第6話 下町へ
「王子、私を騎士団長から解任してください。そして、どうか、グレデン卿を騎士団長に任命してください」
「いえ」と私は即答した。
生真面目な騎士団長が言い出しそうなことなどわかりきっていたから返答はすでに用意していた。
「あなたは善良で有能な人材です。そのような方を解任するなど国の損失です。当時の少年たちへの贖罪の気持ちがあるのなら、ゲーツ・グレデンの捜索を全力で行ってください」
私をじっと見つめる騎士団長の目に徐々に涙が溢れ出し、その顔を見られまいと伏せられた目から涙の粒が落ちた。
「……承知いたしました」
騎士団長が絞り出すようにそう言って、私はそんな彼の肩にそっと触れた。
これほど純真で正義感の強い人は多くないだろう。
騎士という武力と権力を利用して悪事を行う人間だって沢山いるだろう。
万が一、そのような人物を騎士団長という立場につけてしまえばより助長してしまう。
もしかすると、彼の心の平穏のためには騎士団長という地位から引かせて騎士団を辞めさせてあげた方がいいのかもしれない。
ここにいる限りは前王の時代の嫌な思い出がつきまとうだろうから。
しかし、清廉潔白であるべき騎士団長の座に今まさに相応しい心根の人がついているのならば、その人にその座を守ってもらうのが得策だ。
「もし、私が王になることができた時、私はその時もあなたが騎士団の先頭にいてくれることを願います」
逃がしてあげることができなくて申し訳ないと私は心の中で謝罪した。
ゲーツ・グレデンの捜索範囲を広げるのと同時に、私はいよいよカルロの両親を救うために動き出した。
これまで貴族間でやり取りされた子供たちのことも調べるように騎士団に命じた。
当然、今現在進行形でそのような悪事が行われそうな貴族たちも調べ、そして将来的に子供のやり取りが起こることを防ぐためにそのような行動を起こしそうな貴族たちを監視するという任務も付け加えた。
カルロの両親については盗賊からの襲撃など具体的なことを伝えることはできないが、怪しい動きがないか監視する必要がある貴族たちのリストにカルロの家、ルーヴ伯爵家を入れておくことでカルロの両親が盗賊に襲われそうになった時には助けに入ることができるようにしておいた。
ルーヴ伯爵家には不名誉な疑いをかけてしまうことになるが、命は守らせてもらうので許してもらいたい。
「リヒト様、ルーヴ伯爵夫妻の今後ひと月の予定がわかりました」
騎士団長が私の勉強部屋に直接資料を持ってきた。
私がルーヴ伯爵家の動向をこの国の悍ましい慣習とは違う理由で気にしていることは今のところグレデン卿と騎士団長しか知らないことだ。
「外出の際のルートも調べてありますか?」
「はい。こちらが地図になります」
私はルーヴ伯爵夫妻の予定と外出先までの地図を確認して、盗賊たちが隠れやすい森などの場所を通過する日程が入っている日を示した。
「では、この日とこの日は複数人の騎士で密かに尾行し、必要な時には護衛をお願いします」
地道な作業ではあったが、私はカルロの未来を守るためにいつ報われるかわからないこの地道な護衛を繰り返した。
明確な理由も明かしていなかったが、騎士たちは文句も言わずに私の命令に従ってくれた。
それは、私が王子だからという理由だけではなく、騎士団長とグレデン卿の助言に従って、私が3歳にしてすでに光の聖剣の使い手であることを騎士たちに明かしたからだ。
両親にさえ隠していた力だったが、子供の私の指示に王宮近衛騎士団の団員が快く従ってくれる方法はないかと騎士団長とグレデン卿に相談したところ、二人とも私が使える魔法を気にしたのだ。
あまり目立ちたくはなかったが、私が使える魔法を明かすだけでカルロの未来が変わるのならと私は二人に光の聖剣を見せたのだった。
しばし呆然とした二人だったが、我に返った彼らはすぐに興奮した様子で騎士団にも私が光の聖剣を使えることを明かそうと提案した。
この国の建国神話には神が一人の勇敢な少年に光の聖剣を与え、それが世界で最初の魔法であったという話がある。
魔法を使える誰もが光の属性を持つわけではないが、風、水、火、地、闇、全ての属性の根源には光属性があるとされている。
そして、光属性の適正があるからと言って、その全員が光の聖剣を使えるわけではなく、光の聖剣が使える者は王族かその近親者に100年に一度現れるかどうかというところだった。
私の前の使い手は4代前の王だそうだ。
その王が光の聖剣を扱えるようになったのも二十代後半だったという。光の聖剣の使い手で一番若くしてその力を手にしたのは10代半ば、それよりも若い記録は建国神話の少年となる。
つまり、3歳で光の聖剣が使える私は異例中の異例の存在だという。
そのため、騎士たちを動かすために私が光の聖剣を使えることは伝えたものの、信ぴょう性を疑っている騎士もいる。
それでも自分たちの主が光の聖剣を使えるという期待の方が大きいようで、彼らは非常に素直に命令に従ってくれている。
私としては実際に使えるところを見せてもよかったのだが、騎士団長はそこまでする必要性はないと言った。
信じられない者は命令無視でもして騎士団を辞めればといいと騎士団員たちの前で言い放った。
随分と横暴だと思ったが、貴重な力は気軽に披露するものではないそうだ。
ルーヴ伯爵夫妻が襲われかけたなどという話はその後一年間全く聞かなかった。
具体的にいつ襲われたのかはゲームでも語られていなかったので、この件に関しては根気強く予防策を続けるしか無かった。
もし、盗賊たちが監視の目に気づいて襲ってこなかったとしても、カルロが穏やかに育つのならばそれはそれで問題なかった。
とにかく、私のお披露目の日までカルロには平穏に過ごして欲しかった。
もちろん、その後も油断できないため、対策は考えていた。
ゲーツ・グレデンに関しても全く進展のないまま、私は4歳になり、もうすぐ5歳になろうとしていた。
こちらに関しては下町での捜索でも地方での捜索でも全く何の情報も得られないのはおかしいと思った。
捜査をしているのは素人ではない。王宮騎士団のエリートたちだ。
前世のような科学はないが、この世界には魔法と魔導具がある。
最新の魔導具を使える王宮近衛騎士団が全く情報を得られないのはおかしな話なのだ。
最悪の場合、すでに亡くなっている可能性も考えられたが、それでも何かしら情報はあるべきだろう。
ここまで情報が出てこないと、むしろ誰かの意図を感じる。
わざと情報を隠しているような気がするのだ。
情報を隠せるのは情報を扱う者たちだ。
「下町に行きましょう」
私の言葉に騎士団長もグレデン卿も驚いたようだったが、一番驚いているのは乳母だった。
「リヒト様、危険な行動はお控えください」
その目には心配の色があった。
「リヒト様、我々に命じてくだされば良いのです。ご自身で下町に行くのはあまりにも危険です」
騎士団長もそう言ってくれたが、私は考えを変えるつもりはない。
「私が行く必要があるところだから言っているのです」
私はグレデン卿に下町の者に扮することができる服装を調達するようにお願いした。
すると、乳母がすぐに口を挟んだ。
「それならばわたくしが下働きの者から調達いたします」
乳母はすぐに紙に必要事項を書き込んでメイドに持たせた。
「いいのですか? 乳母?」
説得するつもりではいたが、こうも簡単に許してくれるとは思わなかった。
「王子はこうと決めたことは決して譲りませんし、わたくしが言いそうなことは大抵わかっているかと思います。ですので忠告はいたしますが、説得や議論をする時間は無駄です」
頑固者だと思われていることは心外だが、私はこうした割り切った乳母の性格がとても好きだ。
「乳母は話が早くて助かる」
「わたくしがうるさく言えばそのうち王子はわたくしの目を掻い潜ろうとするでしょう。そのようなことをされるよりはお近くでお守りできる場所にいた方がマシですから」
乳母の言葉に私は嫌な予感を覚えた。
「乳母……まさか、ついてくるつもりじゃないですよね?」
「ついて行くつもりです」
「下町は危ないので乳母は城で待っていてください!」
私の言葉に乳母と騎士団長が私をジッと見つめてくる。
その目がどことなく冷たいのは気のせいではないだろう。
「……わかりました。しっかりと変装していきましょう」
グレデン卿も連れて行くし、いざとなったら乳母のことは転移魔法で逃がそう。
私が一人そう考えていると、まるで私の心を読んだように乳母が言った。
「いざとなったらわたくしだけを逃がそうなどと考えるのはおやめください。王子がわたくしから離れたら自害いたしますよ?」
おかしい。
私は転移魔法が使えることも魔塔主以外には言っていないにも関わらず、乳母は私の能力を見通しているようだった。
「乳母、私の心を読むのも、そのように怖いことを言うのもやめてください」
王族を脅すとは乳母の肝は座り過ぎていないだろうか?
翌日にはメイドが私と乳母、そしてグレデン卿のお忍び用の衣装を持ってきてくれた。
私が想像していたのは下町を駆け回る子供の身軽な服装だったのだが、用意されたのは豪商の息子が着るような衣装だった。
前世の世界なら、結婚式などにお呼ばれたした男児が着るようなちょっとおしゃれな装いだ。
普段着ている王子の衣装からすれば庶民的と言えなくもないが、これで下町で目立たずに溶け込めるのかどうかはちょっと怪しい。
「予想できていたことではありますが、生地もデザインも全くリヒト様に相応しくございません」
乳母が文句を言いながら私の着替えを手伝う。
「私としてはもっと簡易なもので良かったのですが……極端に言えば、農夫のような服装の方が目立たないでいいのですが」
「農夫ですか? それでは、もしも地方に内密で行かなければならない時には庭師に衣装の相談をしましょう」
王室の庭師は見苦しくないようにいつも最高級のシャツとズボンを身につけている。
執事との違いはジャケットを羽織っていないこと、動きやすい生地で作られていること、腕をまくっていても許されることくらいではないだろうか?
乳母の実家は侯爵家だ。侍女たちも貴族出身。メイドたちは貴族ではないにしろ、行儀見習いとして来ている商家の者が多い。
私が考えていたような服装が手に入らないのも仕方のないことだった。
諦めて今日はこの格好で下町まで行ってみて、あまりにも目立つようであれば服装のランクをさらに落としてもらうこととしよう。
私の支度を終えた乳母は自分の着替えのために部屋へ下がり、すぐに着替えてきてくれた。
しかし、その首元や指にはいつもよりもだいぶ控えめながらも美しい宝石が光っていたため、それらを全て外してもらった。
乳母は贅沢を好むタイプの人間ではなかったが、アクセサリーをつけることが身だしなみの一つとされている貴族社会の女性のため、まるで下着姿にでもなったように恥ずかしがっていた。
そのような姿を見ると、美しさを少しでも隠すために化粧も落として欲しいとは言えなかった。
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