面目な性格の乳母には少し抵抗があるのだろう。

「では……」と私は少し考える。


「リトと呼んでください。それから、私は二人のことを『母さん』『父さん』と呼ぶことにします。私が二人を名前で呼んでいては関係性が曖昧で怪しまれそうですので」

「母さん……」


 乳母は私のことをじっと見つめて、私に「母さん」と呼ばれたことに感動しているようだった。


「父さん……」


 グレデン卿はチラリと乳母を見て、そっと目を逸らした。

 その耳は少しだけ赤くなっていた。

 グレデン卿のような人にはしっかりとした姉さん女房がいいだろう。

 実際のところ、この二人は案外お似合いかもしれない。

 ……つい、世話焼きおばさんみたいな思考になってしまったが、前世からこれまで恋愛経験ゼロの私が口を出すことではないなと考え直す。


 グレデン卿の後に続いて下町までの道を歩く。

 街並みは徐々に変化し、キレイに清掃されていた道や建物の壁の様子が変わっていく。

 道に落ちたゴミが目立つようになり、建物の壁には落書きが増え、石造りの建物に木造で無理やり建て増ししたような場所が増えて道が狭くなり、日差しも届きにくくなって、影の中を歩く。

 そのせいか、空気もひやりと冷たいような気がする。

 人々の生活の様子も変わり、着ているものに清潔感はなく、身のこなしも大袈裟で粗野な者たちが増えた。

 同じ街なのに、路地を曲がって少し歩くだけでこうも違う顔を持っているものなのかと私は思わず建物や道行く人をじっくりと見てしまう。


 やはり、服装はもっと簡素なものでよかったようだ。

 大通りでは目立たなかったが、ここでは皆が私たちのことを見てくる。

 この状態で聞き込みを行ったところで警戒されるだけだろう。

 もしかして、ゲーツ・グレデンの情報がこの地域で全く聞き出せなかったのは、単純に騎士団員たちに緊張や警戒してのことだろうか?


「あんたたち、道に迷ったのか?」


 一人の男がそう声をかけてきた。

 親切な男という風貌はしていない。

 しかし、私はその男に見覚えがあった。

 記憶の中の男の顔は今よりもずっと年齢は上だったが、この男で間違いないだろう。


「りんごの木を探してるんです。おじさん、知りませんか?」


 私はゲームで使っていた合言葉を言った。


「りんごの木……」


 これは王都の裏組織を牛耳る情報ギルドへ辿り着くための合言葉だった。

 そして、彼は、ゲームの中で情報ギルドへの道先案内人だった。

 しかし、目の前の男はゲームとは違い困惑した表情を見せた。


「りんごの木なんて、こんなところにあるわけがないだろ? 農家にでも行け」


 男はグレデン卿に厳しい眼差しを向けて注意した。


「あんたら、親ならしっかりしろよ! 子供をこんなところに連れてくるな! 危険な目にあったらどうするんだ!」


 それから男はグレデン卿の顔をじっと見て、顎を触って何かを考え込むような姿を見せた。

 しかし、男は特に何も言わずに私たちの後ろを指差した。


「大通りは向こうだ。さっさと帰りな」


 まるで男は私たちの行動を見張るようにじっと見てきた。

 グレデン卿は私に指示を仰ぐかのようにこちらを見てきたが、察しのいい乳母は私のことを抱き上げて男にお礼を言うと踵を返した。

 男に怪しまれないためには早々にこの場を立ち去るのが一番だろう。

 ゲームとは違い、あの合言葉では情報ギルドに行くこともできないようだったし。




 城に戻ってから私は思案していた。

 なぜ、ゲームでは情報ギルドへ行くための鍵だったあの合言葉が使えなかったのか。

 情報ギルドへの水先案内人の男は完全に意味がわからないという様子だった。

 もしかして、あの男はまだ情報ギルドの一員ではなかったのだろうか?

 ゲームで見ていた顔よりも随分と若かった。

 まるで、ギルド長と同じくらいの年齢に見えた……


 私の思考はそこで一度停止した。


『星鏡のレイラ』は魔法学園を舞台にした乙女ゲームだった。

 ゲームのヒロインは14歳で、リヒトも14歳だった。

 つまり、今から11年後だ。

 そして、情報ギルド長の容貌は20代だったし、そのギルド長自身が情報ギルドを一から作ったことも語っていた。

 そのギルド長も今は10代のはずだ。

 つまり、あの男がまだ情報ギルドの一員ではないのではなく、情報ギルドそのものができていない可能性がある……

 となると、ゲーツ・グレデンの情報を隠すように働きかけているのは情報ギルドではないということか?


「では、一体誰が……」


 下町を牛耳っている情報ギルドがあれば組織の力で口止めをしておけると思ったが、そうではないとすれば一体誰がゲーツ・グレデンの情報を隠しているのだろうか?

 そもそも全ては私の勘違いで情報操作などされていなかったのだろうか?


「失礼します。リヒト様、馬小屋の管理をしている少年が明日にでも弟の服を持ってきてくれるとのことです」


 もっと下町らしい服装を求めてグレデン卿に商家ではなくもっと一般的な家庭から働きに来ている者を探してもらったのだ。

 報告に来たグレデン卿に視線を向けて、私は違和感を覚えた。


 そういえば、グレデン卿もゲームの中ではもっと年上のはずなのに、顔が変わっていない。

 そこで私は、あれ? とグレデン卿の顔をじっくりと見つめる。

 ゲームで見ていた顔だったし、髪色が特徴的だったからすぐにグレデン卿をゲームの登場人物だと認識した。

 そして、出会った場所が騎士団の訓練場で私自身がゲームに登場する王子だったから王子に常に付き従っていた人物だと思ったのだ。

 しかし、改めて考えるとゲームで見ていたリヒトの護衛の顔はもっと大人びた精悍な顔つきだった。

 つまり、グレデン卿の十年後の姿のはずだ。

 そして、今、目の前にある若々しい二十代の顔は……


 ギルド長の顔だ!

 髪色は黒髪だったけれど、今のグレデン卿の顔にそっくりだ。

 私の記憶が混同するほどに、グレデン卿とギルド長はよく似ていたということなのだろう。

 それは、つまり、二人は血縁関係にある可能性が高いのではないだろうか?


 もしかすると、ギルド長がゲーツ・グレデンだったのだろうか?

 それなら、彼は今13歳のはずだ。

 情報ギルドを興すにはまだ若い年齢だろう。

 それでも、下町の人々に自分のことを誰にも知られないようにと情報規制するくらいの影響力は持っているのかもしれないし、すでにあの案内役の男とかなり親しくて、自分の代わりに口止めを頼んでいるのかもしれない。


「グレデン卿。明日もう一度、あの下町に行きましょう!」


 私の言葉にすぐに反応したのはグレデン卿ではなく乳母だった。


「それはなりません。明日は魔塔の主の講義がございます」

「日程の延期を……」

「すでに2回延期しており、その度に次の講義では光の聖剣の威力を確認したいとか、リヒト様の使っている術式が自分のものと同じなのか確認したいとか要件を出されております。次に延期すれば、魔塔でリヒト様ご自身を研究したいと言いかねません」


 私はちょっと……いや、かなりゾッとする未来を思い浮かべることができた。

 乳母の説得力はすごい。

 確かに、あの変わり者の魔塔主ならば王子である私の体を人体実験しかねない。

 時間は惜しいが、グレデン卿からも「御身の安全を最優先してください」と言われたため、翌日、私は予定通りに魔塔主の講義に出席することにした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る